甚だ陳腐な題である。書画骨董に関して多少の興味を持つてゐる人は大抵一つか二つ、上手な似せ物の話を聞かれたに違ひない。かつて私の最も尊敬する某先生が蕪村の軸を購はれた。どの骨董屋に見せてもこれは間違ひのないものであるといふし、その頃有名な鑑定家と称せられる某氏に見せると、某氏は軸を開きかけて半分に達せぬうちに「これは蕪村ですなアよく出来てゐます」……と讃嘆の声を発したほど、それほどたしかなものであつた。その頃先生は京都の大学に講義をされてゐたので、その表装をしかへるために、ある表具師へ持つて行かれた。すると表具師はそれを開いてみて、しばらくの間ぢツと考へてゐたが、やがてさも気の毒であると云はんばかりの顔をして
「この表装は見合せになつた方がよろしいでせう」
と云つた。
「なぜです、これがいけないとでも仰有るのですか、東京では誰に見せても確かな物だと云ひます」
表具師はますゝゝ(※1)恐縮して云つた。
「いや私共は商売のことで御座いますから、黙つてお言付け通りに表装をさへすればよいのですが、併し悪いと知り乍ら黙つて仕事をするのは心苦しいのでございます。尤もこれがにせ物であるといふことを御承知でおやりになりますならば兎も角でございますが………」
「本当にいけないのですか」
と先生は息をはづませてお訊ねになつた。
「もとより私には書画を鑑定する力はありませんが、実は十日程前にこれと寸分も違はぬ絵を取扱つたのでございます。今手許にありませんから、お目にかけることが出来ませんが、今晩にでも借りにやりますから、一度それを御覧になつて下さい。私の考へでは先日取扱つた物の方がすぐれてゐるやうでございますから」
これそ(※2)聞いた先生は、がつかりして一たん引揚げ、その夜表具師の家で二枚を較べて見たところ、表具師の言葉が正しかつた。
ある人が橋本雅邦の山水の密画を持つてゐた。その友人が是非しばらく貸して欲しいといつたので、貸してやると数日の後返へしに来た。ところがその後程なく同じ画がよそにあるといふことを聞いて見に行くと、全く寸分も違はぬもので、殊によると本物がこれで自分のところへ偽物を掴かまされたのではないかと思つた。そこで早速友人のもとを尋ねて、よくその事をなじると、友人は頭をかいて
「実は模造をさせたのですが、あなたのもとへ返へしたのは本物に違ひありません」といつた。さう云はれても、まだ不安で仕方がなかつたので、結局その模造品を購ひ取ることにして、二本携へて橋本雅邦の処へ行つた。
すると雅邦は二枚の画をくらべて見てゐたが。(※3)どちらの絵が自分が書いたのか一寸見て分らなかつた。一寸見て分らないばかりか見ればみるほど分らなくなつた、(※4)やつと一時間程たつたのちに、
「多分こちらが本物でせう」
と云つたので、不安乍らも偽物の方を焼き捨てることにした。かうなると偽物だつて本物と違はぬ価値を持つ訳である。
これと同じ話は西洋にも沢山ある、(※5)一番有名なのは、ミニヤールの逸話である。ある時ミニヤールはローマで古い絵を購つて、その上へマグダレンの絵を描いた。するとブローカアが、ミニヤールと相談して、ある名門の家へ持つて行つて、ギドーの作だと云つて高い金で売りつけた。ところが買主が後にミニヤールの作だと聞いて当時の鑑定家達にみせたところ、最も有名なルブルンさへもギドーに間違ひないといつた。けれども心配になつたのでミニヤールを呼んで「あなたの絵だといふ評判だが本当か」と云つて聞いた。するとミニヤールは「それは今何んとも申上げられませんが、ルブルンはまさかギドーだとは鑑定しますまい」と云つた。そこで、買主はある日ミニヤールやルブルンその他二三の鑑定家を呼んで御馳走をした。その席上でギドーか否かの議論が沸騰してルブルンはどこ迄もギドーであると云ひ、ミニヤールはどこまでもさうでないと争つた。段々争が激しくなつて遂にかけが始つた。その時ミニヤールは(「)(※6)かけをすりや私が取るに定まつてゐますから、その証拠をみせてあげませう。これはローマで買つた絵の上へ描いたんで、その絵には坊さんが書いてありました。だから、作者が又塗ればよいから、一つその坊さんを出してみせませう」かう云つてマグダレンの毛のところを油をつけた刷毛でこすると果して僧侶のかむる帽子が出て来た。これにはさすがのルブルンも閉口して云つた。
「君、これからはいつもギドーを書き給へよ。決して決してミニヤールを書いてはいかんよ」
(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文ママ。「を」の誤植。
(※3)(※4)(※5)原文ママ。
(※6)原文括弧なし。
底本:『紙魚』昭和2年7月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和2年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」
(最終更新:2005年9月7日)