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『民間療法と民間薬』

 エドワード・ジエンナーが種痘法を発見したのは牛痘に罹つたものは、「痘瘡にかゝらぬ」といふ当時の、俗間に於ける経験的事実に基いたものであつた。彼はそれを証明するまでに十八年余の歳月を費したが、彼の発見した種痘法によつて、人類はあの恐ろしい痘瘡の毒手から完全に救はれることが出来た。
 キニーネにしろ、コカインにしろ、その他の殆んどすべての有効な薬品は、民間薬からその有効な成分を取り出したものに外ならぬのであつて、現代の治療学の大部分は、いはゞ民間薬乃至民間療法を科学の力により合理化したものであつて、合理化されない部分が、民間薬又は民間療法の名によつて、今日なほ伝へられて居るだけである。
 尤も民間療法又は民間薬と称するものゝ中には、一見迷信としか考へられないものがある。而も迷信によるものが可なり沢山あるために、さうでない民間薬又は民間療法までも迷信なみに取り扱はれようとする傾向がある。而も一方に於て、科学万能の現代では、科学によりて合理化されないものは、価値の少ないものと見做されようとする。従つて、貴重な民間薬又は民間療法まで、いつの間にか捨てゝ顧みられなくなつたのである。
 ところが、医学は進んでも、治療術はそれほど進歩しない。そこで、心ある人は、再び民間薬乃至民間療法に眼を附けようとするに至つた。これは一面から言へば、一種の反抗的気運であるけれども、その実、科学の進歩にくらまされて居た眼を本来の姿に立ち戻らせたのであるといふべきであらう。
 現に、ヂギタリス葉を用ひた方が、ヂギタリス葉から精製した薬剤を用ひるよりも遙かに有効であり、阿片を用ひた方が、モルヒネを用ひるよりも、いろゝゝ(※1)の点に於て有利である。だから、近頃はパントポンと称して、阿片の中の有効成分全部を含む物質がモルヒネに代用されて居るが、その実出来るならば阿片そのまゝを用ひた方がよいやうに思はれて居るのである。
 かうして見ると、生薬といふものは治療上極めて尊いものである。だから、迷信のまじつて居ない民間薬は大に研究する必要があり、之を難病に応用して見る必要がある。民間療法は人類の長い間の経験によつて得られたものであり、且つ経験によつて有効であると知られたものだけが伝へられて来たのであるから、決して見のがしにならぬのである。
 嘗て私は河豚の毒に中つたものには黒砂糖をなめさせると有効であるといふことを何かの書物で読んだ。その後、私はこれを実験的に証明したいと思つて、いまだにその研究に取りかゝる機会がないが、河豚毒素は一種の糖類の化合物であるといふ説があるし、葡萄糖は色々のものゝ中毒の際に之を血液中に注射すると効があるといふことであるから、きつと河豚中毒の際、葡萄糖(黒砂糖の中には葡萄糖が含まれて居る筈である)が有効なことを実験的に証明し得るだらうと信じて居るのである。もとより自分でまだ実験して見ないから何とも言へぬが、かういふ訳で、民間薬を合理的に研究して行くことは、一方に於て医学そのものを発達せしめるであらうと思ふ。
 温故知新といふ言葉があるが、現代の医学も実はこの言葉を忠実に守ることによつて発達したといつても敢て過言ではあるまいと思ふ。従つて、当今の学者が、民間薬又は民間療法の研究に携はることは頗る賢明の策であるといはねばならぬ。
 それと同時に難病で悩むものが、民間薬又は民間療法を試みて見ることはこれまた賢明の策でなくてはならぬ。尤も、迷信的のものを排斥するだけの常識は持つべきであるが、その上で適当な民間薬を選んで、それゞゝ(※2)自分の病気に応用するのは、大に推奨すべきことであらう。
 然し乍ら、迷信的のものであるか、迷信的のものでないかを区別することは甚だ困難である。だから私は、肺病患者が、いかゞはしい民間薬を服用することにこれまで反対して来たのである。若し迷信的でなく、人類の長い経験によつて、たしかに肺病に有効であるといふ薬があるならば、敢てすゝめたいと思ふのである。
 病の治療といふことは、暗示作用が非常に関係するものであつて、従来の迷信的な民間療法も、暗示作用によつて、ある程度まで有効であつたから、治療といふことを眼中に置くのならば、迷信的のものでもかまはぬ訳であるが、迷信による治療法は、それが効のない場合に失望が大きいから、なるべくは避くべきであらう。いづれにしても、民間薬の有効なものは一応試みても差支ないものであらうと思ふ。たゞその際、患者は、たとひそれに効がなくても決して失望せぬだけの心の準備が必要である。
 本書は、民間薬と民間療法との起原と価値とを徹底的に説明したものであつて、これによつて、読者は、迷信的のものと迷信的でないものとをはつきり区別することが出来、若し本書に従つて、適当な薬物を適当に応用したならば、利益を受けることは莫大であらうと思ふ。
 民間薬についての専門的な書物は従来もあつたけれど、平易に、誰にも手軽に応用が出来るやうに書かれたのは本書がはじめてのものであらうと思ふ。無論薄聞な私のことであるから、必ずしも私の言葉は正しくないかも知れぬが、いづれにしても、民間薬が真面目に研究されようとする今日、この書が公にされたことは、まことに喜ばしいことゝ思ふのである。

 昭和二年十月 小酒井不木

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:『民間療法と民間薬』野村瑞城著(人文書院・昭和2年10月23日発行)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和2年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」

(最終更新:2005年9月10日)