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人生と中和

一 ルーメン

 沖の鴎に汐時聞けば、わたしやたつ鳥波に問へ……漫々たる蒼海の辺に佇む時、新緑の匂ひに満ちた晩春の空気を伝はりて、この玲瓏な旋律が聞えて来る。私は紺青の空を見上げて、無限の思ひに耽つた。其処には白雲が悠々として飛び去り、常住の日輪は赫灼として照り輝いて居る。無辺際より無辺際に、永劫より永劫に、万象は瞬時も同一の姿に停滞しては居ない。「汐時」といふ響に驚かされて、私は「時間」といふものに就て考へざるを得なかつた。水天髣髴の境にうすかすむ山々、雲に消え行く天翔る鳥の影、これ等を認めた瞬間は其の瞬間に於ける山や鳥の形態ではない。山から出たヱーテルの波動が、私の眼球に達する迄に一定の時間を要し、更に網膜の視細胞を興奮せしめて、其れを視神経に伝へ、遂に視覚中軸に達する迄にも一定の時間を要するのである。
 然し乍ら其の時間は極めて微少である。一秒の何分の一、何十分の一に過ぎない。我等は更に進みて事物の現在の形態に達したまでの永い時間に就て考へなくてはならぬ。
 私はフラマリヨンの仮想したルーメンのことを思ひ出した。ルーメンとは羅甸語で「光」といふ意義を有し、毎秒四十万基米の歩速度を有する仮想的旅行者の名である。かの光は毎秒三十万基米の速度を有するのであるから、ルーメンは光よりも遙かに大なる速度を持つて居る。そこで今彼が此地球を出発して、天空に向つて疾走したと仮定する。然るときは出発後第一秒の終には、其一秒内に地球から発射して来た光線は勿論、前の一秒の終に地球を発した光線をも追越すことゝなる。然る時は其等の光線に追付く度毎に其の光線の示す現象を知覚し、かくて一時間の終りには、彼が出発した時よりも二十分前の地球の現象を知覚することゝなる。斯様に益々彼が其の進行を続けたならば今迄の歴史を逆に知覚することゝなる訳である。彼は我等の祖父や曾祖父の俤を認め、更に建国の古を其儘に知覚することが出来る。
 結果から原因に、彼は我等と逆の経験をする。而して若し彼の速度が光の速度の何十倍、何百倍、何千倍速かつたならば極めて短日、短時間、加之数分間に、地球生成の歴史を逆に見て了ふことになる。これはもとより仮想的の事柄であるが、私はルーメンの如くでありたいとも思つた。
 これと同じ関係で、人間の思想の歴史を辿らしめたならば如何。ルーメンの知覚せし事実は瞬間毎に新らしいのであるが、思想に於ては屡々繰返されて居ることに気付くであらう。一端より他端に、人はたゞ定まれる範囲を来往するのみであつて、肉体的にも精神的にもいつも同じ出来事を繰返すばかりである。寂しさに宿を立ち出でゝながむれば、何処も同じ秋の夕暮。自然科学に於ても哲学に於ても、我等はつねにこの感を深うする。

二 遺伝と内分泌

 肉体の上に於て、我等を拘束するものに先天的及後天的の二種の作用がある。先天的作用とは遺伝であつて、後天的作用は内分泌である。然し厳密にいへば内分泌もまた先天的作用と言ひ得る。さて遺伝とはいふまでもなく、我等の祖先が外囲の状態に対し、生存に最もよく適応したる形態を選択して其の特徴を子孫に伝へる作用を言ひ、内分泌は、かくして生ぜしめられたる個体をして、其の特徴を失はざらしめむやうに保持し行く作用を言ふのである。之に依て我等は先天的にも後天的にも、我等の肉体が一定の範囲以内に一定の法則の下に拘束せられねばならぬ。直立歩行が最も現今の人類生存に適当せるを知つた我等の祖先は之を我等に伝へて我等の形態を直立歩行に適するやうに発育せしめ、我等に直立歩行を強いて居る。又我等のある者が男子であるのは、メンデルの法則に従ひ、父親の遺伝物質が優性となりて現はれ来たので、一旦男子として生れたならば終生其の生殖腺の内分泌作用によりて男子たるの特徴を保持せしめらるゝのである。大脳下垂体や甲状腺は、人体の過大又は過少の発育を妨げ五尺の身長を以て終点となして居る。偶ま侏儒又は巨人の出づるあらば之を以て病的と見做して居る。女子に乳房の発達を促し、男子に髴髯の生長を強ゆるものは皆其の生殖腺の分泌液の然らしむる所である。かくの如くして人は形態の拘束を脱することが出来ぬ(※1)。甘泉殿の夜半の月に、覆雲の怨あり、驪山宮の庭前の花に、春風の怨ありとすれば、人は其の形態に於て、遺伝及び内分泌の怨があるではあるまいか。地球は自転を余儀なくせられ且つ同一の軌道を永遠に辿らねばならぬと等しく人類もまた其の形態を自由ならしむることが出来ぬ。カントは自由意志を唱へた。私は自由形態を唱へて見たい。去り乍ら自由意思説は進化論者からして一大独断に数へられた。自由形態は尚更に大なる独断であらねばならぬ。然り而して其処に自然の動かすべからざる法則が横はつて居るのである。我等は永遠に空中にも又は水中にも住むことが出来ないであらう。たゞ自然の法則を知つて満足するに止めねばならぬ。

三 中和の意義

 そこで自然の大法則中に最も大なる意義を持つて居るものは「中和作用」であるまいかと私は思ふ。こゝで少しく中和の意義を明かにして見やう。酸とアルカリとが化合するとき塩と水とを生じ、其成生(※2)物は最早酸性でもアルカリ性でもない。この機転を化学に於ては中和作用と呼んで居る。又医学に於ては毒性を無毒性となすを中和作用といふ。然し乍らこゝでいふ中和とは決してしかく狭義のものではない。単に酸とアルカリとの化合する状態や、毒性を無毒性とする作用のみならず、熱性のものを無熱性となし、長きを短かきとなし、広きを狭きとなし、臭気あるものを無臭となす等、凡て事物の平均作用を以て中和作用と見做したい。かのダーウインの唱へた生存競争、またクロポトキン公の言ひ出した相互扶助も、広い意味に於ける中和作用ではあるまいか。又前に述べた遺伝も内分泌も畢竟するにこの中和作用に外ならぬのである。「総ての出来事は、之に関与するヱネルギーの間に、強さの差ある時にのみ生ず」といふヱネルギー第二主則も詮ずる所この中和作用を意味するものであるといつて差支ない。
 先づ自然が生物に与へた力を考へて見るに、かの生物の増殖は無限に行はれる。よく例に引かれるが、動物中最も蕃殖の遅い象に就て、若し平均百歳迄の間に六匹の子を生むとすれば一匹の象が七百五十年後に一千九百万匹となる。こんなことは今更事新らしく言ふまでもないことであるが、自然は一定した土地の上に、生物をしてかくの如く偉大なる蕃殖能を持たしめて居る。そこで自然に生存競争といふ中和作用が起つて来る。それに続いて自然淘汰といふことも起り、進化といふものが促される。単に蕃殖の点ばかりではなく、生物機関の機能に於ても、自然はいつも其の機能を無限ならしめやうと努めて居る。然る後必然之に中和を要求しつゝあるのである。
 ところで自然の力はいつも盲目的で中和作用は之を成行のまゝに任じて居る。盲目的であるが為に極端に至れば常に破壊的たるを免れない。建設的の力は其儘破壊的となつて了ふ。そこで建設的の意義を永く存続せしめむためにはどうしても中和的手段に出なければならぬ。生存競争や相互扶助は必然に起つて来た中和作用で、人為淘汰なるものは人類によりて行はれたる中和作用である。而してこの中和作用たるものが軈て自然の主要なる必然的法則をなして居るのである。人間が自然に対して施し得る所の力、換言すれば自然に対する人力の及ぶ範囲は畢竟この中和作用の領域を出でないのである(※3)

四 革命は過度

 ゲーテが「革命は過度に走る」といつたのはあらゆる方面にあてはまる真理である。之を歴史上の事実に徴するも吾等は容易に其の例に遭遇する。この法則はまた其儘生物学の領域に於ても証明することが出来る。之を種族勃興の歴史に就て見るも、種族を勃興せしめた特徴は軈て其の種族を滅亡せしむるシムボルとなつて居る。この事は私が常に之を唱導する所である。此際なほ一二の例証を挙げて此間の消息を明にせやうと思ふ。
 卑近な例証を取りて、かの黴菌と人体との戦に就て考へる。換言すれば伝染病に罹つた人体の状態に就て観察する。急性伝染病に於て最も著しき症状は発熱である。通常三十六度五六分の体温が、其際四十度以上四十二三度にも及ぶ。而してこの発熱の真相は実は人体の防禦手段である。即ち黴菌は高温度に於て其の発育を妨害せらるゝので、人体は浸入せる黴菌にとりて不利益なる状態を取るのである。これ即ち「熱」が人体の防禦手段に外ならぬ所以であつて、絶対的の意味に於て熱は人体に有利ならざるべからざる手段である。ところが事実に於てはそうではない、発熱即ち体温上昇に伴つて生ずる弊害はまた夥しい。それ故黴菌に対し有力なる抵抗機関たる熱を冷却するのが却つて治療上に価値がある。即ち熱を中和することによりて始めて意義のあることゝなる。「革命は過度に走る」。その革命をして過度に至らしめざるやう適当なる時期に於て中和する所に価値があらねばならぬ(※4)
 黴菌の人体に浸入した場合、其の防禦的手段として発熱以外に、直接黴菌の毒素を中和し又は黴菌の個体その者に有害なる物質が血液中に生ずることは普ねく知られたる所である。かの抗毒素、溶菌素等は何れも其れである。ところが伝染病時に人体に起る諸種の症状中、黴菌其の者が然らしむるものと、黴菌の刺戟によりて其黴菌に抗せむとして生じたる体内の物質の然らしむるものとがある。而も伝染病によりて死する場合、却つて黴菌に抗すべく体内に発生した物質の為に其の死が惹起さるゝやうに見ゆる場合が多い。そこで伝染病に際して患者を死より救済せむと欲するとき、換言すれば治癒せしめむと欲するとき、寧ろ体内に生じた抗菌物質を中和するに於て始めて目的を達する場合がある。これ等の関係はまだ医学に於ても具体的に充分明かにせられて居ない所であるが、私は「革命は過度に走る」といふ真理を基礎として今後の治療学は発達すべきものであるといふことを信じて疑はない(※5)
 更に他の例証を取りていふならば、動物に他の動物性又は植物性の蛋白質を通常の消化機管(※6)を経ずして直接血液中に注射して摂取せしむるときは、其れが刺戟となりて、其蛋白質を消化せむとする醗酵素が其動物の血液中に生じて来る。そこで次に同じ蛋白質を注射するときは、注射せられた蛋白質は其の醗酵素の為に分解せられ其の分解産物の為に動物は非常なる危険に(※7)せしめられ、遂には死に至ることがある。過敏症(アナフイラキシー)といふのが是である。即ち動物は其体内に其の蛋白質を分解せむとする物質を生ぜしめるのみで、それによりて齎らさるゝ障害に就ては顧慮しない。これ即ちやはり同一の法則に従つて居るではあるまいか。又家兎に他の家兎の脳を粉末にして、之を注射するときは、其脳の粉末を分解すべき醗酵素を生ずるのみならず(※8)自分自身の本来の脳をも分解せむとする傾向を示して来る。これ等は痛切に革命が過度に陥る現象を示して居るといつてよい。其処で中和が自ら必要となつて来る。而して中和が自然に行はれない限り、どうしても之を人為的に行はねばならぬ(※9)
 以上は単に治療学上の原理を説いたに過ぎぬのであるが、この法則は之を凡ての方面に演繹しても差支ないと思ふ。

五 優種学(ユーゼニツクス)の真義

 優種学は近時生物学上の理論的根拠を得て大に喧ましくなつて来た問題であるが、私は優種学を唱導するの士がやはり私の前に述べたやうな法則を忘れないで、其の実行に着手して貰ひたいと思ふ。勿論現今の優種学は未だ主として理論的興味を持つのみで、其の実行的機運に立ち到つては居ない。抑も優種学なるものは遺伝学の原理からして、人為的に自然の法則を助長し、以て良種を殖して社会人文の改良を計らむとするのである。従つて或る意味に於て、優種学は人為淘汰学であつて優種学其の者が一の中和的手段と見れば見得るのであるが、然し一面に於て優種学は良種の無限の発展を希望して居るのであるから、其点からいへばやはり自然の力を助長することになり、従て過度の革命に陥らざるやう注意しなくてはならぬ。良種をのみ製した挙句、其処に果して理想郷(ユートピア)があるであらうか。それは余程疑はしいのである。日に三たび我身を省ると古の人は言つた。反省といふのはやはりこの中和作用ではあるまいか。美的生活、本能満足とかいふのは畢竟人類を破壊することになる。性慾は人類の存続に最も欠くべからざるものであるが其性慾の過度の満足は軈て人類を破壊せしむることは必然の勢である。禁慾に於て人は始めて永遠の生命を認めることが出来るのではあるまいか(※10)

六 思想上の中和作用

 生物学上に於ける中和は以上述べた通りであるが、然らば思想方面に於ては如何。私はやはり上記の理論が適用せらるゝものなることを信じて疑はない。過去の回顧に於て、一つの時代思潮に逆抗して起つた新思潮はいつも其の勢を無限に発展せしめて、遂には其の弊害を惹起するやうになる。思想に関しては茲に詳しく述べるは本意でないが思想に於ても中和作用の必要なることは誰しも認める所であらうと思ふ。革命思想は極端に走る。それを中和するに於て始めて真意義を見出すであらう。新らしきものを求めて進む人は須らく反省する所がなくてはならぬ。「先へ先へと妹はすゝむ、あとの目こぼし姉がつむ。」先へ先へと進む人は目こぼしのあることを忘れてはならぬ。

七 愚痴に還れ

 現今文明人種の知識生活は非常なる発育を遂げた。これも自然の勢で已むを得ぬ次第であるかもしれぬ。然し乍ら文明人の知識の過度の使用は既に其の弊害を各所に曝露するに至つた。文明人を滅ぼすものは其知識であることは私の日頃考へつゝある所である。知識の発達が如何に人類の肉体を害しつゝあるかは今更喋々するまでもないが歴史上に見る天才の家系が早く断絶するを思ふと(※11)慄然たるを禁ずることが出来ぬ。優種学は兎角知識の優秀を欲したがる。さればこの点に於てよくよく反省して貰はねばならぬのである。智慧の木の実を食つて楽園の歓楽を永久に失つた人類は、更に知識の為に自体の滅絶に瀕して居る。近代文明の先駆をなしたのはルソーの「自然に還れ」といふ叫びであつた。私は今や「愚痴に還れ」と叫びたくなる(※12)。法然上人も浄土往生のためには愚痴にならねばならぬといつたが、これは一面の真理を語るものではあるまいか。新らしきものを欲するの士は、須らくルーメンとなつて過去を見た方がよいではないか。原始の姿にこそ、其処に新らしき生命が蔵せられて居るのではあるまいか。自由意志も自由形態も到底実現し得られないとしたならば、寧ろ中和作用に住して過度の革命を防禦しやうではないか。――(五月三日稿)――

(※1)原文圏点。
(※2)原文ママ。
(※3)(※4)(※5)原文圏点。
(※6)(※7)原文ママ。
(※8)原文一文字空白。
(※9)(※10)原文圏点。
(※11)原文ママ。
(※12)原文圏点。

底本:『洪水以後』(大正5年5月21日号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1916(大正5)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年3月26日 最終更新:2007年3月26日)