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雪月花論(下)

 鶴(※1)を被て立て徘徊する人に廓大鏡を持たせて、鵞毛に似て飛で散乱する雪を精密に観察せしめたならば、影なき月、薫なき花の本態は、決して蝶の翼のおしろいでも、また鶴のしの毛でもなく、実は六角形の輪廓を有した数種の結晶体の集合なることを発見するであらう。
 然し乍ら通常この結晶は須叟にして其の美麗なる形態を失つて了ふ。これ即ち雪の結晶は特種なる要約(コンヂシヨン)の下にのみ、其形態を表現するのであるが故である。而して其要約の主なるものはいふまでもなく温度である。極微の温度の変化によりて其の固有の形状は崩れて了はねばならぬ。然りと雖も、たとひ其の固有の形状は崩るゝもなほ雪は雪として認識せられ得るのであつて、かの(※2)素の如き芙蓉峰の皚雪はたとひ廓大鏡を手に取りて之を観察するも最早六辺形の何物をも認むることが出来ぬ。
 結晶に就ての精細なる科学的記述は此論の本意でないから省くが、結晶のあるものにはよく成長し発育し且一定の大さに達するときは分裂繁殖するの能力が与へられてある。クロード、ベルナールは其精細なる観察の結果、結晶に故意に創傷を与ふるときは、よくこれを治癒せしめて瘢痕を形成することが出来るといつて居る。雪に於ては去り乍らこの能力が認められぬ。否其要約が与へられてないのである。創傷どころか其の全体が瞬時に混滅して了はねばならぬ、果敢なき運命を持つて居る。
 ところで此雪なるものは、此生成を空気中に存在する水蒸気に俟たねばならぬ。而して又空中の水蒸気は地表よりして蒸発又は其他の理由で発散せられたものである。其処で太陽が現在の摂氏六千度の温度から幾十万年を経て漸次低くなり行き、発光し得る最小限度の温度に立ち至りし時に於ての地表は如何なる光景を呈して居るであらうか。恐らくは(※3)紛たる降雪はなくしてたゞ其の以前降り積みたる雪を以て蔽はれて居るのみであらう。
 雪は本来無色であつて通常は白色を帯んで居る。然し乍らこれは白色なる太陽光線を反射するが為である。従つて太陽の光線なくんば最早雪は白くない。去り乍ら太陽が其の光を滅するも尚星は存在せることは疑ない。生滅を繰返すは宇宙の本体である。星が消滅し、また新生せらるゝことはたえず観察せらるゝ所である。従つて雪は此の長距離から送られたる光を反射して僅かに其の色を認めしむるのみであるに違ひない。さはさり乍ら其頃は既に其の僅かなる白色をも認むる視覚器が存在せぬ。蓋し人雪を残して去り、人去りて雪其色を失ふのであるといつてよい。
 冬眠動物は冬期に於て寒気の為休息の状態に移る。而して九十の春光漸く酣ならむとする時に於て其の蟄居の床を去りて再び新生涯に甦るのであるが、若し地球が漸次其温度を失つて、常に彼等が冬眠せねばならぬ程の温度となつたならば彼等は其後永遠に新らしき生涯に復帰することが出来なくなる。即ち彼等は滅絶せなくてはならぬ。
 冷血動物の滅絶する頃には温血動物は如何。温血動物の特徴として外界の温度の如何に拘らずよく其個体の定温(人体ならば摂氏三十六度五分内外)を保持するのである(※4)、仮に人の意識を麻痺せしめて之を摂氏二十六度内外に放置するときは、其生存は極めて困難となり時には遂に死滅せねばならぬのである。
 温血動物に一定の温度ある所以は、食物の緩慢燃焼 langsame Verbrennung によるが為である。脂肪尤もカロリーに富み、含水炭素及び蛋白質が之に亜ぐ。塩類及び水は間接には其の燃焼に与るけれども、燃料となることは出来ぬ。されば外界から摂取する食物に不足を告げたる場合にはいふまでもなく其常温を保持すること困難となり従つて死滅は免れぬのである、陸は雪に蔽はれ海は氷を以て鎖されたる時、たとひ其時代の人類末裔が絶大なる智能を有するとも、恐らくは其生存を保持すべく施すべき手段はないであらう。
 「若乃玄律窮、厳気升、焦渓涸、湯谷凝、火井滅、温泉氷、沸潭無湧、炎風不興、北戸(※5)扉、裸壌垂絵、」の時に於て、如何かよく人のみ生を楽しむことを得む。「於是河海生雲、朔漠飛沙、連氛累(※6)、掩日韜霞、霰浙瀝而先集、雪紛糅而遂多」と、この謝惠連の雪賦の理論には全部賛することは出来ぬとしても、兎に角其の当時は雪のみ威を揮ふことは疑ないであらう。
 然ら(※7)花に就ては如何。花は雪及月に比して其色彩は極めて豊富である。然し乍ら桜梅桃李、黄菊紫蘭を始め、あらゆる花の色彩を構成せる物質は之を分析すると、唯二種の原色に分けることが出来る(。)(※8)其一は即ち花黄(Blnetengelb 又は Antoxanthin)其二は即ち花青(Bluetenblau 又は Antokyan)である。太田道灌の胆を寒からしめた山吹の花の色も金岡の描いた馬に喰はれた萩の花も、皆この単位色から成立つて居る。然し乍ら月及び雪が反射光なるに比して花には本来の色彩がある。幻影ではなくて実在である。ところで「遠臨十二因縁水多勝三千世界花」と称讃せられ、「六十余回看未飽、他生定作花人」と愛翫せらるゝ花は、実は当該植物の生殖器である。即ち有機体の特性たる利己的根本動向(Der egoistische Grundtrieb)を満足せしめる一階段に外ならぬ。堀川右大臣にあらねども「桜花あかぬあまりにおもふかな、散らずば人やおしまざらまし」と惜しまるゝ落花の本態は、実は彼等の種属保存慾を満足せしめた状態である。
 然し乍ら自然の大法則は唯一不変である。凡ての有機体は全滅の悲運に迎へられつゝある。如何に従来自然淘汰又は相互扶助によつて進化を促がされたといへそは一場の歓楽の夢に外ならぬ。昆虫を誘ふ馥郁の香はやがては泯滅を齎らす破壊の斧となり、人畜を楽ましむる燎乱の色彩は、近き将来に於て其種属の脳天に打ち下さるゝ滅亡の玄翁となるであらう。
 自然淘汰及び人為淘汰(人工的に促進せられたる自然淘汰)又は相互扶助はたしかに生物の進化を促がす最大動機であつたに違ひない。然し乍ら大宇宙の大局に鑑みて之を考ふるに、自然淘汰は軈て生物退化を齎らす魁となることは疑ふ余地がない。この点から推論するときは(※9)人為淘汰なるものは真先に生物滅亡の導火線とならざるを得ない(※10)
 私は予てから人類は其智能の偉大なる発達によつて、其智能其ものの為に自己滅亡の滅亡。(※11)を促すのみならず、人智の応用は他の生物の滅亡をも促すものであると信ずる。温室に養はれたる草花の姿を見るものは誰しも其種が近い内に滅亡しやすまいかと疑はぬものはあるまい。私は人為的に作られた変種にしろ、又は突飛性変化によつて生じた変種にしろ、変種が多く生ずるといふことは其種が早く滅亡するといふ前兆を示すのではないかと思つて居る(。)(※12)かるが故に人が苦心経営して咲かせる奇花珍草は其種の為には実に悲観すべき運命の象徴であらうと考へる(※13)
 以上の理由からして花全体の運命を推するならば人為的に左右せられたる花は最も早く滅亡するに違ひない。美はしいものが移ろい易いといふのはこの点からでも一面の真理を語るものではあるまいか。
 花と人と其何れが後に残るかに就てはなほ多くの思考を要求する。蓋し雪のみ其威を揮ふ時には花は存在することが出来ないことはいふまでもない。かくて花去り、月消えて雪のみ残らむ(。)(※14)但し月の本能は実在せるも、その光を失ふの故を以て月の寿の終局と見做すのであるから、最後まで残る雪も人去りてまた其色を失ふことゝなる。
 あゝ永劫に残る太陽系の遺骸! 温熱より寒冷へ(※15)! これが大宇宙の生滅流転の形相である。温かき生より冷たき死へ! 若し個体発生が系統発生の縮図であるならば、人生は大宇宙の縮図(※16)であることが科学的に断言出来るのである。
 雪月花! 日本に於けるこの三者排列の順序は、偶ま其の寿命の長短に依つたものであることが知られたのではあるまいか。(了)

(※1)「敞」の下に「毛」。
(※2)糸偏に「丸」。
(※3)原文一文字判読不能。
(※4)原文ママ。
(※5)土偏に「瑾」の右側。
(※6)原文一文字判読不能。
(※7)原文ママ。
(※8)原文句読点なし。
(※9)原文ママ。
(※10)原文圏点。
(※11)原文ママ。
(※12)原文句読点なし。
(※13)原文圏点。
(※14)原文句読点なし。
(※15)(※16)原文圏点。

底本:『洪水以後』(大正5年3月21日号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1916(大正5)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年3月19日 最終更新:2007年3月19日)