インデックスに戻る

雪月花論(上)

 一日郭璞の「江賦」を読む。「及其譎変■■(※1)、符祥非一、動応無方、感事而出、経紀天地、錯綜人術、妙不之於言、事不之於筆」といふに至りて感慨無量。更に「煥大塊之流形、混万尽於一科」とあるを誦して誦躍之を久しうす。物理学、化学、地質学、天文学、植物学、動物学、生理学、胎生学等自然科学の各文科によりて従来吾等は其等の夫々担任する各方面の謎を解明せられ、何れも人術を錯綜して研究し得たる造化の妙は、言にも尽す能はず、筆にも窮むる能はざることを知ることが出来た。然し乍ら、その分岐したる各科はいつまでも分岐するをのみ目的とすべきものであらうか。否々煥たる大塊の流形は、万を混じて一科に尽きねばならぬ。私は切に科学の綜合統一を欲するものである。
 龍樹は釋迦以後に於ける仏教を統一した偉大なる天才である。而して彼が仏教を統一せむとするに際して、先づ根本的に知識の性質限界を研究したことは極めて重大な意義のあることゝ思ふ。自然科学によりて得られたる知識は実験を基礎として羸ち得たる所であるから、何処何時にても適用せらるべき普遍性を持つて居る。然し乍ら私はこの自然科学的知識もなほ根本的にその性質限界が研究せられねばならぬことを主張するものである。いつもいふ通り、実験といふものも主観を離れて存在し得ぬからにはやはり其の結果もまた厳正なる批判を受けねばならぬものである。されば私は今後の科学者は従来の科学的知識の批判者となり然る後統一者とならむことを望むものである。(このことは特に他日委しく論ずる)
 私はこの章に於て「雪月花」を論じやうと思ふ。然し乍ら私は古人と共に雪月花の美を謳ひて之を品隲せやうとするのではない。また従来の科学の知り得たる範囲に於て雪月花の歴史を述べるものでもない。雪月花といふ言葉は古から用ひられた言葉であるが、将来いつまでもまたこの三者を並べ唱ふることが出来るであらうかを論じて見ようと思ふのである。換言すればこの三者は果して我等人類の孫裔と共に存在して常に人類の鑑賞の的となり得るものであるか否かを考索して見たいのである。
 「雪月花一度に見するうつぎ哉」といふ句がある。我等は熱帯の沙漠に生れなかつた為に雪を見ることが出来る。我等は氷洋の孤嶋に生れなかつた為に四季折々の花を賞することが出来る。而も睦月、如月の頃には雪月花を併せて同時に鑑賞することが出来る。誠に張若虚にはあらねども「何処春江無月明、江流宛転達芳甸、月照花林皆似霰、空裏流霜不飛」の景色は容易に我等の前に展開せしむることが出来る。然し乍らこの「春江花月夜」の詩を誦して進みて「江畔何人初見月、江月何年初照人、人生代々無窮已、江月年年望相似、不知江月照何人、但見長江送流水」の処に至らば何人も襟を正しくせねばなるまい。江畔何人初見月、江月何年初照人の疑問は既に人類学の知見によりて凡そ精確なる回答を得た。然し乍ら人生代々無窮已、江月年々望相似の句に至りては少しく吾等は考へねばならぬ。考へると同時に吾等はこの句を否定せねばならぬ。何となれば人生代々遂に窮りあるべく、江月年々遂に其の望観を変ぜねばならぬと思はれるからである。不知江月照何人に至りては吾等は作者と共にその想像が逞うしたい。然り問はむと欲すれども長江は語らずして流水を送るのみ、たゞこれを明するものは従来の科学的智見より外にない。
 劉延芝賦して曰く「今年花落顔色改、明年花開復誰在」と又曰く「年々歳々花相似、歳々年々人不同」と。岑參も「今年花似去年好、去年人到今年老、始知人老不花、可惜落花君莫掃」といつて居る。花と人とを対座せしむるとき、いつも人は花の年々相似たるを羨み、我身の宛転たる蛾眉の久しからざるを怨むのである。然し乍ら花も人も一の有機物である。等しく生物である。花は決して不老でない。不死でない。彼等にも寿命がある。彼等も滅せねばならぬ時がある。然らば次に花は何時泯滅に帰し、何が故に滅するかゞ知りたくなつて来る。
 雪に就ては如何。謝惠連の雪賦の中に、「白羽雖白質以軽兮、白玉雖白空守貞兮、不茲雪因時興滅」とある。時に因りて興滅するが故に雪は白羽よりも白玉よりも尊いと述べられてある。然しその尊き興滅そのものは果して幾星霜の間繰返さるゝものであるか。永劫の久しき間に亘るか、または近き将来に終るか。
 かくの如く月も花も雪も皆寿命がある。然らばこの内何が最も早く滅し、何が最も遅くまで残るか。或は三者其の寿を等しうするものであるか。支那では月雪花(※2)といひ、日本では雪月花(※3)といふ。もとよりこの排列の順序は其の寿の長短によつたものでもあるまい。然し乍ら花が尤も下位に置かれてあることは、或は花の寿命が最も短いこと、換言すれば三者のうち花が尤も早く滅びることを語つて居るのではあるまいか。
 雪月花と並べ称するときは必ずや其の対立関係にある(※4)を引き出さねばならぬ。月雪去りて花は残らざるべく、花去りて人また残らざらむ。月去りて雪残るか雲去りて月残るか。乞ふ徐ろに此等の関係を説かしめよ。
 先づ月に就て考へる。源氏物語に「扇ならでこれしても月はまねびつべかりけり」とて琵琶の撥を以て月に準へた話がある。私は其の撥の形が半月に似たるといふ故を以て月を真似たといふよりも、其撥を構成せる材料が木なり象牙なり、生物の遺骸で出来て居たものであるといふ故を以て月を真似たといふやうに強ひて解釈せしめたい。月にも生物と等しく進化もあれば退化もある。火雲星から分裂した時には月も地球と等しく炎々たる火団に相違なかつた。然し乍ら彼は地球よりも早く冷えてしまつた。最早生物の生存することの出来ぬ程冷却しきつて居る。たゞ其の存在の認めらるゝのは太陽あるが為である。太陽光線が其の表面に当つて反射して来るからである。物は凡て冷却すると同時に其容積の減ずることは何人も否む能はざる所であるが、彼がもし冷え切つて了つたとすれば最早其の容積は変ぜぬ訳である。然らば太陽光線の反射線がある間は月は月として認識せらるゝ訳である。物理学に於て全反射といふことがある。光線が一の反射面に投射して反射せらるゝに当り、ある一定の角度にて投射せらるゝときは其の光線の全部が反射せらるゝのである。之を全反射といふが月と地球との位置の関係上、太陽光線は月面によりて其全部を地球の方に反射するやうにはなつて居らぬ、従つて太陽光線が漸次減少してある限度に達するとき、月に投射した太陽光線が地球に反射することが出来ぬことゝなる。かゝるとき最早地球からは月の存在を見わくることが出来ぬ。然し乍らそのときなほ太陽は地球より認め得べく、かくて月は滅びて太陽が残るべき時節が来る。
 ケプレルが発見した太陽系に属する遊星の運動に関する法則、乃至はニユートンの万有引力の法則はたとひ月が地球から認められなくなつた時に於てもなほ且つ遵奉し行はれて居ることゝ思ふ。ケプレルの第一法則は其等遊星が楕円の軌道を以て運動して居るといふのである。凡て楕円の軌道を有するものは常に同一轍を踏まねばならぬ。地球も月も常に同じ轍道を通つて居る(。)(※5)たゞ太陽のみは其の位置を変じない。地球も月と同じ運命を取らねばならぬ。月と等しく冷え切らねばならぬ。冷え切つた時代を死滅と名けると月既に死して次に地球死し、たゞ太陽のみなほ光を発せむ、或は太陽も既に熱団たる能はざるやも知れず。かくてもなほ地球と月の遺骸の運動のみは行はるゝであらう。

(※1)一文字目は「條」の右半分が「久」「黒」を重ねた形。二文字目は立心偏に「兄」。
(※2)(※3)(※4)原文圏点。
(※5)原文句読点なし。

底本:『洪水以後』(大正5年3月1日号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1916(大正5)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年3月12日 最終更新:2007年3月12日)