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近代犯罪の特徴

 犯罪の本質は時代によつて変化はないが犯罪の起り方と犯罪を行ふ方法にはたしかに時代によつて差異がある。文明の進歩と共に人間の生活が複雑になり、従つて犯罪の種類は増加する。然しこの犯罪の種類の増加は、要するに犯罪方法の増加を意味するだけである。之を刑罰の方面から考へて見るならば、時代の推移と共に刑罪の種類が著しく殖えて来た。記録に載つた最も古い刑罰的禁令とも見るべきは所謂モーゼの掟である。即ち旧約聖書出埃及(えじぷと)記第二十章に、「汝殺すなかれ、汝姦淫するなかれ、汝盗むなかれ、汝その隣人(となり)に対して虚妄(いつはり)の証拠(あかし)をたつるなかれ、汝その隣人(となり)の家を貪るなかれ、又汝の隣人(となり)の妻、およびその僕、婢(しもめ)、牛、驢馬ならびに凡て汝の隣人(となり)の所有(もちもの)を貪るなかれ。」と書かれてあるのが是であつて、対社会的としては、主として隣人に対する犯罪が禁ぜられてあるだけである。ところがローマ時代に至ると国家社会の平安を害する犯罪即ち「公(おほやけ)の犯罪」 Crimina publica が刑法の中に加へらるゝに至つた。例へば誘拐、風俗壊乱、親族結婚、強迫、人身傷害の如きものが是である。更に西洋中世の暗黒時代即ち基督教が人々の心を完全に支配した時代に至ると、神に対する不敬の罪や、魔法を使ふことなどが刑法に触れることになり、自殺の如きも犯罪と見做された。西暦一五三二年ドイツのカール五世によつて発布せられた刑法書「カロリナ」の中には次のやうな罪科の数々が挙げられてある。即ち涜神罪、偽誓罪、復讐をせぬといふ誓(ちかひ)を破つた罪、魔法を使ふ罪、人を誹謗する文を草する罪、貨幣贋造、公文書偽造、不自然なる猥褻行為、親族結婚、誘拐、強姦、姦通、二重結婚、放火、強盗、暴動、家宅侵入、毒殺、嬰児殺害、堕胎、自殺、殺人、窃盗、官金費消(ひせう)などが是であつて、犯罪の種類が著しく殖えたことがわかる。
 近代に至つて、自然科学が発達し、諸多の科学的応用が人間生活と密接の関係を持つに及んで、更に色々の犯罪が刑法に加へらるゝに至つた。金庫が発明されると、金庫を破るものが出来、それがための刑法が設けられ、鉄道や電話が発明されゝば、それを保護すべき刑法が制定せられ、毒瓦斯が発見されゝば、それを取締るべき法律が出来るといふ有様である。

 それ故、近代犯罪の特徴といへば、先づ第一に、「科学の応用」をあげねばならぬ。ことに窃盗方法に於て、科学の応用は最も著しい。火に焼けぬ、盗賊に開かれぬ金庫は近代工業の所産である。ところが盗賊は之れに対してダイナマイトに用ふる爆発薬ナイトログリセリンを使用し、更にアセチレン、吹管を使用するに至つた。金庫製造業者と金庫破壊者との間には、実に激烈なる科学戦が行はれて居る。
 詐欺騙盗にも「科学」が応用される。例へば電話を応用して偽名を使つて、商店に商品を註文し、之をかたり取るが如き、又糞便からアルコホルが取れるといふことを言ひふらし、工業会社の建設を企てたりするが如きこれで、その実、実験の際には、予めアルコホルを糞便の中へまぜて置くのである。近代人は迷信を排斥して科学にたよりながら、却つて、科学を過信する傾向があつて、「科学的」といふ言葉に一も二もなく麻酔させられるのであるから、科学を種の詐欺には非常にかゝり易いのである。例へば先年未熟な若返り法が公にされたとき人々が争つて手術を受けやうとした心理などを見るとよく、この間の消息を知ることが出来る。迷信を基とする犯罪が、「科学」を基(もとゐ)とする犯罪と変つたことは、近代犯罪の著しい特徴である。
 昔は人間の生胆(いきぎも)が万病に効能があると信ぜられたがため、その生胆(いきぎも)を得るために屡ば殺人が行はれたが、今は新聞に、とびつきたいやうな巧みな文句の広告をして、いかゞはしい薬剤を重病患者に売りつけ、患者の死を早めて、所謂間接の殺人が公然行はれて居る。罪の軽重をいふならば後者の方が遙かに重い。
 犯罪者が科学を応用すると同時に、探偵の方でもそれに劣らず科学を応用して居る(。)(※1)昔の探偵方法は見込捜索であつたが、今の探偵方法は科学的捜査である。中にも指紋法の発見は、どれ程犯人検挙を容易ならしめたかしれない。犯罪者のうち、科学を最も多く応用するものは常習窃盗者であるが(、)(※2)その常習窃盗は指紋法によつて容易に逮捕されることになつた。最も盗賊の方でも今では非常に用心して、指紋を残さぬやうにして居るが、どんな用意周到な犯罪者でも神様でない限り、どこかに一つや二つの極めて小さい手ぬかりをするもので、それがやがて、探偵の「手がかり」となるのである。いづれにしても現今の犯罪者と探偵との戦(たたかひ)は、やはり「科学戦」といふことが出来る。
 ベルギーの統計学者ケトレーはその著「社会物理学」の中に、「社会は犯罪を生み(、)(※3)犯罪者の腕に武器を与へる。」といつて居るが、現今の科学万能の時代は、正(まさ)しく「科学」といふ武器を犯罪者に供給して居るといつてよい。

 近代犯罪の特徴の第二に数へられることは犯罪の起り方に於ける特徴である。即ち「犯罪の模倣」といふことは強ち近代にのみ行はれることではなく、昔にもあつたことであるが、近代に於てことに新聞紙が普及するにつれて、急に模倣による犯罪が殖えて来たのである。
 模倣性は、人間ばかりでなく動物ことに猿類(えんるゐ)に見らるゝ所であるが、人間に於ては小児の時代が最も模倣性に富んで居る(。)(※4)かの孟母が三たびその居を遷(うつ)したのも、孟子が幼い時物まねをしたゝめである。小児ばかりでなく成人でも精神薄弱者はやはりよく人まねをするものである。犯罪学者モローは犯罪者の模倣性を、絃(げん)の共鳴現象に比較して居る。即ち一つの絃を鳴らして振動せしめるときは、それと同じ振動数の絃が自然に鳴り出す如くに、一つの犯罪が行はるゝと、精神薄弱者は、何といふことなしにその犯罪を行ふものである。精神薄弱者のみならず、先天的に精神に異常のあるもの(、)(※5)例へば癲癇患者の如きは、殆んど無意識に他人の犯罪を真似ることがある。ウルフエンはある癲癇の素質を持つて居る十四歳の少年が、窃盗の話を聞いて、自宅で窃盗を行ひ、五年後、新聞で、郵便脚夫が途中で強盗に襲はれた話を読んで、その翌日、ある街道で、郵便脚夫を待伏して、躍りかゝつて頸をしめ、「金を出すか生命を渡すか」と怒鳴つた話を書いて居る。アメリカの犯罪学者マツクドーナルドはその「犯罪学」の中に次のやうな例を挙げて居る。一八八五年、瑞西(すゐす)ジエネバのある婦人は新聞紙上である婦人がその子を殺した記事を読んで自分も四人の実子を殺した。又一八二八年十月仏国パリーで、ある婦人が、我が子を寝台の上に横臥せしめ、左の手で頭を押へ(、)(※6)右手に鋸を以て頸を挽き切つたといふ惨酷な殺人事件が起り、その後数日間パリー全市はその噂で持ち切つた。すると、ある日、この殺人事件に立会つた医師の所へ、一人の婦人が訪ねて来て、「私には四人の子がありますが、あの殺人事件の話をきいてから、一番下の子を殺したくなつてどうにもなりませんから、どうかこの恐ろしい心を治して下さい。」といつて来た。医師はとりあへず入院せしめて、治療の結果、さうした恐ろしい心は遂に起らないやうになつた。又その恐ろしい殺人事件のあつた頃分娩したある女は、その話を聞いて生んだ子を圧殺したくなつてたまらず、遂に良人(おつと)に向つて、座敷牢へでも入れて下さいと願つた。かうした同じやうな例がその当時この外にまだ二件あつた。
 ウルフエンの「犯罪者の心理」の中にも一九〇五年リンケといふ男が、家族六人を殺し、火を放つて犯跡を晦まさうとして逮捕され、その前年フロイデンベルグといふ者が七人の家族を殺した事件を新聞で読んだからだと自白したことが書かれてある。
 一つの犯罪が行はれ、事件が迷宮に入つて犯人がうまく法網をくゞり抜けて居ることが新聞に書かれると、よく同じやうな犯罪が行はれるものである。大正十一年から十二年の春にかけて、桐ヶ谷(や)六人殺し、鶴橋七人殺害事件など、多人斬(たにんぎり)が重なつたことなどは一の模倣現象と見て差支ないであらう。
 活動写真の如きもたしかに犯罪の種となるものである。ことに犯罪を取り扱つた映画を見て、同じやうな犯罪を行ふ例は数多く、先年日本で例の「ジゴマ」の映画が問題となつたのもそのためである。

 以上が近代犯罪の主要な特徴であるが、なほこの外に諸多の所謂文明的設備が、犯罪を誘発することも考へて置かねばならない。デパートメント、ストーアの発達は同時に婦人の万引の数をも増加した。活動写真館の設置は不良少年に好箇の犯罪場所を提供して居る。日本に於けるダンスの流行が性的犯罪の数を殖して識者の患(うれ)ふる所となつたのもその一であらう。
 性的犯罪といへば、堕胎の如きは近代犯罪の尤(いう)なるものとなつて居る。無論堕胎は近代に始まつたことではないが、所謂世紀末の享楽的な気分にふさはしい一つの犯罪となつたのである。
 文明の進歩と共に人々が強烈なる刺戟を求めるやうになり、モルヒネやコカインの需要が多くなつた結果は、たしかに犯罪の数をも多くした。これは文明国の各都市に於ける犯罪数の統計からでもはつきり見られる所である。今より十年ばかり前ニユーヨーク市で、一週間に十二の殺人事件、百十七の強姦事件が行はれて当局の者を驚かしたことがある。
 かういふ点から考へて見ると、文明といふものはあまり有難くないものと言はねばなるまい。(完)

(※1)(※2)(※3)(※4)(※5)(※6)原文句読点なし。

底本:『家庭科学』大正13年10月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1924(大正13)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2005年6月16日 最終更新:2017年10月6日)