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男の産褥に就て

 生と死、出産と往生とはいつも大なる神秘の領域に属し、科学の曙光は逐次其の真相を明確ならしめむと勤むれど、まだゝゝ(※1)黎明の範囲に属せしむべき状態であつて、之に対する学者の眼前にはなほ翻々として厚き(※2)ールが懸けられてある(。)(※3)
 科学の曙光に接することの少ない民衆ほど、生死に対する観念はいつも神秘的であつて、之に宗教的信念を加味し、幾多の礼式、儀式は行はれ、之を目撃するものに愈深く霊妙なる感覚を与へしめ、科学的知見を以てすれば言ふまでもなく迷信の部類に属せしむべき許多の事情を発見するのであつて、文明の進歩せざる民族の間に行はるゝ儀式及び其れに対する民族の解釈を研究することは極めて興味ある問題といはねばならぬ。
 されば何れの民族にありても、子女の出産時にありては甚だ夥多の儀式がある。而して其等の儀式は何れも主として宗教的観念より編み出されたるものであるが、時を経るに従ひて、其根本的観念は何時しか淘汰せられて了ひ、たゞその形式だけが伝へられて居ることは吾等の常に目撃する所である。吾邦に於ても出産時に於ては色々の儀式を行ふのであるが茲には野蛮民族に於ける「男の産褥」Mannerwochonbott の事を少しく語つて見やうと思ふ。
 産褥とは言ふまでもなく、女子が分娩後、一定時日の間褥上に休息を保ち、分娩機転の余波が(※4)旧して正常の状態に立ち帰るまでの間を言ふのであつて、男が産褥に居れる訳はないのであるが、男の産褥といふのは即ち、母が分娩するや否や其子の父たる者が、其妻の代りの役を勤めることを言ふのである。野蛮民族にありては産の経過は極め(※5)軽く、僅かの苦痛を与へる計りである。通常産婦は十数時間を経れば再び仕事が出来る位回復は迅速であつて、早いものは数時間にして産褥を去つて了ふ。すると其の夫たるものが其妻の居た褥の上か又は自分自身の床の上に横はり、所謂座婦の役を勤めるのである。そして其際極めて羸痩し疲憊した顔付をなし、なるべく口数をきかぬやうにし、極めて細い低い声で談話し、其妻即ち真正の産婦からして重病人のやうに看護して貰ふのである。すると其の朋友や親族のものは之を見舞ひ、真正の患であるかの如く労はり慰め、且其食物動作も悉く産婦の取扱ひをする。通常男子のこの産褥は二三日行ふのであるが時には旬日に及ばしむるものもある。加之あるものは数ヶ月にも亘る。
 男子の産褥の最も多く行はれて居るのは中央亜米利加及南亜米利加の印度人である。彼等の殆んど凡てはこの儀式を行ふ。アルゼンチンの北部に住む Abiponer と称する住民は子が生れると其父は直ちに産褥に就き、活溌な挙動を禁止し家事を廃して了ふ。即ち家事に携はると、生れた子にも害を及ぼすと考へて居るからである。ブラジル種族のある者などは子が生れると父の力がそれが為に消耗せられるのであるから、休息し、看護して其(※6)活を待たねばならぬと推断して居るのである。
 マルコ・ポロの南方支那旅行中に見た所によると、やはり其処の住民が同じやうな習慣を持つて居ると其の旅行記に書いて居るが、東南亜細亜の島嶼に於てもまた高加索地方の住民にも同じやうな儀式を見る。既にヘロドトスは阿弗利加に於てこれが行はれて居ることを語り、欧羅巴に於てはピレニー半島地方、地中海島嶼に見らるゝのである。
 チユーリンゲン Thueringen に於ては現今に於ても、彼処此処に、産室の窓に男子の襯衣を掛ける習慣があるが、これは但し男子の産褥とは関係なくたゞ産児に関する一種の迷信から来た行為である。瑞西のアールガウ Aargau に於ては産婦が始めて外へ出る際は男子の股引を穿ち、ある地方では男子の帽を被る。
 さて男子の産褥時に於ける其の男子は多くは、充分なる看護のもとに愉快なる安息を取り得るのであるが、ある地方に於ては、中々に苦しいのである。此ブラジル地方の習慣などは寧ろ残酷といはねばならぬ。即ち男子は出産と同時に釣し床の上に横はり其小舎の屋根裏に釣され、六ヶ月間其儘にして居なければならぬ。そして食物も殆んど断食同様でパンの中央部だけ食し、其皮は丁寧に之を貯へて置き、六ヶ月の間に骨と皮ばかりに痩せて了つて下に降される。それから直ちに鳥を打つて来る。恰もイスラヱル人が鳩を犠牲にしたと同じ考から之を行ふ(。)(※7)たゞ一回即ち四十日目に下されるが、其時親族知己の者は其小舎に集まり来りて食事を開き其際前に貯へて置いたパンの皮を食するのである。それから其男子の皮膚を所々、Aguti と称する動物の門歯で傷け血を流さしめ、芥子の実を粉にして水で捏ねたものを其傷に塗りつける。其際其男は少しでも声を立てゝはならぬ。それから直ちに釣し床の上に載せられ、またゝゝ(※8)飢餓を忍ばねばならぬ。期満ちて愈よ其釣し床を去ることが出来てからもなほ幾多の禁制を行ふので、例へば其半ヶ年は肉類を食することが出来ぬ。これは若し其間に肉を食すると、生れた子が其動物に似て来るといふ信仰から起つたものである。実際この民族では父となるものは誠に災難といはねばならぬ。
 抑もかゝる習慣は一たい如何なる理由のもとに起つたかといふに、南亜米利加地方に於ける考では、生れた子の身体は母から遺伝せられ、其精神は出産後と雖も父と密接な関係がある。従て生後父の行為は大小となく皆其子の精神的発育に影響を及ぼすから、其精神的発展に害のある事情はつとめて之を避ける工夫をせねばならぬ。それには床の上に横はつて何事もなさぬのが最良の策であるといふのである。欧羅巴人の間では、産褥に男を代らしむると病魔が血迷つて婦人に最も恐るべき産褥熱が起らないで済むと考へられて居る。
 最も自然な、一般に行はれて居る説明はアドルフ、バスチアンの考である。野蛮人種では勿論一夫一婦の掟はなく、従て生れた子は権利義務の凡てが母に属せしめられて居る。また一方に於て花嫁を貰ふ習慣も行はれ、而も通常の種族のを買ひ入れる。買はれてからは其男の所有に帰し又其男の種族に帰化することになる(。)(※9)即ち前の種族の権利は支払ひによつて消滅することになる。然し其の権利は其婦人に就てだけであつて其子には関係がなく、其子は、やはり前の種族の所有物である。されば時には其子が其父と戦ふやうなこともある。これ故かゝる混乱を予防し、かゝる不自然な状態を除かむために、子が生れると母の出た種族に贈り物をして子の所有権を自分のものにするやうになつたのである。即ち其父たるものは其自分の作つた子を買ふといふ有様で極めて不自然な且つ不経済な話である。従つて父が子の所有権を獲得するには母の産の苦しみを自分でも苦しんだ方がよいといふことになり、この「男の産褥」なるものが起つたのである。
 かくしてこの奇妙なる習慣、即ち一見迷信と思はるゝ極めて荒唐奇怪なる行為も、実は理論的打算的に真面目な考からして起つたものであつて、単に男の産褥のみに限らず、幾多世間に流布する迷信的行為も其根本的観念こそ現代の科学的知見に背悖するとはいへ、やはり論理(ロジカル)的に起つたものであることが多いことを自分は信じて疑はない。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文濁点あり。
(※3)原文句読点なし。
(※4)(※5)(※6)原文ママ。
(※7)原文句読点なし。
(※8)原文の踊り字は「く」。
(※9)原文句読点なし。

底本:『科学と文芸』(大正4年11月号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年4月16日 最終更新:2007年4月16日)