インデックスに戻る

音声と表情

 生物表情の主要なる部分を占むるものは言ふまでもなく音声である。鳴かぬ蛍の身を焦すためしもあれど、強烈な感情興奮の際には、いつも音声の発露となるのである。下等なる動物にありては音は主として一定機官の摩擦によりて生ぜしめらるゝのであるが、肺臓を有する高等動物即ち魚類を除く脊椎動物は呼出する空気により喉頭に存する声帯を振動せしめて之を発せしむるのである。而して此呼吸器の作用は心臓機能及血液循環の外なほ感情興奮により著しく影響を受けるのであつて、例へば強く興奮したるとき呼吸は甚しく頻数となるので従つて其呼吸機能に基く音声が情緒表現の魁をなすのも当然である。かくて此音声の単純なるものは共鳴すること少なく、また整然たる秩序なくして、大部分雑音を形成するに過ぎぬ。
 情緒表現としての音声は、そが与ふる印象の強さによりて、劇しく感情を喚起する傾向を有し、且聯想的に同様な感情を誘致するもので、一方からいへばまた表情としての音声は大なる興奮の際に発するものであるから、容易に表情として認知することが出来るのである。多くの動物は最高度の興奮時ことに大なる疼痛または恐怖就中瀕死の際に音声を発するからして、動物はもとゝゝ(※1)甚だ高度な感情興奮にのみ表情をなしたのが、漸次弱いのにも反応するやうになり、遂には微細な興奮にも表情運動を起すものであるらしく考へられるけれども、総じて精神的発展は多くは始めは粗大であつた動作が漸次細密になつて行くといふ様式で示されるものである。而して感情興奮が強い程声帯振動の速度も増加し従つて音声は益干高くなる訳である。
 下等動物の世界では音声を出すのは雄のみで、雌は其能力に欠けて居る場合が多い。ダーウインは雌雄淘汰の結果によるものと思惟した。それ故雌にありては殊に性的感情は音声によりて興奮せられるもので、雄も亦同様である。既に蜘蛛の類でさへ、雄は一種の雑音を発せしめ、人が音楽を奏する時蜘蛛は時々誘ひ寄せらるることがある。

 昆虫(※2)にありては雄の多くは発声器を具へて居る。蟋蟀や蝉は殊に著しい。希臘の詩人クセナルコスは「蝉は仕合せ者である。其妻は声を出さぬ」と歌つて居るが、雄蝉の声は実に一哩の遠きに響き渡るのである。螽(※3)科のあるものは夜分半里を隔てゝ其声を聞くことが出来るので、其音声は何れも唖の雌を招くためであるらしい。プノイモラ Pneumora の雄の如きは全身楽器に変化して、其鳴を強からしむる為に、空気によりて大なる透明の膜嚢に膨らむことが出来、夜になると驚くべき高音を立てゝ鳴きしきる。遠くは既に泥盆期 Devon に今日かのこほろぎ(※4)の有して居るやうな発音装置を持つた昆虫の居たことが明かにせられて居る。其他甲虫類も其の感情興奮を同様に発音によりて表示し、ダーウインは此発音装置の起原を説明して、其の初めは身体の硬粗な部分が偶然接触して其処に摩擦音を発生し、其音響がある目的に役立つことが知れて、其部が漸次発声装置に進化したものであると言つて居る。

 魚類(※5)にありては、雄のみが発音装置を具へて居るものが二種類ある。umbrina は鼓のやうな音を発し、二十尋の深さから之を聞きとること出来る(※6)。而して雄が発声するのは産卵(※7)の間であると唱へられて居る。蛙及蟇(※8)にありてもやはり雄のみが奏楽の技能を有し、主として交尾期の間其れを働かすので、従て雄が雌よりも遙かに発達した発声器を持つて居る。爬虫類(※9)にてもまた発声器は性の第二次性を示すもので、響尾蛇 Klapper schlange の如(※10)は色情興奮の際約半時間其尾を鳴らすと言ふ。鳥類はダーウンの説く所によると凡ての動物の中最も美的で其歌が吾等を深く喜ばしむる所を見ると、彼等は殆んど人類と等しき趣味を有して居ると見做してもよく、雄は多数多様な音楽によりて雌を誘ふにつとめて居る。更に進みて哺乳類(※11)に至ると、色情興奮は普通強き叫びによりて示さるるものである。
 発音を起さしむるものは色情興奮が最も主要であるが其他の喜悦感情もまた之が動機となる。犬は通常歓喜に吠え馬は快楽に嘶き、牛や羊や山羊もはやり(※12)愉悦に鳴くのである。

 喜悦に反して不快の情緒(※13)も甚(※14)しき音声の発露を促がすことは言ふまでもなく、高度の不快感情殊に苦痛、驚駭、恐怖の際に著しい。苦痛に対して犬は吠え牛や獅子は吼る、甲虫類は恐怖の際に其翅を摩擦する。少しの不快の際にも犬や猫は小声に唸るものである。加之蟋蟀や蜜蜂其他の昆虫も此が表情を声高に営み、蛇はかゝる時其鱗をお互に摩擦して憂々たる音響を発せしむる。其他両棲類でも同様であるが、尤も著しいのはやはり鳥類及び哺(※15)類である。
 繊細な感情もまた音を以て表現せらるゝ、友と離れたるときまたは其訃に逢ふとき、取りわけ配偶等の死に於ける不安の情は強き音声となるもので、著明な例証は鳥類に認めらるるが、甲虫のある者にも目撃せられると云ふことである。
 愉悦の情を音声にて表現するとき、同時に緊張感覚を解するために衝動的に発動的に発声せらるゝので、鶏、犬、猿にありては人類の笑と丁度同じやうで、而も猿の如きは其顔面筋の収縮さへ伴ふものである。

 単純な声音は共鳴によりて余韻多き楽音となる。楽音とはかの不規則な非週期的な振動に基く雑音と異なりて、正規的な週期的な振動に基くのである。声音が美しく強く且つ長いときは、自然共鳴を促して遂に立派な楽音となるものである。而してかゝる楽音が高低相諧和してメロデーを伝ふるとき茲に歌が現出する。蜘蛛や昆虫の如き下等なる動物にては其声音は単に同一の音調を繰返すのみなるが、犬の吠ゆるは稍楽音の性質を帯んで居て、剰へ高低さへも有して居る。猿の如きは遙に高低ある音調を以て歌つたりするが、最も発達せるは言ふまでもなく鳥類で、中にも鶯の如きは其の尤なるものとせられて居る。
 鳥類はまた音程(※16) Interval に対する感覚が豊富に発達し、屡固有のメロデーを形成する。然し多くの鳥はいつも一定のメロデーを繰返すのみであるが、中にはナイチンゲールのやうに其歌に多種多様の変化を帯ばしむるのがある。鳥類の中で少しの音諧より持たぬものもあるが多いのは一オクターブ又はそれ以上を出し得るのである。また間隔を置いては歌ふことによりて、歌に句切れが生じ従つて叩く(※17) Schlagen と称せらるゝ場合がある。
音の強弱の変化の正規的に行はるゝこと、即ちリズム(※18)も稀ではあるが動物界に認めらるゝ現象で、既に昆虫に於ても見らるゝ所である。而して発声器の迅速なる振動に基く音の高さ(※19)は多くは感情興奮の強さに符合し、従つて音の高さによつて感情興奮の極度を察知することが出来る。
 歌を発せしむる動機は性的興奮(※20)が主要なものらしい。ミユラーの主張する所に依ると、性慾は鳥の声をして柔美艶麗ならしむるもので、常時に沈黙して居る鳥ですら、其際メロディカルな音を発するやうになるといふ。性慾以外に勿論、歓喜愉悦の情に充されたときも此奏曲を敢てするのであつて、天候が順良なときや糧食が富裕な場合には、鳥の声は必ずや美はしく且つ長くなつてくるのを認める。

 一つの鳥が歌ふとき、それが衝動となつて他の鳥が歌ひ、交互に歌ひ合ふ場合が起つて来る。蝉の如きは一が鳴き止むと他が鳴き始め、更にそれが止むと第三が始めるといふやうな場合に時々遭遇する。甲虫類でも同じであるが尤も著しいのは鳥の雌雄が交尾期に於て交互に歌を取りかわすことである。時として一の歌に多数の者が相応じ独唱から合唱が起る場合が折々ある。北亜来利加(※21)の蟋蟀の類は樹木のずつと(※22)上の枝に登り夕方になつて一つ鳴きだすと隣りの木から隣りの木へと一晩中猛烈に鳴きしきることがある。ブレームの曰ふに、獅子が強い声を出す時そを聞いた他のあらゆる獅子は皆吼ゆるといふ。一犬虚に吠えて万犬実を伝ふる習ひで、猫のやうな動物でも合奏を敢てする。此合唱の尤も多く見らるゝのはやはり鳥類で、而も多くは宮商相和して美はしいけれど、鵞鳥や燕の類は但し喧囂として少しも律呂が調つて居ない。
 独奏にしろ、合唱にしろ、多くは之を聞く者を誘ひ寄せる。ことに生殖の時期には雌は雄の歌に誘はるゝので、蝉の如きはいつも鳴いて居る雄の周囲に雌が慕ひ寄つて居る。そしてある程度まで歌う者自身も其歌の効能を知悉せるものゝやうである。

 以上は動物の音声による直截な表情を述たのであるが音響による表情は単にこればかりではなく、感情興奮の劇烈なる際には間接(※23)に土地又は他の物体に自体の一部を衝当てて音を起成せしむる場合がある。かの馬が感謝興奮の際地を叩くことは誰でも存知する所であるが、他の哺乳類ことに野兎又は家兎に就ても同様の事実が観察せられてある。シヤイトリンの言ふ所によると野兎は太鼓を打つやうな運動を営み、時としてはどんな鼓手も及ばぬ速さで行ふことがあるといふ。鳥類も興奮の際翼もて地を叩き、啄木鳥の如き、ことに性慾亢進の際は甚だしく樹枝を打つのが常である。
 音声を以てする直接及間接表情の中間に位するものと見るべきは、自体に属する器官を摩擦しまたは打ち合して雑音を発せしむることである。高等なる動物にありては四肢を相互に打つか又は四肢を以て躯幹を打つかする。鳥類にありては性慾興奮の際軽く其翼を打つのが常で、フアルケンスタインがゴリラに就て観察した所によると、喜悦の際には両拳を以て胸を叩くといふ。鴨の類に属する Pfeifenente は遊戯のため空中に集合したとき、互に羽を以て打ち合ひ、其響は其姿が肉眼で見えぬやうな遠い所から聞えてくるとグロースは言つて居る。
 其他動物は空洞になつて居る物体を叩いて共鳴の起るのを好むことがある。ゴリラの如きは遊戯の際桶や鉢を敲くことを好み、シンパンゼーなども相寄りて木片などを叩くのが普通である。

 動物の世界を去りて人類の世界に立ち到るとき其表情は遙かに複雑となつて来る。文化の程度の進んだ民族に就ては扨措き、まだ文明の曙光に浴しない即ち原始人類に近い民族に就て之を観察することは動物との比較上極めて興味の多いものである。それ故茲に錫蘭に住むウェツダ Wedda に就て述べて見ようと思ふ。
 ウェツダは人類中其精神的活動の最も低い階級に位する種族である。物を勘定することは不可能で、言語の数も甚だ少なく、想像又は独創の力に乏しく、従つて宗教観念も著しく発達が悪い。見知らぬ者に対しては極めて臆病で、写真機を向けると、恐怖の為心臓の鼓動が高まり、婦人などは戦慄の為に撮影することが出来ぬ。記憶力も薄弱で、事物に対する興味又は好奇心も至つて尠少である。其代り自我の観念は猛烈に強く、刺戟に興奮し易く、憤怒し易く、気に向かぬときは殺戮をも敢てする。それ故一方からいへば至つて正直で、其愛情は濃かで、窃盗などは決してしない。
 最も低い階級のものを自然ウェツダ(※24) Natur wedda と呼び多少高等なるを文明ウェツダ(※25) Kultur wedda と名ける。前者は洞穴の中に住み動植物を餌食とするが、後者は地上の生活を営み智能も多少発達して居る。

 かやうな有様であるから、其表情に於ても原始的なるを免れぬ。苦痛を感じたるとき彼等は唸るのが常で、ことに同胞の訃に接したるときは劇しく唸る。喜悦の際は笑ひ又は歓声を発するが、既に彼等日常の言語其ものにも叫び声が沢山混つて居る。
 彼等の音声はまた一の道具として役立つて居る。即ち夜分森を通過するときなど其獰猛な叫び声を以て歌ひながら、野獣の襲来を未然に防がうとするので、実際野獣は之によつて彼等に近かぬといふ。
 音声による表情は彼等に於てことに歌としてよく発達して居る。但し其歌は多くは粗野な、雑音多き音声からなつて居て清音は極めて少いのである。同じ言葉を度々繰返して、別に意味をなさぬのが多く、ウエツダ自身も自分の歌ひつゝある言葉を全然了解せぬ場合が度々ある。歌はことに歓喜の折に多く、時としては狂気じみて歌ふことがある。
 ゼーリツヒマン等はホノグラフを以てウエツダの歌を撮影し、ウエルトハイメル等は之を分析して二乃至三の清音から成つて居ることを知つたのである。彼等の歌は著しく談話に似通つて居る所があつて、メロヂーには至つて乏しく、他の動物ことに鳥類よりも遙かに劣つて居るのである。またリズムも大部分は不整頓であるが、いつも彼等はなるべく整頓せしめようと心懸けて居る。時として一人が歌ふと他の者が之を受け継いで歌ひ、また屡々合唱を行ふ。其際始めは甲より乙、乙より丙といふ風に順番に歌ひ、終には一緒に声を揃へる。
 間接の表情法は自然ウエツダ(※26)にありては極めて単簡である。彼等は脚を以て地を鼓し、手を以て腹や股や腰や胸を打ち、又は手と手を拍ち合はす、然しこれは多く彼等の舞踏する際に見らるゝ現象である。

 以上は主として音声を以てする感情の表現を述べたのであるが、観念の表現(※27)もまた音声を以てせらるゝことは言ふまでもない。言語(※28)が即ち是れであつて広い意味から言へば言語も一の表情である。かの鳥類が誘引又は警戒の叫びを発するのは、此種の表情に属するもので、誘引及び警戒の叫びは既に昆虫にも認められるといふが、やはり鳥類及び哺乳類に最もよく発達して居る。観念及び意志の表現に使用する音声の数は言ふまでもなく高等の動物に至る程多いのであるが、鶏の如きは少くとも十二個の言語を出し得ると称へられる。犬の憤怒、懐疑、喜悦、希望又は夜の警護の際に発する声はそれぞれ其特色を帯んで居ることは誰しも気附く所であるが、一の動物の音声は時として他の種の動物にも理解せらるゝもので、獅子が飢渇に嘶くときは、多くの他の野獣が戦慄する。猫や犬は主人の声を聞きわけ、鶏の警戒の叫びを犬はよく聞きわくると言はれて居る。
 時には動物の中で著しく言語の発達して居るものがある。鸚鵡の如きは誰しも知れる実例である。ガルネルは猿の音語につき詳しく研究し、「猿が動作する際には必ず音声を発し、音声を発するときは必ず其れに動作を伴ひ、而も其動作は同類の他の者に十分了解せらるゝ」といつて居る。

 人類の世界にありても言語は観念表現の最も進歩した方法である。而してこの言語は他の種の表現の基礎をなし、特に芸術となりて詩歌を形成する。
 ウエツダの言語は多くは感情の表現に用ひられ、彼等の語るとき胸部の呼吸運動は盛んとなつて来る。ことに感情興奮の際は高声に且つ長引いて語り、おのづから歌となつて了ふ。
 愉悦の情に充されたとき、彼等はいつも歌を歌ふ。デシヤンプスは次のやうな歌を記して居る。
 Keheliawel neguna
 Pata, pata gahngen wet na
     (彼はケヘリアウヱルの樹に登り、樹からパタパタと落ちた。)
 歌の内容は多くは極めて貧弱であつて、殆んど意味のない詞が連ねられてあることがある。例へば次の如きがさうである。
 :: Mamini mamini ma deyya ::
 :: Taravelpita keeyeiyo ::
 Kuturung kuturung kiyannan.
 Humbe humbe humbe humbe
 :: Tanini tanini tanane ::

     マミニ、マミニ、マ、デイヤ、
     タラヴエルピタの鳩が
     クツルング、クツルングと言ふ。
     フンベ、フンベ、フンベ、フンベ、
     タニニ、タニニ、タナネ。

 直接の認識又は欲望の際には歌の中に観念の表現が認めらるゝのであつて、彼等が日常生活の出来事就中印象の深いものが、詩材に選ばるゝのである。
 :: Mamini mamini ma deyya :: (意なし)
 Goya putseha ke tenadi (Talagoya が焼かれ食はれた所に)
 :: Tsehulangak wanne :: (風が吹く)
 Miminna putseha ke tenadi (Meninna が焼かれ食はれた所に)
 Tsehulangak wanne (風が吹く)
 Gona putseha ke tenadi (鹿が焼かれ食はれた所に)
 Tsehulangak wanne (風が吹く)
 Adi alla nadi alla pana ralla. (意なし)

 其他自分の動作または他人の動作を歌ひ、特に滑稽に感じたことなどを記憶にとゞめて歌ふのである。
 時としてはまた外界と関係した動作、就中動物其(※29)無生物に対する動作をうたふ。狩猟や食物採取に関して好むで歌ひ、また客観的に外界の事象を歌ふ。雨の降る様や動物の挙動、中にも動物の鳴き声を真似る。例へば鳩は「クツルン」または「コヤロン」と鳴くといひ、鳥は「ジリビリ」と歌ふといふ。物が落つるのを形容して「パタ、パタ」または「ダンニ、パンニ」といふ。
 歌の中に想像を交ふることは極めて少ないが、動物または無生物をパーソニフアイして之に話しかけることはある。子守唄も発達して次のやうなのがある。
   Uyan kolepun a la
   Pana atten watsha la
   Wanduru Kulal kawala
   Nidi waren puta la.
     ウヤンの葉に私か汝を休ませたら、
     パナの木枝で私か汝を蔽つたら、
     ワンヅラの肉を私か汝に食はしたら、
     来て眠れ、わが児よ。
 野獣を近づけないやうに歌ふのにこんなのがある。
   Ittsehatta wallai
   Patshatta wallai
   Dela dewallai
   Situ, appa, situ.
     前に垂れたもの
     後に垂れたもの
     両側に垂れたもの
     止れ、老いたるものよ、止れ。
 これは象に対して歌つたもので、象の鼻、尾及び耳を形容した詞である。
 ウェツダの歌には誇張は極めて稀である。偶ま「この樹は天に触れて居る」などの歌もあるが、宗教的意義を持つた歌には屡々誇張が含まれて居る。また事物の比喩も稀に行はれ、「耳輪が火花のやうに輝く」などの文句がある。

 ウェツダの舞踏音楽等の研究は極めて興味多き事柄であつて、またウェツダ以外の現存の原始民族即ちスマトラのクブ Kubu、アダマン島のミンコピー Minkopie フィリツピンのヱータ Arta 等について、其表情を比較研究するのも面白いがこれ等は何れも記載を他日に譲ることゝする。
 生物の音声は実に欺かざる内心の発露であつて、島の喃々たる虫の喞々たる、何れも尊き自然の真情を語るものである、或は月影多き秋の野に人まつ虫(※30)の声をきく、或は霜夜のさむしろに、衣かたしき独り寝ねつゝきりゞゝ(※1)すをなつかしみ、或は冬の夜のとの居に水鶏のたゝくをしたふ。軒もる犬の遠吠、妻恋ふ鹿のなく音、これ等は皆、我等が精神生活に多大の糧を齎らすもので、天真な大自然の寵児の心の底から流露し来る音声を、比較的に研究して以て自然を楽しむ由縁たらしむるもの、強ち蛇足でないと自分は信ずるのである。(了)

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文圏点。
(※3)虫偏に「斯」。
(※4)(※5)原文圏点。
(※6)(※7)原文ママ。
(※8)(※9)原文圏点。
(※10)(※11)原文圏点。
(※12)原文ママ。
(※13)原文圏点。
(※14)原文圏点。
(※15)原文ママ。
(※16)(※17)(※18)(※19)(※20)原文圏点。
(※21)原文ママ。
(※22)(※23)(※24)(※25)(※26)(※27)(※28)原文圏点。
(※29)原文ママ。
(※30)原文圏点。
(※31)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:『科学と文芸』(大正4年10月号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年4月16日 最終更新:2007年4月16日)