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自然の芸術と人間の芸術

 原始民族から文明人種に到るまで、彼等が芸術のモデルとなるものは、いつも自然物換言すれば造化の作品に外ならない。既に今から何十万年の古、石器時代に於て、人類が棲存せし洞穴の壁やまたは彼等が獣類を殺戮して日常の器具に用ひし角や骨には、其等獣類の形を彫みて、其処に幼稚な、芸術の萌芽を見せて居る。而も其の芸術たるや、天真で巧妙で且完全で彼等が物せし絵画によつて、明確に其当時棲存した、現今は其跡を絶つて居る動物の形態を察知することが出来るのである。
 現今でも、文明の曙光に毫も浴しない野蛮人種にありて、其の芸術的作品は常に、彼等が日常接触する動物を材料に選むで居る。かの中央ブラジルの大旅行を遂げて著名になつた、カルル・フオン・デン・スタイネン Karl von den Steinen はアマゾン河の一支流の沿岸に住へるベカイリ Bakairi 種族が、其当時なほ石器を使用し、未だ嘗て白哲人種を見たこともなく、金属の一片にだに触れたことがないことを発見し、氏は此平和な印度民族の芸術は、悉く自然の模倣(※1)にあることを観察した。即ち諸道具や武器の武装には魚や蛇の鱗の形を彫み、粘土又は織布を以て、罎や其他の容器を作るに、いつも眼に触れ易い動物の姿に似せるのである。
 ブラジルのやうな地方で、動物の身体が、諸器具のモデルにせられることは何も不思議なことはない、すぐに亀や■■(※2)の背甲は其儘立派な容器である。かるが故に原始民族が、之を模倣するのは当然であつて、従つて其他眼に触れ易いあらゆる動物の形に似せむとするのは尤である。実際同氏が目撃した該民族がモデルに用ひた動物の数々は、蝙蝠、栗鼠、黄鼠、木狗、蟻喰獣、■■(※3)、鷹、梟、鳩、信天翁、鷓鴣、鷺、亀、鰐、蜥蜴、カメレオン、蟇、魚類、蟹、百足、扁虱、其他昆虫類などであつた。動物のみならず幾多の果物もまた此目的に叶ひ、瓢箪などは好むで其儘使用せられて居る。かくの如く自然物の模倣が、美術の濫觴をなせることは、単に原始民族や現今棲存の野蛮人種のみならず、あらゆる民族に通有な法則である。かの驀地に大地より生ひ出でて、大空に聳え立つ棕櫚の樹は殿堂や伽藍の柱の原形となり、蓮の花冠や其果実の艶美な形状は紋章やパレツトや皿のモデルとなり、花瓶や甕にはいつも花托の姿が選ばれてある。

 人文の萌芽せし最初の時代にありては、芸術的作品のモデルとなつたものは、いつも植物よりも動物が魁をなして居た。蓋し悽惨な生存競争の修羅場にありて、原始民族に深刻な印象を鐫りつけたものは、言ふまでもなく野生の動物であつて、彼等が領土の占有に成功せむと欲し、又は食料を豊富ならしめむ為には必ずやよく動物の本性を確かめ研める必要があつたからである。加之自由に活動しつゝ生存せる動物は、一定の場所に固着して生活せる植物よりも多大の興味と注意とを喚起するので、単に原始民族に限らず、現今の小児に於ても同様なる心情の発現を証し得ることは、かのヘツケルの原則 Haeckel's Biogenetisches Grundgesetz に照しても明かである。
 追々文化の程度が進むで、民族が土着となり、耕耘に従事するやうになつて来ると、植物の類が彼等の眼につくやうになり、同時に之を芸術にも応用し武器や諸道具の装飾には漸次植物が勝利を得て来るのである。かの Acanthus mollis(水蓑衣の一種)の葉がアラビヤの装飾に好むで応用せられ、柱の頂上又は同様な処に飾り附けらるゝことは現今の建築にも屡々目撃せらるゝ所であつて、薔薇の花や棕櫚の葉は古往今来到る処に其絢爛の趣を伝へ、カルヽ・ウョルマン Karl Woermann は、植物装飾の発見者は古代の埃及人であると記載した。
 装飾や其他の美術的作品に植物が応用せらることは、かくの如き遠き古に萌芽して居るが、爾来年又年を経て、自然の観察は精細となり、其範囲は漸次拡張せられ、現今に於ては、之の目的に用ひらるる花や葉の形状は約六百種の多きに達して居る。而も画家や彫刻家の観察の眼は、日々夜々に新らしき動機に輝き、時々刻々新工夫が応用せらるる様になつたのである。

 抑も芸術家が、新らしき作品を物せむとするとき、いつも先づ自分が経験した、自分に最も親しみ深い郷土の動物又は植物界から材料を獲むと欲することは言ふ迄もない事である。而して若し郷土に於て種が尽きた場合には、濃艶な色彩や珍奇な形態に溢れた熱帯地方などに遊んでそして興味津々たる無尽蔵な芸術の泉を汲まむとする。一方では科学的研究の隆盛に伴ひて、無数の新発見、新知見は齎らされ、動物学植物学の領域に与へられたる赫耀たる光明は、永遠に芸術の世界を甦らせ、茲に到りて科学は遂に芸術と永劫の契を結ぶことゝなつたのである。
 リンネ Linne の時代にあつては、植物の名称と其附属する種の名称を多く知るもの程、偉大な植物学者とせられて居た。されば其当時にあつては、無暗に異種異様の動植物を蒐集貯蔵し、動物学者は動物の皮を剥ぎ又は昆虫を乾燥し或は海住動物や両棲類などをアルコホールに漬け、植物学者は、採集し来りし植物を乾燥して紙に挟み板に圧し、其多きを以て誇りとして居たのである。
 リンネ以後の自然研究は之と全く其歩調を異にして居た。個体又は種属の名称は依然之を用ひたとは雖も、主として各個動物の解剖的造構、其発生状態の穿鑿に努力したのである。併し乍ら其等比較解剖学者又は胎生学者は何れも実験室や研究室に閉ぢこもり死んだ動物や植物の探究にのみ従事し、浩蕩なる外界に出でゝ、直接この溌溂たる生命に触るゝものは絶えてなかつた。かのコンラード・スプレンゲル Christian Konrad Sprengel が昆虫の媒にに(※4)よりて花が受精するてふ大なる自然の秘密(※5)を曝露したに拘らず、彼の名は其著述と共に世の中から忘却せられ、彼が何処で死んで、何処に葬られたかを知るものさへもないといふ有様であつた。
 はじめてかの不朽のチヤーレス・ダーウイン Charles Darwin が出でゝ、活動せる自然界の研究に邁進してから、人々の頭には、かの動植物はみな我等と等しく生活体である、それ故其等の真相を知らむとせば、直接其の生命を探究し、複雑せる内的機転や或は彼等相互の親密なる関係を学ばねばならぬとの観察が泌み込んで来たのであつた。

 ダーウイン学派に養はれた現今の生物学者は、先づ吾等の観察の眼を、顕出せる美又は隠存せる美に注ぐは勿論、生物のみならず、無生物に対しても等しき興味を以て研究するやうになりそして現今の自然研究は、決して乾燥無味な学理や実験のみに止まらず、自分も生物界の一員として、同胞の生命に多大の愛を注ぎ、言ふべからざる清新な、生気を帯びた気分を以て自然の事物に対することになつたのである。されば、森や野や空や水に住む我等同胞に対して我等は無限の喜びを感じ、地下に横はる石片にも、燦然として輝く結晶にも又かの玄冬に積む氷の花、前栽や牧場に馥郁たる四季の芳草、翩々たる蝶、銀色に光る甲虫、囀る鳥、太陽の如く美はしい水母、引いては自然の母が装つた無数の奇蹟のあらゆるものに等しく愛悦の思ひを寄せて観察の歩を進めて行くのである。
 まことに現代は自然的の純科学的観察(※6)に加ふるに芸術的分子(※7)を以てするやうになつた。芸術は人生の花であるてふ言葉が真なりとせば、かくの如き自然の芸術的観察は、科学其物をも遙かに上段に推し遣つたと揚言しても差支ない。而も大自然の母の生産力は無限であつて、かの生物が出来た幾十倍万年前に既に光輝燦然として艶麗美妙なる結晶を生成し、而も今に至るまで瞬時も倦むことなくして、いつも無限に美はしきものを作り出さむことに努め、刻一刻に進みつゝ動物や植物の最美なものを創造し、其間に蜿々たる連鎖をなして居るにも拘はらず、我等の知り得し所のものは九牛の一毛にも及ばない。かくて自然研究は永劫に尽くる所がない訳である。

 先づ吾等は無生物界の芸術品から観察を始める。其内ことに結晶を題材に選ぶ。結晶を眺めて誰しも気附くことは其が平面、直線及び稜によりて限界せられてあることである。そして各個の特性によりていつも同じ角度を以て増加し又は分離する。結晶はいつも数学的標準に従つて左右相称的に建設せらるゝので、此の正規的なることゝ左右相称(シンメトリカル)なることが吾等の美的感覚を満足せしめる所である。かくの如く数学的に一定せる軸と角度とを示し、且つ左右相称なる形を取る理由は疑もなく其結晶を構成する原物質の(※8)質に与るもので、物質の原子又は分子は既に特有な形状を有して居る。かのウァント・ホッフ Van't Hoff が原子が一定の形態を有するてふことを推定したのも無理はないのである。
 結晶には六通りの基形 Grundform を区別する。あらゆる結晶は此中の何れにか属せしめるべきものである。此処では其記載を略するが、結晶に於けると同様に、エルンスト・ヘツケルは原生動物を研究して生活体にも一定の形のあることを唱導した。即ち生物にも軸や左右相称の平面は認められ、其数及面積の関係、其の終点、其挟む角度は等しく数学的に精確に計算、測定し得るので、生活体に於ても其の形状は其れを構成する物質の原子又は分子の本然の形に帰すべきものであると称せらるゝやうになつた。
 もし如上の見解が正しきものとせば、かの鉱、植、動物の三界に於て同一或は酷似の基形が存在せることも容易に肯んずることが出来るのである。単に密度の異なつた液体を混和する時でさへも拡散の関係から、恰も水母のやうな形状を顕はすことは誰しも容易に目撃し得る事実で、時としては此際極めて奇妙なる、艶美なる図象を呈することがある。レドネ教授 Ledne は其著「ミクロコスモス」の中で、十プロセントのゲラチン溶液を硝子板に注ぎ、予め其中に塩類溶液を混和して置き(例へば十五万糎のゲラチン溶液に一滴の硫酸鉄溶液)然る後其上に諸種の溶液(例へば黄色血滷塩、硫酸銅等)を滴らすときは、如何なる巧妙なる人工と雖も決して模造することの出来ぬ美麗な図象を出現するのである。
 理想的の純粋なる基形は常に結晶に於て見らるゝのである。然し乍ら多くの場合、自然の状態にありては、結晶は諸種の障碍を受くるが故に、多様の変形をなすものである。更に生物界にありて、理想的基形を示すものは、水中に浮游せる一個又は数個の細胞よりなれる生物にのみ限られて居る。かの「ラヂオラリア」(射形原虫類)の柔(※9)な細胞原形質は完全な形球を取ることを得、従つて其柔和な塊体の中で、骨骼は結晶のやうに十分正規的の発育を遂ぐることが出来るので、実際「ラヂオラリア」の骨骼は、理論上形成し得るあらゆる基形を呈して居る。

 有機物にありては、其基形を四通り(※10)に区別する(。)(※11)其一は中心が一点をなすもの、其二は中心が一直線即ち軸をなすもの、其三は中心が平面をするもの、其四は身体が左右不相称で不規則なる形状をなすものが是である。
 第一の基形をなすものは、言ふまでもなく球形で水中に住む単細胞動植物が之に類属し、球の表面は時として平坦ならずして小なる氈毛などに蔽はれて居る。其例としては「ラヂオラリア」のあるもの、高等植物の花粉などである。
 第二の基形、即ち中心が軸をなすものは多数の例に遭遇する、或は単一の軸をなせるもの、或は二個の軸が直角に交れるものがある。放射状をなす「ポリープ」や珊瑚、其他水母の類、棘皮動物のあるもの、又は放射状をなす花従つて単子葉植物の大多数、複子葉植物の多数が此類に附属する。
 第三の基形にありては、其中心をなす平面によりて左右の相等しき両半に分たれる。其際互に垂直をなす三個の軸が設けられる。例へば犬を例に取る。最初に鼻から尾端に至る軸を引く、次に背から腹に至る軸を引き、最初(※12)に横腹を左右に貫く軸を引く。其基形は吾等人類にも応用せられてあるが故に、吾等に取りては極めて重要な意義のあるものである。凡ての脊椎動物、節足類、軟体動物等、腹を下にし背を上にして地上を歩く動物は悉く此基形に則つて作られてある。即ちかゝる生活状態にあるが為にはこの形が尤も便利であるからで、ダーウインの言葉を藉りていふならば自然淘汰の結果で(※13)。かくて其形態の遺伝の結果、地上を離れて生活する動物例へば昆虫、鳥類、魚類にも見らるゝ所である。
 翻て思ふに、人工的に造られたる推進運動の器具、例へば車船の類に常にこの基形が認めらるゝことは極めて興味多き事柄である。飛行機や飛行船もやはり同じ設計で建てられる。たゞかの軽気球は水母と同じく放射形が選ばるるが、此の形を以てしては運動の器具には不適で、動物界にありても下等のものにのみ見らるゝ所である。
 左右相称は其他多くの花にも認めらるる、花はもと、植物の先端に附着して自由に空中に開閉せるが故に、放射的に作られたるものなれど、其が密集して存在せざるべからざるときは、相互に其発育を妨害せられ、従つて左右相称となるのであつて、荳科や唇形科植物の花が此の例である。而して動物界に於てもまた、もとは放射的であつたのが、其外囲の条件に強ひられて、左右相称となつたものが少なくない。
 第四の形基は全然無軸な不定形なものである。動物中最下等に属し、細胞原形質の不定形なアミーバの類を始め、海綿類珊瑚類に見らるゝ所で海綿や珊瑚は無数に集合して、やはり不定形な一大群落を形成して居る。
 抑も自然観察の際に受くる吾等の美的感覚又は喜悦の情は、単に上記の基形が与つて力あるばかりでなく、なほ他に幾多の事情が輻輳するが為である。俗諺に「肥桶も百杯」とあるやうに、総じて単純な形態のものでも一線又は一平面に順序よく集合することは、著しく美感を促がすものである。かの「ポリープ」の集落、螺旋軸又は垂直軸に配列せる花を始め、珪藻類や緑藻類、又かの顕微鏡下に見る植物の組織、木の葉の細胞のモザイク、昆虫の眼、蝸牛の舌に生ぜる微小なる歯なみなど数へ挙ぐれば際限がなく、何れも人類に模倣せられて、織物や刺繍に応用せられてある。
 配列の模様以外に我等に美感を与ふるものは色彩の按排である。雲なき大空、一様に茂る深緑の森を誰しも驚き瞻めぬものはないが、平等に輝く色彩に、他の色を染み抜くときは如何に其美を増すことであらう。「紅を彌生につゝむ昼酣なるに春を抽んずる紫の濃き一点を天地の眠れるが中に滴らしたらむが如き」といへるも、「万緑叢中紅一点」といへるも、何れも此間の消息を語るもので、かの花多きアルプスの平原は一様に彩られた緑の芝生よりも遙かに美はしく光つて居る。
 加之個々の花に於ても之と同様の関係がある。一様に彩られた花も奇麗には違ひはないが、やはり吾等は昆虫と共に斑紋多き花弁を選ぶので、昆虫によつて受精を媒介せらるゝ花は何れも多様の色彩を施して昆虫を誘ふにつとめて居る。
 又かの秋の自然界が最も多く愛せらるゝ所以は、単調な緑の夏を過ぎ、この期に至りて樹葉が多様な色彩の変化を来すからで、二月の花よりも紅なる霜葉は古来人の尤も好む所、されば白楊や楓はいつも庭園に植ゑられてある。
 単に植物ばかりではない。各種の蝶類の翅の色彩、光沢を帯びた甲虫或は熱帯の森かげに住ふ極楽鳥や、鸚鵡、これ等はいふばかりなき微妙なる色彩のシンフオニーをなして永遠に祝福せられたる美観を形つて居る。
 ブライテンバツハ Breitenbach が旅行記の一節にも次のやうなことが書いてある。

「不可思議の色に輝く(※14)西洋上の一夜! 黄金の荘厳を成就せし西の大空も、何時しか薄らぎ行きて、熱帯の海は彼方よりして徐ろにたそがれ初め、近くに見えし陸地の景色も夕靄の中に消え去りし時、南の穹窿に星は燦然として一点又一点、魔女のやうな光を放つて居る。私の乗つて居る二本マストの船は、威猛き貿易風に追はれて漲る濤を冒しつゝ、今や驀地に英吉利指して走つて居る。南ブラジルを発してから、勘定すればはや三ヶ月を経た。
 私は甲板に彳みて毎夜海上の妖火に驚嘆の眼を注ぐ。舷を敲く海水は焔の波かと怪まれ、袂を襲ふ泡沫は、宛も鍜冶の巨匠が、熔融赤熱せる鋼鉄を玄翁にて打ち砕く火花かと疑はる。
 加之、眼界の及ぶ限り、海表には一面にこの光の布が敷かれてある。女波男波が打ち寄りて或は玉となり或は矢となりて散乱する様は正にこれ言語道断の偉観である。溌溂として躍る焔の断片は実に柔和で寒冷でそして許多の秘密に輝いて居る。心を静めて之を精察するに、水の全上層は無量無数の点々たる発光体よりなり、而もそはたえず点々移動しつゝある。或は大に或は小に、此処に離散し彼処に集合し、時として広袤たる海表は一様に乳白色の燦光に輝く発光層よりなり、其の発光層の彼方此方に、強烈な数個の光団が、波のまにゝゝ(※15)踊躍舞踏し、或は没淪し或は出現しそして変幻微妙なる活劇を呈して居る。なつかしき大自然の母が赤道に跨る幸多き海に此の幽玄なる粉黛を惜気もなく施しつゝあるを知らば我等は決して自然観察の眼を忽にしてはならないのである。………………」と。

 ロダンはいふ「自然は常に美である。」と、我等の眼に欠陥がある為に美を美として認むることが出来ないのであつて、如何なる境に我等が眼を注ぐと雖もいつも自然は美であらねばならぬ。鉱山の坑道に入りて坑夫の照らすランプの物凄き光の中から、鉱石や結晶の光に驚き、窓に降り積む雪の一片を顕微鏡下に眺めて讃嘆し、深海の奥底から「ラヂオラリア」泥を取り来りて之を検査し、沼の中から珪藻を齎して研究し、又は透明な荘厳な水母の遊戯を激賞し、花多き野に或は罪もなく戯れ或は蜜に群がり寄る蝶々や、進みては熱帯の海辺に落日の雄大を見入り、アルプスの山中に雪や氷の寂寥をたたへ、乃至は鳥の如く天上高くから大地を見下す時に、いつも我等はありとしあらゆる隅々まで美を以て充満されて居ることを認むるのである。
 自然及其の産出物に対し、観察の眼を大にする程益(※16)驚駭の感を深くし、吾等及び吾等が棲存せる大地に漲り溢るゝ天賦の力を賞讃せずには居られない。而して千種万別の事々物々の中に常に自然てふ一定不変の単位を認識し得たならば、吾等の心臓からは軈て新しき信仰の血が迸り出で、我等の胸には最高の平安が横はることになる。而して吾等は科学の進歩によりて益々深く観察を進めて自然の法則を窺ひ、以て世界の包む内面の秘密を曝露するやうにせねばならぬ。
 物理学及化学の法則は、物質的文明を益々拡張向上せしめむとするものであるが、生物学の知見は個人的及び社会的生命と自然との融和を計り、人類をして其の無数の勁敵、悪疫、疾患より漸次解放せむことをつとむるので、自然の事象の美観に横はる法則は、将来我等の生命を諧和し芸術化せねば止まないのである。かるが故に我等は刮目自然の美観を観察して之を範疇となし以て人類特種の芸術の基礎を築き我等芸術の源泉を滾々として尽きざらしめ、且又清新な生気に甦らしめねばならないのである。(終)

(※1)原文圏点。
(※2)(※3)一文字目は獣偏に「九」、二文字目は獣偏に「余」。
(※4)原文ママ。
(※5)(※6)(※7)原文圏点。
(※8)原文ママ。
(※9)車偏の右に「而」と「大」を重ねた形。
(※10)原文圏点。
(※11)原文句読点なし。
(※12)(※13)(※14)原文ママ。
(※15)原文の踊り字は「く」。
(※16)原文の踊り字は「ゝ」を二つ重ねた形。

底本:『科学と文芸』(大正4年9月号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年3月28日 最終更新:2007年3月28日)