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怒気と克己 (怒気の身体に及ぼす影響と其抑制法)

医学博士 小酒井光次

一、精神感動に依る頓死

 怒気の身体に及ぼす影響を説く前に、一般精神感動の身体に及ぼす影響、ことに其のうち極端なる害的作用即ち精神感動に依る頓死の実例に就て少しく述べて見たい。所謂喜怒哀楽の諸情が激烈に発現したときは其の身体に及ぼす影響は殆んど同一であり、其の個体をして死に至らしむることも稀ではない。アリストテレス、プリニウス、キケロなどの記録には喜悦のために死んだ例証を多く記載し、有名な哲学者ライプニツツの姪は、叔父の死後形見として黄金製の玉手箱を貰ひ、喜びの余り死んで了つた。希臘の名医ガレンは喜悦の情は寧ろ憤怒の情よりも危険だといつて居る。
 あまり劇しく笑つたために死んだ例も又記録に載つて居る。エフエメリデスは一姙婦が笑ひ転げた拍子に死んだことを記述し、ロイ、スウインゲルなどの報告にも同様の例が出て居る。又次に劇烈なる悲哀又は恐怖、驚愕のために死に至つた例も数多く、ルイ・ブルボンは亡父の白骨を発掘せし際、恐怖の念に駆られて死に、文芸復興期の最大解剖学者ヴエザリウスは一少女を解剖したとき其の心臓がなほ微動をして居たのを見て悶死したと伝へられて居る。文学的作物には屡(しばしば)これが題材として取り扱はれて居る。シエクスピーアの作「ペリクレス」の中ではペリクレスの妻が難船のために早産して死することが書かれて居り、スコツトの作ガイ・マンネリングの中(うち)にはバートラム夫人が我が児(こ)の死を耳にして早産して死することが書かれてあり、夏目漱石の「虞美人草」の中(うち)には女主人公の藤尾が小野(をや)さんの細君を紹介せられて、其場で殪(たふ)れることが書かれてある。巴里(パリー)の有名な医者ドローは肺病の末期の愛嬢を抱擁して悲哀の極(きよく)娘と共に死し、諸共に葬られた。
 ローダー・ブラントンの記載に依ると、ある大学の門衛が学生にあまりに不親切なるため学生どもは彼に刑罰を加へんことを議(ぎ)した。其の結果、ある寂しい場所に断頭台と斧とを用意して置き、門衛を呼びにやつた。門衛は始め冗談だと思つて行つて見ると、学生達はそれが真実なる旨を神明(しんみやう)に誓つた。門衛は其れを聞くと非常に蒼ざめたが、愈(いよゝゝ)如何ともするなきを知り、顫へ乍ら眼かくしをされて断頭台に近寄つた。そこで学生は斧の代りに、濡れたタオルを頸に投げたが、其の門衛は本当に死んで了つて学生どもは大(おほい)に狼狽した。
 憤怒のために頓死した例もまた稀ではない(。)(※1)英国の外科医ハンターは同僚と学問上の争論をなし、憤怒のために頓死し、ローマのネルバ帝は一元老議員の嘲笑に逢ひて同じく憤怒のあまり頓死し、露国の有名な医家ボダノフスキーは一患者に手術を施し、殆んど之を終了したとき(、)(※2)一助手がわが意に従はぬを怒つて忽(※3)卒倒して死んだ。
 かくの如き例証を挙げれば際限がないが、何れも強烈なる精神感動が頓死を齎(もたら)すことを証するものであつて、勿論其の人の体質にもより、感動の強さにも依ることではあるが如何に精神感動の肉体に及ぼす影響の大であるかを知ることが出来やう。
 抑もかくの如き頓死は何に基因するかといふに、その多くは心臓血管系に及ぼす直接の影響であつて、大生理学者アルブレヒト・ハルラーは之を説明して、血液が大量に脳に突進するため脳溢血を起すためだとした。喜悦のために頓死した一例の解剖の結果、心嚢(心臓を包む嚢(ふくろ))の中(うち)に血液が充満して居たことが記録に出て居る。即ち心臓が破裂したのである。ストランドも心の断末魔(アゴニー)は心臓の破裂を来すと言つた。殊に心臓病に罹つて居るもの又は血管の病的変化例へば動脈硬化症の如き疾患を有する者に、かやうな頓死の来(きた)ることは事実(※4)あるらしい。何れにしても憤怒が命を取るに至つては怒気の身体に及ぼす影響のたゞならぬことを知るに足らう。

二、「怒」の生理

 怒(いかり)に其の程度の大小があり、従つて其の身体に及ぼす影響も区々であるが、怒(いかり)の時の生理的状態を知らむと欲するには、先づ怒(いかり)の表情運動を見る必要がある。
 怒気の循環器系に及ぼす影響は最も著しいものであつて、顔面は紅くなり、額と顎の静脈が怒張する、所謂青筋を立てるとはこのことである。皮膚の潮紅(てうこう)は南アメリカのインド人にも明かに認められるとベルは書いて居る。又反対に心臓の動作が非常に阻害せられて、顔面が蒼白になる場合もあり、心臓病に罹つた人はかゝる場合前記の如く頓死することがある。
 呼吸器系も同様に障害を受け、胸壁はあぶ(※5)ち拡がつた鼻孔は顫へる。テニソンのいへるが如く「怒気のための鋭き呼吸は、彼女の美はしき鼻孔を膨らました」といふ状態になるのである。
 次に興奮した脳髄は、全身の筋肉に力を与へ(、)(※6)それと同時に意志に勢力を供給する。身体は通常真直(しんちよく)に立ち、迅速な挙動の出来得る状態に置かるゝが、又は時として相手の人に向ひて少しくこゞみ(※7)腰となる。口は固く閉ぢ、歯は喰ひしばるゝ。相手は勿論のこと、何物かあたりのものを殴打せんとする欲望に駆られる。小児は憤怒の際、後這(あとは)ひか又は仰向きに寝転び、叫び泣き足を蹴り、あたりのものに獅噛(しゝか)みつく。
 筋肉系が時として前記と全く別様に影響せらるゝことがある。即ち振顫(しんせん)が起つたり、声が嗄れたり、言葉が出なかつたりする。毛髪は逆立ち(、)(※8)眼光は耀き、ホーマーの所謂「火の如く耀く」即ち眼球は充血し、眼窩より少しく突出する。グラチオレツトに依ると瞳孔は常に収縮する。唇は収縮して通常歯を顕はすものであるが、時としては唇は閉ぢて前方に出ることがあるとダーウインは書いて居る。唇が収縮して歯を顕はすのは動物が敵を噛まうとする時の状に似て居り、ヂツケンスは、ある殺人犯が捕へられたとき、其の附近に集(あつま)つた群集の状を描いて、「人々は後から後からと殺到し来り、歯をむき出して野獣のやうな相貌もて彼を睨んだ」といつて居るのは真(まこと)である。
 上記の如き怒気の表情は古来文学者の手によりて巧みに写し出されて居る。シエクスピーアは其の作「ヘンリー五世」の中(うち)に憤怒の特徴を写して次のやうに言つた。「一たび戦争の爆音が耳を襲ふとき人は虎の動作を真似る。筋肉は固くなり、血は逆上し、眼(まなこ)は恐ろしい光を発し、歯は喰ひしばり、鼻孔は拡がり、呼吸は忙しくなる‥‥」と写し得て遺憾がない。
 謡曲「蝉丸」の中には、
「くわつとせき立つ顔貌(かんばせ)に、血筋は真紅の網を張り、髪さかさまに立ちのぼり、瞋恚(しんい)の身ぶるひ、歯をならし、エヽたらされし口惜(くちをし)や恨めしや、妬ましや、思ひ知らずや、此の恨み、思ひしらせん、思ひしれと。天地を睨む両眼に血の涙をはらゝゝゝゝ(※9)はら立(たち)やと、ずんゝゝ(※10)に喰ひ裂きすて、衛士のたく火はものかはの、胸の烟りはくるゝゝ(※11)くる狂ひわななき出でたまふ」とある。
 史記の項羽本記には鴻門の会に樊(はんかい)(※12)の怒つた様を叙し「(※13)遂入(ツテ)(キ)レ(ヲ)西(二)(ヒ)(チ)、瞋(ラシ)レ(ヲ)(ル)二項王(ヲ)一頭髪上指(シ)目皆尽(ク)(ク)」と短かい文章ではあるがよく怒気の表情が述べられてある。
 沙翁(しやおう)の前記の描写の中(うち)には髪の逆立つといふことはないが、東洋の描写には前掲の如く憤怒の際髪の逆立つことを特に述べて居る。かの山中鹿之助の伝の中に、尼子盛久が毛利の軍に攻められて開城したとき、鹿之助が怒(いか)つて、「怒髪悉く張り、試みに一髪(ぱつ)を抽(ぬ)いて窓紙を刺せば、其の鋭きこと鍼の如し」(淺田栗園「読史閑話」(※14)とあるは少しく誇張に過ぎては居るが、兎に角髪の逆立つことを怒(いかり)の表情中重きを置かしめて居ることがわかる。これは東洋人と西洋人の髪の毛の性質により、西洋では髪の毛が軟(やわ)いからよく目立たぬといふ理由があるかもしれぬが、ダーウインは「表情論」の中(うち)に、憤怒の表情中に髪の逆立つことを記して居る。然しダーウイ(※15)の言ふ如く髪は憤怒の際よりも恐怖の際に著しく逆立つものである。従つて「怒(いかり)」と「恐(おそれ)」とが混合したときにこの現象は殊に著しいらしい。恐怖の際髪が逆立つことは西洋の詩人連の常に書いて居る所で、ブルータスはシーザーの幽霊を見て(※16)「私の血を冷し、私の髪を立たしむる」(沙翁(さをう)「ジユリアス、シーザー」)といつて居る(。)(※17)
 以上は憤怒の情の著しい場合の表情運動を述べたのであるが、憤怒の情の弱いときはこれ等の各表情運動の発現も弱いことは勿論である(。)(※18)而してこれ等の表情運動は一たいどうして起るかといふに、いふまでもなく興奮したる感覚中枢の直接の動作に帰すべきものである。然し乍ら動物にありては、ダーウインの言つた如く(、)(※19)敵を前に置いて、攻撃し又は防禦するといふ動作を行はしめなくては怒(いか)らすことが出来ないのである。それ故今から五六十年前に於ては極端なるる説が出て、人間に於ても動物と同じく怒(いか)るときに見らるゝ如き表情運動をするから、怒(いか)るのであると説(せつ)(※20)かれ、丁抹(デンマルク)の哲学者ランゲは、其の「感情論」の中に於て(※21)「母がその子の死を悲しむときに感ずるものは、自分の筋肉の疲労と貧血(※22)した皮膚の冷却と、頭脳の迅速なる思考力の欠乏とである。‥‥驚愕した人から其の表情運動を取り去つたならば、即ち脈搏を遅くせしめ、其の顔色(がんしよく)を元にもどしたならば、最早何処に驚愕があらう?」とさへ言つて居る。即ち怒(いか)つた人から其の怒りの表情運動を取り去つたならば、何処に怒(いかり)がある?といふ論法である(。)(※23)この説は一応尤もではあるが、今日では最早成立しない。何となればかの単なる暗示によりても、よくその表情運動を起さしめ得るからであつて、やはり憤怒といふ中枢の興奮のために、かゝる表情運動を起すものと考ふべきである。

三、「怒」の害

 前節に述べた怒(いかり)の生理現象をよく考ふれば(、)(※24)(いかり)の身体に及ぼす障害も自然に推測することが出来よう。若し循環器系呼吸器系に疾患を有する人が激烈なる憤怒の情に燃えたならば、其の結果は血管の破裂を来し或は脳出血となり、或は肺結核に悩む人ならば咯血の起ることも考へ得やう。健康なる人にも脳に充血を来すために頭痛を起し、又たえず憤怒の情に燃ゆる人は血管の退化を促すことも考へ得らるゝ。殊に老人にありては、たゞさへ動脈の硬化を起し易い状態にあるが故に、憤怒は慎むべきものの一つである。又憤怒はかのヒステリー、癲癇等の発作を起すことも屡(しばゝゝ)記載せられてあつて、而も憤怒によつて身体の受けた「シヨツク」は二三週間も継続すると謂はれてゐる。トロイネルの記載に依るとある姙娠中の女は、憤怒のために流産したそうである。これ等もやはり憤怒が血管系に及ぼした影響と考へて差支なく、従つて一般に内臓の血管系に及ぼす影響もやはり著しいものと見做すべく、血管分布の異常からして間接に身体各器関(※25)の生理作用に異常を来すことも想像するに難くない。
 ヴントは吾人(ごじん)の感情を分けて、快と不快、興奮と沈静、緊張と弛緩とした。これに知覚又は観念が関係して所謂情緒を成すのである。テイチエナーは情緒を性質の上からと時間の上から区別し、なほ性質上に主観と客観とを分ち、主観は心の中(うち)に起る悲喜等の情、客観は他に対する好悪(かうあく)の念で、人に対しては同情、反情、物に対しては愛着と厭忌(ゑんき)となるといつて居る。憤怒はこの反情のうちに数ふべきものであつて、反情は不快を伴ふこといふ迄もない。故にたえず憤怒の情に燃ゆる人々はたえず不快を伴ひ、この不快は軈て人体の生理作用に影響する。即ち不快の際には総ての身体の器関(※26)の作用が緩慢となり、新陳代謝作用が迅速に行はれぬことゝなるのである。これが所謂怒(いかり)の後作用とも見るべきものである。殊に一度激しい憤怒を起した場合には其のシヨツクが前に述べたやうに長く残るもので、従つて神経系統に与ふる障害、引いては人体の生理的機能に及ぼす影響も尠くない(。)(※27)古の人が養生の道として喜怒憂思悲恐驚の七情の慾を慎しむべく教へたのも蓋し至言と謂はねばならぬ。

四、「怒」の沈静と抑制法

 怒(いかり)に公憤と私憤とがある。茲では勿論私憤に就ていふのであるが、私憤にも色々のがあり、古の武士の復讐談などには随分長く続いたものがある。曾我兄弟の十八年、赤穂浪士の一年九ヶ月の如きこれで斯(かゝ)る長時間の憤怒は復讐の目的が達せられて始めて沈静するものである。
 通常の憤怒の際にありても其の怒(いかり)を生ぜしめた原因さへ適当な変化を受くれば、憤怒の情も自然沈静する。又相手に対して怒(いか)つた場合、相手を殴ることの出来ぬやうな場合には他の物品なり、其他のものなりを殴打するか或は毀壊することによつて多少沈静する。石川啄木の歌に「怒(いか)るとき必ず一つ鉢を割り、九百九十九割りて死なまし」といふのがあるが、物を割ると、それで一時は多少なりとも怒(いかり)は沈静する。かようなことは誰しも日常経験する所である。
 一旦怒(いか)つたとき、よしその怒(いかり)がある時間の後ある方法によつて沈静し、常態に復(かへ)つても怒(いか)つたときに受けた生理的変化は之を取りかへすことが出来ない。例へば怒(いかり)のために頓死した人は如何なる手段を講じても之を蘇生せしむることは出来ない。頓死ならずとも、一たび小なる血管でも破裂したならば、よし怒(いかり)は沈静しても破裂した血管を旧(もと)に復することは出来ない。即ちたとひ人を殴打して先方の血管を破裂せしめても、自分の血管の破裂したのを代償することは出来ず、一挙両損とはこの事である。
 意志の力はある程度まで筋肉系統及び呼吸系統に及ぼす影響を防ぐことは出来るが、血管系統に及ぼす影響を防ぐことは至難である。即ち顔面や手足の筋肉の運動を起さぬやうには出来るが、心臓の鼓動は如何とも出来難いのが普通である。むかしからよく言ひ馴らされて居るやうな、喜怒哀楽を色にあらはさぬといふことは意思の力によつて顔面の表情運動を示さぬといふことである。英雄豪傑とか高僧(※28)はこの意思が強かつたのである。然し乍ら心臓の運動とか分泌腺の運動とかは意思によつて左右することの困難なものである。ダーウインの言へるが如く、「茲に飢えた人があつて、其の人の前に美味な食物が齎らされたとき、外部の動作にあらはすことは意思の力によつて防ぐことが出来ても(、)(※29)唾液や胃液の分泌は防ぎ難い。」先代萩の千松が「腹がへつてもひもじうない」といつたのは、唾液の分泌までも抑制したといふ意味ではなかつたであらうと思はれる。
 意思の力の余程強烈ならざる限り、即ち吾等平凡人にあつては、この外部に現はるゝ表情運動でさへ抑制し難きが常である。仏者は貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴を三毒の煩悩として禁じ(※30)居るが、かゝる慾望なり感情なりを抑制することは余程修養を積まねばならぬ。され(※31)親鸞の他力教浄土真宗に於てはかゝる「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」ことが教へられてある。歎異(たんいせう)(※32)の中(うち)には、「ヨク案ジミレバ、天ニオドルホドニ、ヨロコブベキコトヲ、ヨロコバヌニテ、イヨヽヽ(※33)往生ハ一定トオモヒタマフベキナリ、ヨロコブベキコヽロヲオサヘテ、ヨロコバセザルハ煩悩ノ所為ナリ、シカルニ仏カネテシロシメシテ、煩悩具足ノ凡夫トオホセラレタルコトナレバ、他力ノ悲願ハカクノゴトキノワレラガタメナリトイヨヽヽ(※34)タノモシクオボユルナリ」と書かれてあつて、親鸞は煩悩を断絶し得ざる吾等の心をよく見抜いて居たのである。
 然し乍ら怒(いかり)は前述の如く身体に有害なものであるから、其の意味に於て怒(いかり)を抑制することに吾等は心がけねばならぬ。(怒(いかり)の道徳上に及ぼす影響に於ては、この論文に取り扱ふ範囲ではないから省略する)。然し一旦怒(いか)つたならば其の身体に対する影響は免れることは出来ぬから、怒(いか)つたとき其の怒(いかり)を抑制して表現しないといふことでは、(道徳上にはそれでよいかもしれぬが)身体上からは何の役にも立たぬと等しいから、(無論ある程度までは害的作用を防ぎ得ても)厳密なる意味の抑制即ち怒(いか)るやうな事情に遭遇しても怒(いか)らぬといふ様になつて始めて、憤怒の被害から免れることが出来るのである。
 然し乍らかような事は難中の難事であつて、先づ吾等は其の前に怒(いか)りの表情運動を抑制すべき意思の鍛錬をすることが必要であり、又一旦怒(いか)つたならば早く其の怒(いか)りを沈静する手段を取る様工夫する必要がある。「むつとして帰れば門(かど)の柳かな」といふ川柳は憤怒の情を転換する妙機を訓(おし)へたものと見ることも出来やう。早く怒(いか)りを沈静する方法は無論色々あつて、各人之を工夫することが出来やう。
 怒(いか)るやうな事情に出逢つても怒(いか)らぬやうに工夫することに対して古来色々の方法を説くものがあり(。)(※35)「怒(いか)る前に数を三十数へよ」などの如き之である。何れにしてもかゝることは長い間の練習と工夫とによりて始めて達し得らるゝので只管(ひたすら)各人の修養に待つより外はない。
 人々によりて先天的に怒(いか)り易い性質とそうでない性質とがある。甚だしいのになると怒(いか)るべき場合に笑ふ様な性質のあるものも稀ではない(。)(※36)先天的の性質もある程度までは練習によりて矯正し得られぬでもない。殊に近来は催眠術により、かの暗示によつて、著しくかゝる性質を矯め得たやうな実例もある。所謂潜在意識は通常の意思によりては左右し難い部分即ち血管系や分泌系をも自由に左右することが出来易いからして、暗示により、潜在意識の力を藉(か)りて怒(いかり)の理想的な抑制が出来るやうに思はれる。暗示は自己暗示でも同様であつて、自(みづ)から自分の潜在意識を働かすことが出来るやうになれば、怒(いか)るやうな場合に(いか)らで(※37)も済むことが出来るやうになれる。座禅の如きものがむかしから煩悩断絶のために用ひられたのは、かゝる理由によるものと考へて差支ない。
 一般に当今の所謂文明人なるものはマクス・ノルドウの夙に観破した如く、周囲の強烈なる刺戟のために「変質」を来し、殊に神経衰弱に罹つて居るものが多い。神経衰弱者に著しい症状は感情が興奮し易い性質であつて(※38)少しのことにも憤怒し易い。かくの如く神経衰弱から来た性質は宜しく神経衰弱を治療しなければ怒(いかり)の抑制法などの枝葉(しえふ)のことのみを実行しても効果が薄い訳である。「神経衰弱の治療法」は自(おのづ)から別の題目として取扱はるべきであつて、茲に説く範囲ではない。
 以上は怒(いかり)を抑制するといふ消極的の方法であるが、この外に積極的の方法としては、笑ふ性質の涵養である。「笑ふ門には福来る」の諺の如く、たとひ前にも述べたやうに名医ガレンが喜悦は憤怒よりも危険であるといつたとはいへ(、)(※39)それは極端な場合を指すのであつて、笑(わらひ)は道徳上に幸福を齎らすのみならず、身体の上にも好影響を与ふることは今更言ふまでもないことである。たえず歓喜の心に充ちたるときは怒(いかり)は自然其の姿を消すであらう。古人はこの「喜(き)」の情をも発現せしめてはよくないと説いたが、それはガレンの言つた意味と同じ場合の「喜(き)」と解釈すべきものであらう。なほ笑(わらひ)の生理に就ては他日説くべき機会があるであらうと思ふ。

(※1)(※2)原文句読点なし。
(※3)(※4)原文ママ。
(※5)原文圏点。
(※6)原文句読点なし。
(※7)原文圏点。
(※8)原文句読点なし。
(※9)原文の踊り字は「くく」。
(※10)(※11)原文の踊り字は「く」。
(※12)(※13)原文の感じは口偏に「會」。
(※14)原文閉じ括弧なし。
(※15)原文ママ。
(※16)句読点原文ママ。
(※17)(※18)(※19)原文句読点なし。
(※20)読み仮名原文ママ。
(※21)句読点原文ママ。
(※22)原文ママ。
(※23)(※24)原文句読点なし。
(※25)(※26)原文ママ。
(※27)原文句読点なし。
(※28)原文ママ。
(※29)原文句読点なし。
(※30)(※31)(※32)原文ママ。
(※33)(※34)原文の踊り字は「く」。
(※35)(※36)原文句読点なし。
(※37)原文ママ。
(※38)句読点原文ママ。
(※39)原文句読点なし。

底本:『実業之日本』大正11年10月1日号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1922(大正11)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年9月29日 最終更新:2017年9月29日)