一六六五年倫敦を見舞つた「ペスト」の惨状を最も巧みなる筆を以て書いたものは、といはば先づ指をエーンズウオース(※2) W. H. Ainsworth の小説「旧セント・ポールス寺院」Old St. Paul's に屈せずはなるまい。この小説は一八四一年に公にせられたのであるが(、)(※3)「ペスト」と其翌年の大火に襲はれた倫敦を背景とし、当時の貴族社会から下層社会に亘つての風習を精細に写し出し、其処へ恋物語を按排した、極めて面白い一種の歴史小説である。
エーンズウオース(※4)が英国文壇に如何なる地歩を保つて居るかを自分は知らない。彼の書いたものは何れも歴史小説であるが、自分はたゞそのうちの二冊を読んだばかりである。一は茲に紹介するもので、も一つは「倫敦塔」The Tower of London である。がこの二つを読んだ感じは、わが碧瑠璃園の歴史小説を読むだ時と同じである。勿論之は内容即ち事件の推移の面白さに就ていふのであつて、技巧に就ていふのではない。兎に角彼の小説は再読三読なほ倦くことを知らぬといふ面白いものである。
テームス(※5)河に架せるウオータールー(※6)橋に立つと、すぐ眼の前に雲を凌ぐ、円屋根の「ドーム」を見る。これがセント・ポールス(※7)寺院である。カーライル(※8)が「倫敦の方を見れば眼に入るものはウエストミンスター(※9)寺院とセント・ポールス(※10)寺院」といつたのがそれである。然し今のセント・ポールス(※11)寺院は一六六五年大火で焼けた後に建てられたもので、それ以前のを「旧セント・ポールス(※12)寺院」と呼び、エーンズウオース(※13)の書いたのがそれである。「ペスト」流行のとき患者収容所に当てられた有様や大火の時に焼け落ちた光景などが艶麗の筆を以て写されてある。
「ペスト」流行当時の惨状の数々は、デ・フオー(※14)の「倫敦疫病日誌」が基として書かれてあるが、其の技巧に至つては、誰しもエーンズウオース(※15)の方が優れて居ることに気附くであらう。此の中には Loimologia の著名なる例の Dr. Hodges も作中の人物の一人となつて、「ペスト」治療の名医として活躍して居る。話の筋はある雑貨商の家族を中心とし、其の家の娘の美貌を慕ふ放蕩な貴族の群、それに対抗して忠義を尽すレオナード(※16)と称する僕、例の盲目な笛吹き(パイパー)が、さる高貴の人の落胤を娘として連れ、その娘とレオナード(※17)との恋を叙し、遂にレオナード(※18)が大火の際大功を建てゝ其の恋の叶ふと共にアーゼンチン(※19)卿となる所で終る。
中にも、チョウルス(※20)と称する死人車(デツド・カート)の車力兼早桶屋(コフイン・メーカー)とジュヂス(※21)と称する「ペスト」看護婦(その夫は「ペスト」にて死ぬ)とか(※22)馴れ合つて、或は死人の財を奪い、或は「ペスト」患者の膿をうつして殺人をするなど、あらゆる罪悪を縦にする有様は、遺憾なく描かれてある。この二人は後にセント・フエース(※23)寺院の地下室を巣窟として居たので、遂に大火の節、無残な死に方をするのであるが、早桶屋に集る無頼漢(墓場の人夫や、無情な薬剤師など、「ペスト」にて利益を得る連中)どもと、毎夜酒もりを開いて、山と積まれた棺桶を坐席に、さんざめく姿は物凄い。Dr. Hodges がある夜チヨウルス(※24)に用事があつて、レオナード(※25)と共に彼の家を訪ふと、中から、しわがれた声で次のやうな歌が聞えた。
T
To others the Plague a foe may be,
To me 'tis a friend-not an enemy;
My coffins and coffers alike it fills,
And the richer I grow, the more it Kills,
Drink the Plague! Drink the Plague!
U
For months, for years, may it spend its rage
On lusty manhood and trembling age;
Though half mankind of the scourge should die,
My coffins will sell so what care I?
Drink the Plague! Drink the Plague!
一
人にやかたきの疫病神も
俺にやかわいゝ友達よ
棺もつまれば財布もつまる
人がくたばりや金になる
ペスト万歳、万々歳
二
ころしまわれよ、丈夫な奴を
片つぱしから、いつまでも
人が半分に減らうと儘よ
棺が売りあ――かまやせね
ペスト万歳、万々歳
この歌を読むたびに、私は同じ作者の「倫敦塔」の中で、首斬る役の男が斧を磨きながら、夜な夜な歌ふ「首斬り歌」を思ひ出さずには居られない、無論これは何れもエーンズウオース(※26)が自ら作つたものではあらうが、読者に与ふる印象は深い。(夏目漱石氏作「倫敦塔」参照)。
ソロモン・イーグル(※27)Solomon Eagle と称する狂人が、裸で跣足で、頭に薪を燃した火鉢を頂き、市中を駆け巡つて、人々に、上帝の怒りを柔らぐる様、懺悔を勧めて歩いたことは事実であつて(、)(※29)デ・フオー(※30)の「日誌の」(※31)中にも少しく書かれてあるが、この小説中には至るところで、深刻に予言を人々に説いて居る姿が写されてある。ロチェスター(※32)伯が、例の雑貨商の娘に恋慕して、ひそかに娘を奪ひ出し、セント・グレゴリー(※33)寺院に押しこめて置くと、レオナード(※34)が之を知つて奪ひ返しに行く。丁度其処へこのソロモンイーグル(※35)が来合して人々に説教をし始める。
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天にも響く大声を出して彼はいふ。「お聞きなさい、昨夜私が見たまぼろしの話を、よくお聞きなさい。うとゝゝ(※36)としたかと思ふと私は、今私の居るこの同じ所に立つて、壮大なこの建物を見つめて居たのだ。にはかに空がうす暗くなつたかと思ふと、忽ち一寸先もわからぬ闇となつた。すると空に翼の音が聞えて、塔のまはりに見なれぬ怪物の飛びかふ様がありゝゝ(※37)と現はれどつと泣き叫ぶ声がした。と、忽ちその姿はかき消すごとく失せて、別の怪物があらはれた。此度は手にゝゝ(※38)松明を握り、塔を囲んだかと思ふうちに、建物の四方から、むらゝゝ(※39)と火の手が上つた。皆さん、焔の舌が天を舐める有様つたら!。(※40)思はず私は両手で顔を蔽つた。暫くして眼を挙げると、焔は消えて建物は崩れ、燃え残りの柱のみが寂しく突つ立つて居た。その見るも無惨な姿は、どうしても神様の復讐に違ひない。皆さん、上帝の寺は汚されたのだ、だから火で浄めねばならぬのだ。盗み、人殺し、ありとあらゆる罪がこの内側で行はれたのだ。復讐の使徒は現に今此の辺をとび廻つて居る。懺悔しなさい、早く早く。さもないと、頓死、疫病、火事、饑饉が立ち所に来ますぞ。予言者アモス(※41)は何といつた。「主は火を送り給ふべし、火を点じたまふべし」と。今にこの大きな都が一面の火に包まれる。懺悔しなさい、でないと焼けて了ふ。懺悔しなさい早く」。
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この言葉が終ると、レオナード(※42)が群衆の前に立ち上り、ロチェスター(※43)伯が娘を誘拐して現にこの寺院の中に匿つてある旨を告げる。これを聞いた群衆は、それ罪作りめがと、教会内に殺到する。
この外ロチェスター(※44)伯の発起で、皇帝チャーレス(※45)を始め、貴族の連中が、ある夜、ある寺院で、かのホルバイン(※46)の「死の舞踏(トーテンタンツ)」の絵から「ヒント」を得て、各々骸骨に扮装しつゝ、市中の人々の恐怖を渡し目に見て踊りを始める有様、さては避病舎(ペストハウス)の凄惨な状況、墓坑の光景など書くべきことは多いが、詳細は本書に就て見てほしい。
(※1)(※2)原文傍線。
(※3)原文句読点なし。
(※4)原文傍線。
(※5)(※6)(※7)原文二重傍線。
(※8)原文傍線。
(※9)(※10)(※11)(※12)原文二重傍線。
(※13)(※14)(※15)(※16)(※17)(※18)(※19)(※20)(※21)原文傍線。
(※22)原文ママ。
(※23)原文二重傍線。
(※24)(※25)(※26)(※27)原文傍線。
(※29)原文句読点なし。
(※30)原文傍線。
(※31)閉じ括弧位置原文ママ。
(※32)原文傍線。
(※33)原文二重傍線。
(※34)(※35)原文傍線。
(※36)(※37)(※38)(※39)原文の踊り字は「く」。
(※40)原文ママ。
(※41)(※42)(※43)(※44)(※45)(※46)原文傍線。
底本:『医学及医政』大正11年9月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1922(大正11)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2017年3月31日 最終更新:2017年3月31日)