インデックスに戻る

エドワード・ジエンナー(※1)の詩

不木生

 種痘法の発見者としてのジェンナー(※2)の名が、人類の存在とゝもに永劫に記憶せらるべきものであることは今更喋々するまでもない。彼は自分の発見が、比較的短い年月の間に欧米諸国に認められたがために、其の偉大なる功績の齎した栄光を(※3)存命中に楽しむことの出来た程幸福な男であつた。彼は多くの他の天才の遭遇するやうな、悲痛な人間苦を味ふことが出来なかつた。良妻を得たが為に家庭生活に何の不安もなく、職業は繁昌を極めたが故に、貧乏に追はるゝことなく、小柄ではあつたが頑丈な身体の持主であつたがために健康を気遣ふ折もなく、従つて其の生みつけられた豊かな天分を思ふが儘に育み伸ばし得た人であつた。而も生涯の大部分、郷里の田舎に住つて、自然を友とし、自然を楽しみ、或は詩作に、或は奏楽に(「ワ゛イオリン」と笛)後年職に多忙であつた折にも、なほ閑日月を作りて、遠乗りに遠足に、山野の景色に親しむことを忘れなかつた。
 身には青色の上衣、黄色の釦(ボタン)、銀の拍車の附いたよく光る長靴を著け、つば(※4)の広い帽子の下には、そのいつも若々しい青い眼を持つた童顔をほゝ笑ませ、手には銀の柄のついたすらりとした笞を握る。こういふ瀟洒な姿をして人に接するに飽くまで親切に、滾々として尽きざる話題と軽妙なる諧謔とは忽ち相手を魅し了るのが常で (※5)あつた。
 彼は英国の天才に共通なる性質を最も多く具備して居た。即ち常識と観察力が非常に発達して居たのである。彼の「ユーモア」は其の豊富な常識の結晶である。既に八九歳の頃に dormouse(ヤマ子)の巣を蒐め、長ずるに及び同級の生徒が遊戯に費す時間を、化石の捜索に余念が(※6)かつた程早くから自然研究に興味を持つた。彼が後年 Cuckoo(ホトトギス)が自分の卵を他の鳥の巣に置いて孵化せしめることを発見したことなども、彼の観察力の鋭いことを語つて居る。而して彼のこれ等の性質は彼の詩からも窺ひ得るので、茲に一二の詩を紹介して見やうと思ふ。
 ジェンナー(※7)の詩として残つて居るものは極めて少数である。而して、これ等の詩が英文学上重要な位置にある訳ではないが、またよく彼が詩才にも長けて居たことを知るに足らう。彼の詩として人口に膾炙せられて居るものは Address to a Robin(駒鳥へ)と Signs of Rain(雨模様)とである。このうち「雨模様」は、優秀な詩として最も多くの賞讃を博して居るものである。

   Signs of Rain
An Excuse for not accepting the Invitation of a Friend to make a Country Excursion.
 The hollow winds begin to blow,
 The clouds look black, the glass is low,
 The soot falls down, the spaniels sleep,
 And spiders from their cobwebs creep.
 Last night the sum went pale to bed,
 The moon in halos hid her head.
 The boding shepherd heaves a sign,
 For see! a rainbow spans the sky.
 The walls are damp, the ditches smell;
 Closed is the pink-eyed pimpernel.
 Hark; how the chairs and tables crack;
 Old Bett'ys(※8) joints are on the rack.
 Loud quack the ducks, the peacocks cry;
 The distant hills are looking nigh.
 How restless are the snorting swine!
 The busy flies disturb the kine.
 Low o'er the grass the swallow wings;
 The Cricket, too, how loud it sings!
 Puss, on the hearth, with velvet paws,
 Sits smoothing o'er her whisker'd jaws.
 Through the clear stream the fishes rise,
 And nimbly catch th' incautious flies;
 The sheep were seen, at early light,
 Cropping the meads with eager bite.
 Though June, the air is cold and chill;
 The mellow blackbird's voice is still.
 The glow-worms, numerous and bright,
 Illumed the dewy dell last night;
 At dusk the squalid toad was seen,
 Hopping, crawling, o'erer the green.
 The frog has lost his yellow vest,
 And in a digny suit is dress'd.
 The leech, disturb'd, is now risen.
 Quite to the summit of his prison.
 The whirling winds the dust obeys,
 And in the rapid eddy plays.
 My dog; so alter'd in his taste,
 Quits mutton-bones, on grass to feast;
 And see you rooks, how odd their flight!
 They imitate the gliding Kite;
 Or seem precipitate to fall,
 As if they felt the piercing ball.
 'Twill surely rain; I see, with sorrow,
 Our jaunt must be put off to-morrow.

 この妙味に溢れた叙事詩を訳することは、ジェンナー(※9)に取りても、自分に取りても頗る気の毒であるから、たゞ其の意味だけを伝へて置かう。

   雨模様
 野外遠足を催ほしたので、友の招待に応じかねて。
 風はさつ(※10)と吹き初め、むら雲は黒く晴雨計(グラス)は低い。煤は落ち、犬は眠り、蜘蛛は巣を這ひ出づる。昨夜、日は色あせて西に沈み、月はその顔を暈(かさ)に隠した。天候を予知する羊飼ひは、深き太息(ためいき)を洩し、見れば大空に虹が懸る。壁は湿り、小溝はにほひ、るりはこべ(※11)の紅い花は閉ぢて居る。耳を澄せば椅子や食卓(テブール)(※12)がパチゝゝ(※13)と響き、老いたる「ベッチー」の関節はうづく。家鴨がしきりに騒ぎ、孔雀が啼き、遠くの山が近く見える。豚は鼻を鳴らして心落ちつかず、蠅はうるさく牝牛を困らす。草原低く燕は飛び、こほろぎの鳴く音の高さ!。猫(プス)は竈の上で、天鵞絨の足もて、鬚長き口元を撫でて居る。魚は清き流れの表に跳ね上りざま、すばやくも逃げ遅れた蠅を捕へる。暁早く羊の群は、草地の上でせつせと草を食べて居た。六月とはいへ寒さが身に沁み、快活な鶫は声を立てない。昨夜無数の蛍が、キラゝゝ(※14)と露深い渓を照し、たそがれ時には垢じみた蟇が、青野をひよいゝゝゝ(※15)と歩いて居た。雨蛙は其黄色の「チヨッキ」を失くして、すゝけた衣服(きもの)に替へ、蛭は困つて其の牢屋の頂に上る。塵は旋風に連れて、速きうづ巻の中に舞ひ、うちの犬は、すつかり嗜好を変へ、羊の骨は見もしないで草を喰ひに出かける。彼方を見よ、鴉が妙なとび方をする。彼等は凧の辷る真似をして居る。或は又銃丸で射抜かれたかのやうに、何か物が沈澱する有様にも似て居る。こりやたしかに雨だ。――残念乍ら遠足は明日に延さねばならぬ。
 この一詩を以て見るも、如何に彼が自然の忠実な、且精密な観察者であつたかを知ることが出来るであらう。最後に彼の諧謔(ユーモア)に充ちた碑文を紹介する。

   Death and Mr. Peach.
A short dialogue.-N.B. Mr.P. died in April.
P.-Awhile forbear thy horrid gripe
 Do pray, dread Sir; remember
 Peaches are never fairly ripe
 'Till August or September.
D.-To gratify my longing taste.
 And make thy flavour fine.
 I had thee in a hot-house placed,
 And moistened well with wine.

   死とピーチ(※16)
 短い対話――
 因にピーチ(※17)氏は四月に死んだ。
ピーチ(※18)氏―どうか今暫らくあなたの物凄い料理を差控えて下さい。ピーチ(桃)は八月か九月にならねば、充分いろまぬことを御承知でせう。
死――――いやさ、たつぷり口にあふやうに、風味をよくする為、お前に酒を振りかけて、温室の中に置いて貰つた。
(このピーチ(※19)といふ人は、酒のために命を縮めたのである)。

(※1)(※2)原文傍線。
(※3)原文ママ。
(※4)原文圏点。
(※5)原文一文字空白。
(※6)原文ママ。
(※7)原文傍線。
(※8)原文ママ。
(※9)原文傍線。
(※10)(※11)原文圏点。
(※12)読み仮名原文ママ。
(※13)(※14)(※15)原文の踊り字は「く」。
(※16)(※17)(※18)(※19)原文傍線。

底本:『医学及医政』大正11年6月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1922(大正11)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年3月24日 最終更新:2017年3月24日)