インデックスに戻る

明治大帝の御言葉

小酒井不木

 明治大帝の御言葉のうち、申すも畏きことながら、私が最も強き感動を受けましたのは、大帝が嘗て、何かの機会に宮内大臣に向はせたまひて
「卿等は辞職さへすれば、責任を免れることが出来るが、朕には全くその道がない」。
 と仰せられたといふ(※1)この尊い御言葉であります。
 私はこの御言葉をある書物を通じて拝聴したとき、大帝の大御心を恐察して、言ふに言はれぬ、はげしい敬虔の念に打たれましたが、それと同時に、この言葉こそ、大帝が、私のやうな弱い心のものを鞭ちまします有難い御思召と覚悟したのであります。
 私たちは、ある職にあつて事を行ふ時、若し過た(※2)ば辞職するばかりだといふ心を持ち易いものでありまして、どうかするとそれによつて無責任な行動に出ようと致します。然し、仮りに、辞職したくても出来ない位置にあつたとしたならば如何でせう。それこそ、真剣な人間の苦労を嘗めなければなりません。
 又、昔(※3)の武士はよく「死」をもつて、その責任を免れようとしました。けれども、仮りに、死ぬに死なれぬ位置にあつたとしたらば如何でせう。それは実に思つても恐ろしいほど厳粛なことであります。
 私は病気をした当座、死んだつもりになつて、自分の意志によつて病を征服しようと致しましたが、明治大帝のこの御言葉に接したとき、「死んだつもり」は誤つて居ることに気づいたのであります。即ち「死ぬにも死ねぬ」つもりになつて、自分の意志を鍛煉し、もつて病と闘ひ、併せて人間生活の苦悩と闘はねばならぬと覚悟したのであります。
 まつたく、「辞職とか(※4)、「死」とかは、一の卑怯な逃避的行動であります。この二つに最後の避難所を求めては、到底人間らしい仕事は出来ぬと思ひました。
 この尊い御言葉を垂れたまひし明治大帝が、わが大日本帝国と帝国臣民の為めにいかに日夜宸襟を悩ませたまひしかは、申すだに畏く、この御言葉はわれ等臣民たるものが、拳々服膺して、もつて日本臣民たる本分を発揮し、さうして、大帝の大御心に副ひ奉るやう努力しなければならぬところであると思ひます。

(※1)原文ママ。
(※2)一文字空白。
(※3)原文ママ。
(※4)閉じ括弧位置原文ママ。

底本:「医文学」昭和2年11月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和2年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」

(最終更新:2005年9月7日)