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 人間の思想の動きについて、歴史をふりかへつて見ると、いつも極端から極端に走つて居るやうである。例へば極端な唯物主義の後には極端な唯心主義が起るといふやうな有様で、ゲーテの所謂「革命は過度に赴く」といふ言葉を裏書きして居るのである。
 医学の歴史を辿つて見ても、所謂機械説と生気説とは交互に而も極端に行はれて來たのであつて、第十九世紀の中葉から今世紀にかけて、他の自然科学の発達と共に、機械説が全盛をきはめ、疾病治療の際にも、人間の肉のみがその対象とされ、肉の中に包まれて居る心は全然閑却されやうとして居るのである。細菌学、実験病理学等のめまぐるしいほどの発達によつて、各種の病原菌が発見され、各種の疾病の起因が明かにされたのであるから、すべての医学者が、唯物的な立場に立つて疾病に対するのは蓋し当然のことゝいつても差支ないのである。
 ところが、現代の進歩した医学的知識を以てしても、昔から難治とされて居た病は依然として難治であるばかりでなく、なまじ医学的知識が豊富になつたゝめ、却つて患者の恐怖心を誘発し、難治の程度を一層高めつゝあるかの観が無いでなく、治療の方面から眺めて見るならば、何処に医学の発達があるかを疑はざるを得ないのである。
 いかに医学的知識が豊富になつても、治療の実を挙げ得なければ何にもならない。勿論だんゝゝ(※1)医学的知識が豊富になつて行けば、治療の道も開かるべき道理ではあるが、さてさうした時代がいつ来るかはわからず、従つてこの過度時代に難治の病に罹つたものは、医学のためにむしろ犠牲となるべき運命に置かれて居るといつても差支ないのである。
 動物実験によつて発達した近代医学は、人間をも動物視し物質視しやうとし、従つて心に就ての観察をおろそかにした。人間が肉と心から成つて居ることはわかりきつたことであるのに、治療の際には医師は患者の心に就て、あまり注意を払はない。のみならず、医師が却つて、患者に恐怖を与へ、病を重らしめるよすがとなる場合が少くない。この点が、実に現代の医弊の最も大なるものゝ一つであるといつてよい。
 この現代の医弊を除去せんがために、患者の心をも治療の対象とすべきであるといふ主張は、最近に至つて、真面目に論ぜられるやうになつて来たのである。心が如何に疾病に対して大なる影響を与へるかは、わが国のむかしの医学者たちによつて盛んに述べられて居たところであるが、維新以後、西洋の物質文明が輸入されたと同時に、肉を対象とする西洋医学が移植せられ、遂にわが国の先覚者たちの言葉はいつの間にか忘れられてしまつたのである。従つて、難治の病に罹つたものはたゞゝゝ(※2)自分の悲運を歎いて徒らに死んで行くの外はないといふ有様である。
 ところが人間には所謂自然治癒力なるものが具はつて居るのであつて、その自然治癒力を巧みに働かせたならば、多くの病は自然に治癒する筈である。元来、医術なるものは、この自然治癒力を適当に発現せしめる術に過ぎないのであつて、而もこの自然治癒力なるものは患者の心と甚深の関係を有するのであるから、心を顧みない医術は、自然治癒力を思ふ存分に発現させることが不可能な訳である。
 肺結核のごとき難治の病に悩む患者は、現代の医術が如何にたよりないものであるかを痛感するのであるが、いくら医術のたよりなさを痛感したとて病そのものは治るものでないから、多くの患者は医術をうらみ世をうらんで死んで行くより外はないのである。現に私自身も、同じ病に冒されて随分煩悶し焦慮した。さうして、その結果私は、自分の心より外に頼るものはないと知り、心を唯一の武器として病と闘ひ、遂に活路を見出すことが出来た。さうして、その後折あるごとに、心を治療の主体たらしむべきことを説いて来たのである。
 けれども、多くの患者は、まだゝゝ(※3)たよりない現代の医術を頼みにして、自分の心に頼ることに頗る躊躇して居るやうである。単に心に頼るといつて見たところが、如何にして心に頼るか、又心に頼るとはどんなことであるかゞわからぬから、それは無理もない話である。
 この時に当つて、野村氏が「白隠と夜船閑話」をあらはされたことは、非常に意義のある、又、非常に有益な企であると思ふ。何となれば白隠は、心によつて美ごとに難治の病を退治した人であり、夜船閑話は、病を治するために、如何に心を持すべきかを説いた書物であるからである。然し夜船閑話は、何分にも、その文章が現代人にとつて平易でないために、折角の良書も識者以外にはあまり読まれて居らぬのである。それを、今回、野村氏は、平易な、流暢な現代語に訳して、而も原文と対照せしめて紹介されたのであるから、この書は難治の病に悩むものゝ無二の良友となることが出来るのみならず、かねては現代の医弊を除くに足るであらうと思ふ。
 すべて人間の体験を述べた記録ほど尊いものはないが、白隠のやうな偉大なる人格者の体験記録は、その悩みが大きかつたゞけ、それだけ、読む者の心を引きつけないでは置かない。私は世の難治の病になやむ患者が、一日も早くこの書を読んで、一日も早くその心に頼り、もつて白隠のごとく、みごとに病魔を駆逐してほしいと希つてやまないのである。

 大正十五年四月   小酒井不木

(※1)(※2)(※3)原文の踊り字は「く」。

底本:『白隠と夜船閑話』野村瑞城(人文書院・大正15年5月1日発行)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(リニューアル公開:2007年2月26日 最終更新:2007年2月26日)