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眼の畸形

小酒井不木

「ぐわんと拳を眉間に打ち下せば、あはれや両眼ポンポンと飛び出して……」とは、講釈師の十八番である。果して両眼がそんなに容易く飛び出すものかどうかは、実験して見ねばわからず、今のところ進んで実験して見たいとも思はぬが、両眼の飛び出すところは、これを想像するだけでも気味が悪い。そのせゐか凄味をねらつたエドガア・アラン・ポオの「プレヂカメント」といふ小説には、だんゝゝ(※1)頭を絞められて行つて、遂に両眼の飛び出す事が書かれてある。眉間を強く打たれたり、頸をかたく絞められたりする時、眼が飛び出す様な感じのするのはお互に経験する所であるから、極端な場合には、両眼が飛び出さぬにも限らないだが、眉間を打つたり、頸を絞めたゞけでは、普通の場合には、両眼の飛び出すことは稀である。之に反して直接眼窩に向つて指でも突き込むならば、眼は行き場がないから外へ飛び出さゞるを得ない。これを医学上では「眼球脱臼」と称して居る。さうしてこの眼球脱臼は決して稀なものではない。なほ又、もとへもどしてやればそのまゝ治癒してしまふ。
 ところが、一たび眼が脱臼すると、ちやうど顎の脱臼が習慣性となるやうに、時には習慣性となることがあるらしい。「甲子夜話」に、
「余両国橋を往来するに、所謂見世物なる者の看板に、唐子の形なるもの三つ、一は両眼左右に突出したると、一は片眼を扇を以て押し出す体、一は唐子の小鼓を打つ体を画く、一日人を遣はして見せしむ、返て曰く、男子年二一許りとおぼしく、髪を剃りて唐子の頭の如くし、左右に髪を残して総角となし、筒袖ぼたんがけの服をし、下は股引、上は袖無し羽織を著、唐子の容をなし、一帖なる台の上に座せり、其前に大小の鼓二つあり、見る者十人にも満つれば、其者自身大鼓を鳴らし、又自ら出眼の謂れを唱へ、先づ左眼を出さんとて外眥を指にて押せば、眼忽ち脱け出づ、其形円くして眼瞼に酸漿をつけたるが如く見ゆ、それより出でたる眼を撫でるかと見れば、眼入りて元の如し、次に右眼を出すといへば脱出すること前に同じ、これより両眼一同に出さんとて、左右の指にて眥を押せば、双眼発露せり、これも撫で入れ終りて自ら復た大鼓を鳴らし、見物を散ぜしむ。」
 とあるのは、この習慣性の脱臼と見るべきであらう。この例が、一度外傷を受けて脱臼を起してから習慣となつたのか、或は先天的にかゝる畸形をもつて居たかは明かではないが、甲子夜話の著者はなほ念の為に侍医を遣はして、事の真偽をたしかめさせて居るから、術をつかつて胡麻化したものではないらしい。
 甲子夜話ばかりでなく、その他の日本の文献にも同じやうな例は見出されるが、西洋の文献には可なりに豊富にある。ズエルヂユツクははげしい咳嗽をしたゝめに眼が飛び出た例を書き、タイラーは朝早く起きて、フンと鼻からはげしい呼息を出したゝめ、左眼が飛び出した男の例を報告して居る。傍に居た細君は驚いて眼を押しこめ、とりあへず繃帯して、タイラーを招いたが、タイラーが診た時には少し上眼瞼がはれて居るだけで、別に出血はなかつたさうである。
 レイツシーの記録には、火事の時、ポンプのホースから迸る水に眼を打たれ、ために眼球が飛び出した例が書かれてある。グレーフエ氏宝函には、七十五歳の老爺が荷車に頭をひかれ、両眼の飛び出した例が載つて居る。して見ると、講釈師の十八番は、決して度外れの誇張でないことがわかる。
 その昔欧洲大陸ことにオーストリーでは gouging と称する試合が行はれ、眼球脱臼が多かつた。この試合は相手の眼に拇指を突き込んで、眼を飛び出させた方が勝ちだといふのである。随分野蛮な試合であるけれど、それほどに悪い結果を齎さなかつたのは、眼球脱臼なるものが、さまで人間に害を与へぬことがわかる。欧洲にも甲子夜話の記事のやうに、眼球脱臼を見せ物にしてあるいた者は少なくなかつたといふことである。

 三つ目の小僧、一つ目の小僧は、狸や狐が好んで化けたものらしいが、何ぶん当節は、その本家本元が、デパートメントストーアで御婦人たちの頸巻たるべく先を争つてぶら下つて居る始末であるから、もはや永久に御目にかゝることはむつかしいであらう。又、一つ目小僧や三つ目小僧を見たといふ人たちの描写が至つて不完全であるから、その一つの目や、三つの目が、どんな風について居たかを知るさへなかゝゝ(※2)に骨が折れる。「丹後の国変化物語」所載の狐の一目入道の図(江馬務氏「日本妖怪変化史」による)は、凄いのを通り越して、滑稽の感じが起らぬが、でも、薄暗いところで、かうした怪物に逢へば、多少はゾツとすることであらう。だが実際に於ても、一つ目の畸形は無いことはない。一つ目どころか、両眼共に無い例がワーヅワースによつて報告されて居る。さうした怪物は、多くは子供のうちに死んでしまふらしい。なほまた、他の部分の畸形を伴つて居ることが屡々ある。ランヅの見た例は両眼共にない赤ん坊であつたが、両手両足とも指が六本づゝあつた。
 時には一つの眼窩の中に両眼の存して居ることがある。又眼窩が一つだけで而も眼の存在しないといふ怪物がある。が、何といつても少ないのは、額に一つ目のあるといふ怪物である。神話の中に出てくるサイクロツプスはそれであるが、一八八四年にヴアレンチニの報告したところによると、たしかに額に一つしか眼のない男が生れ、七十三時間生きて居たといふことである。この怪物は同時に二唇が二つに裂け、口がゆがみ、鼻が欠け、物凄い容貌を呈して居たといふことである。
 今から三十年ほど前にパリーで、頭のてつぺんに両眼のある怪物が生れた。「賢者の眼は頭につき、愚者は闇を行く」といふ諺から察すれば、この怪物は大賢者になつた筈であるが、遺憾ながらその後の消息を聞かない。物好きなパリー人がその家に殺到したといふことだけは記録に残つて居る。
 同じ頃アメリカのオレゴン州ポートランドに三つ目の小僧が生れてその附近の人々の評判となつた。両眼のちやうど真中どころに小さな眼がついて居たといふのである。これもめつたにない畸形である。
 三つ目の畸形が稀であるよりも、四つ目の畸形は更に稀である。が、その稀な例が実際にあつたから驚く。それは英国の「クリツクレードの四ツ目」の男として名高い例である。ドラリーの記載によると、「実に陰惨たる風(※3)」で、普通の人の一つあるべきところに二つの眼が重なつて存在し、四つ共視力は完全であつた。さうして、そのうちの一つだけをつぶつて他の三つをあけることも出来れば、任意の二つをあけて他の二つをつぶることも出来た。なほ又、一つの目で上方を見一つの目で下方を見、一つの目で右を見、一つの目で左を見ることも出来た。この性質が至つて粗暴で、子供を泣かせたり、動物をいぢめたりすることが好きで、まつたく外貌も精神も妖怪そのものであつた。彼はよく奇声を発して歌を怒鳴つたが、それはとても聞くに堪へぬほど霊感を催ほさせるものであつた。

 豊太閤は二重瞳であつたといふ。果して真実かどうかは保証の限りでないが、古来、英雄豪傑と称せられる人には二重瞳が可なりに多かつたと誰やらの書物で読んだことがある。けれども英雄ならざるものにも二重瞳のあることは事実である。尤も二重瞳といふのはその定義が曖昧で瞳が二つあることを言ふのか、それとも瞳が光線の工合で二重にあるやうに見えるのか、はつきりきまつて居らぬやうであるが、瞳の二つ以上ある畸形には文献で度々出逢ふ。例へばドナーツスの記録には一方の眼に二つの瞳のあつた例を載せ、ベリルやホイエルマンは二つ以上の瞳の例を相当に沢山挙げて居る。一八八五年にヒツゲンスの記述した男の児は右の眼の虹彩に四個の瞳孔が存在して居た。尤もそのうち三つはまんまるではなく裂け目のやうになつて居たといふことである。同じ児の左の眼にも二個の瞳孔が存し、一つは裂け目の形をして居た。さうしてこれは後天的に、例へば外傷などで出来たのでなく、全く生れつきのものであつた。
 水晶体が一つの眼に二個存したといふ畸形も文献に載つて居る。又両眼の虹彩の色が左右不同であるといふ珍らしい例もある。アナスタシウス一世は一方の眼が黒く(、)(※4)一方の眼が青かつた。
 最後に眼の月経を記述してこの項を終らう。月経はいふまでもなく週期的に起る女子の子宮粘膜の出血であるが、時としてこの出血が子宮粘膜から起らないで、他の粘膜から代理的に行はれることがある。その最も屡々なるは鼻の粘膜であるが、稀には眼からも起るのである。ペリニやヘリウイツヒなどの古い記録を始め、西洋の文献には可なり豊富に見出される。出血は勿論粘膜の血管から起るのであるが、リーブライヒは網膜から起つた珍らしい例を記載して居る。
 時には月経が正規的にあつて、それと同時に眼からも出血した例がある。ロウの記載した例がそれで、月経がやめば目の出血もまた止んだから月経と関係のあつたことは疑ふ由もない。
 昔からよく血の涙を流したなどゝいふ悲壮な話が伝へられて居るが、その中にはかうした、いはゞ八百長的な血涙があつたかも知れない。お互に御用心が肝要である。

(※1)(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)「彡」に重ねて縦棒。
(※4)原文句読点なし。

底本:『グロテスク』昭和4年2月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1929(昭和4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年6月2日 最終更新:2017年6月2日)