五年乙 小酒井光次
偉大ナル哉瑞穂国、美ナル哉蜻蜒洲、昔者藤田東湖歌ヒテ曰ク、天地正ノ大気粋然トシテ神洲ニ錘リ、秀デヽハ不二ノ嶽トナリ、巍々千秋ニ聳エ、注イデハ大瀛ノ水トナリ、洋々八州ヲ環ル、開イテハ万朶ノ桜トナリ、衆芳与ニ儔シ難ク、凝リテハ百錬ノ鉄トナリ、鋭利■(かぶと)(※1)ヲ断ツベシ。蓋臣皆熊羆ニシテ武夫ハ悉ク好仇ナリト。壮ナル哉此ノ国、盛ナル哉此ノ邦土、東洋ノ一隅ニ屹立シテ光影全地球ニ陸離タルコノ三■(けん)(※2)ノ国土ハ、天孫一タビ日向ノ峰ニ降臨アラセラレテヨリ、黔首蒼生皆蹇々匪躬ノ節ヲ持チ、王■ニ敵スルノ気象ハ、胸中ニ勃々トシテ膚寸ノ地モ未ダ曾テ外寇ノ侵犯ヲ受ケズ、西暦紀元一千九百有四年、蛮露東亜ヲ荒スコトアリシモ、神州ノ男児ハ海ニ陸ニ彼ヲ敗リ、彼ヲシテ一敗肝脳地ニ塗レ、再ビ起ツ能ハザラシメ、今ヤ世界ノ雄者トナリテ、声威渾円球上ニ振ヘリ、嗚呼又旺ナラズヤ。
抑モ我国ガカクモ栄誉アル地位ヲ占ムルニ至リシ所以ノモノハ何ゾヤ、之ヲ解スル方面ハ夥多ナリ。或ハコレ大和魂ノ然ラシムルニ因ルト云ヒ或ハ結合一致ノ念ノ強カリシニ因ルト云ヒ、或ハ又国民ガ道徳ノ本源ナル忠誠ヲ重ンゼシニ因ルト云フ、而カモ其何レヨリ言フモ、要スルニ国民品性ノ高潔ナルニ因ルト断定スルヲ得ベシ。然ラバ品性トハソモ何ヲカ謂フ、一国ニハ一国ノ品性アリ、社会ニハ社会ノ品性アリ、一身ニハ一身ノ品性アリ。鬱蒼タル大樹モ、巍■タル山嶽モ、亦皆其品性ヲ有スルナリ、一国ノ品性ハ其国民ノ品性ニ支配セラレ、社会ノ品性ハ其ヲ構成スル各員ノ品性ニ左右セラルヽモノナリ。扠、品性ヲ論ズルニ当テハ品性ナルモノヽ字義ヲ云フノ必要アラン、品性トハ品位性格ノ意義ニシテ、人苟モ此ノ世ニ生活セント欲スルニハ、各人互ニ之ヲ高潔ニセザルベカラズ。品性ノ高低ハ其ノ人ノ精神ノ如何ヲ代表スルモノニシテ、其高潔ナル人ハ健全ナル精神ヲ有スルモノト云ヒ、其劣汚ナル人ハ腐敗惰弱ノ精神ヲ有スル人ト判ズルヲ得ベシ。
観ズヤ野蛮蒙昧ニシテ暗愚ナル者ハ、明ニ其品性ノ低卑ナルヲ示セルヲ、夫レ品性ノ人ニ於ケルハ植物ノ土水ニ於ケルガ如ク、植物ニシテ之ヲ養フ土及ビ水ノ欠乏ヲ感ズルトキハ、枯死ノ悲運ニ陥ラザルベカラザルガ如ク、品性ノ劣等ナル人ハタトヒ生命ヲコノ世ニ保ツヲ得ト雖モ、所謂ル酔生夢死ノ人類ニシテ、吾人ノ与ニ語ルベカラザル廃物ナリ。此ニ於テカ吾人ハ益々品性ノ修メザルベカラザルヲ感ゼザル能ハズ。以下暫ク品性ノ修養ニツキテ論ズル所アラシメヨ。
品性ト道徳トハ密接ナル関係ヲ有スルモノニシテ、品性ヲ修養セント欲スルモノハ、其徳性ヲ涵養スベキナリ。如何ニ智慧ハ深遠ナリト雖モ、体格ハ巨大ナリト雖モ、品性即チ徳性ヲ修養スルコトナクンバ、人之ヲ指シテ彼ハ狐狸ノ類ナリト云ハン。宜ナルカナ世ノ教育ハ体育、智育、徳育ノ併行ヲ要ムルコトヤ、嗚呼然リ人ノ此ノ世ニ存スルニハコノ三ツノモノヲ養成セザルベカラズ、而シテ品性即チ徳ヲ修養スルコトハ此等ノ魁タリ。猴■ノ類ハ其体格ニ於テ其智性ニ於テ■モスレバ人類ニ近似スルコトアルモ、猶人類ヲ万物ノ霊長トシテ尊崇スル所以ノモノハ唯ニ此徳性テフモノアルニ因ルナラズヤ。
品性即チ徳性ヲ修養センニハ種々ノ途アルベシト雖モ要ハ吾人ノ本務責任ヲ自覚スルニアリ。吾人ノ本務責任トハ如何ナルモノゾヤ。他ナシ、祖先ノ国土ヲ辱シムルコトナク、益ス国運ヲ発展セシメ、外ハ我国光ヲ八表ニ輝カシメ、内ハ忠誠ノ臣道ヲ明カニシ、人倫五常ノ道ヲ守リテ、各自ノ分ヲ励ミ、以テ国家ニ貢献スルニアルナリ。而シテ此レ等ノ本務責任ヲ遂行センニハ、須ラク広ク智識ヲ世界ニ求メ上下心ヲ一ニシテ規画経営ヲ為スベキナリ。嗚呼若シコレ等ノ本務責任ナルモノヲ考ヘテ、尽サヾルベカラザル自己天職ノ存スルヲ思ハヾ、吾人何ゾ悠々緩々タルヲ得ンヤ。若シ吾人ガ此ヲ思ヒ、彼ヲ考ヘテ、コノ重大ナル責務ヲ果サントスレバ徳性ハ自ヲ修リテ遂ニハ完全ナルモノニ成シ得ベキナリ。換言スレバ、即チ完全ナル品性、高潔ナル品性ハ期シテ望ムコトヲ得ベキナリ。
翻ツテ思フニ、我等ハコレ神洲ニ生ヲ稟ケタル一男子ナリ。而モ活気ヲ養成スベキ青年ノ時代ニアルナリ。前途多望ナル学生時代ニアルナリ。吾人ハ当ニ吾人ノ学業ニ黽勉拮据シテ怠ルコトナク大ニ活気ヲ養ヒ古今ヲ通ジテコノ世ニ現レタル偉人豪傑ヲ理想トシ、且ツ身体ノ鍛錬ニ注意シテ、吾人ノ責任ガ膨張的国力ノ進長ニアルコトヲ感ジ、之ヲ全クスルハ精神ノ修養ニアルコトヲ忘ルヽコトナク、常ニ臣民忠誠ノ大節ヲ胸中ニ確持シテ以テ其希望ニ進ムベキナリ。嗚呼保守ノ見ヲ抱キテ国ヲ鎖シ、唯ニ桃源洞裡ノ惰眠ヲ貪リシ時期ハイツカ去レリ、吾人ノ品性ハ宜シク積極的ニ向上セラレザル可カラザルナリ。
嗚呼時代ノ花ナル青年ヨ、日本帝国ノ前途ヲ担フ青年ヨ、徒ラニ空想スルヲ止メテ汝ノ品性ヲ高潔ナラシメ、積極的ニ活気ヲ帯ビシメヨ。聞ケ我レ再ビ言ヲ繰リ反サン、品性ノ修養ハ自己ノ責務ヲ自覚スルニアリト。
(※1)Unicode:U+936A
(※2)Unicode:U+97AC
※その他■はテキストのかすれ等により判別不能。
底本:「学林」 第64号 明治40年7月12日発行
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1907(明治40)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2020年5月24日 最終更新:2020年5月24日)