亡佐藤信章君と契を結び、日月に親を深くし、如何なる魔王と雖も絶つべからざる刎頚の交をなし、三年の長き間、互に相援け相救ひて今に至りぬ。然るに時は明治三十七年五月六日、我が第一中学校と明倫中学校との聯合運動会は開始せられぬ。時に君は障害物の競争をなされけるが、俄然心臓病の発作するありて、多数の医師の手を経るも、遂に回復の望なく、果敢なくも黄泉の客とぞなられたる、嗚呼夢か真か、回想すれば君が生前我は平素君に向ひて過度の無礼を言ひ君を怒らしめたりき。今更我は自ら之れを悔ゆるの外なし、嗚呼逝く者は招けども帰らず、既往は悔ゆれども及ばず。瞑想一番すれば、ありしながらの君の面影髣髴として現はれ、余が心をして猛獣に噛まれ、毒蛇に呑まるゝが如く感ぜしむ。是に於て聊か亡佐藤信章君の追悼の意を表す。
明治三十七年五月九日 第三年級乙組 小酒井光次
底本:「学林」 第58号 明治37年7月12日発行
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1904(明治37)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2020年4月12日 最終更新:2020年5月17日)