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人生科学(6) 生命起原論(上)

 『子曰、由誨汝知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也』とは論語に載せられた尊い言葉である。之を西洋に見るも、希臘文明に於ては、人心は思考の絶頂に達したのであるが、その時すら大聖ソクラテスは、自分の賢なる所以は、何も知らぬてふことを自ら知つて居る所にあると叫んだ。其後二千年を経て始めてこの希臘文明を凌駕すべき文明がゲルマン種族によりて樹立せられ、単に思想の上のみならず、自然研究に最も絢爛の華を飾ることが出来た。然るを十九世紀の末、大生理学者ヂユ・ボア・レーモンは「世界の七不思議」と題する論文を草し、其冒頭には哲学字典 Dictionnaire philosophique の次の如き数行を引用して居る。
“Je ratifie anjourd'hui cette confession avee d'autant plus d'empressement, que l'ayant depuis ce temps bcaucoup plus lu, boauconp plus medit'e et 'etant plus instruit, j'e suis plus en 'etat d'affirmer que j'e ne sais rien”
 「私は今心から白状する、たとひ私が今後如何に多くを読み、如何に深く考へ、如何に賢くなるも、そはたゞ私の何も知らないといふことをたしかめるに過ぎないと」
 ゲーテフアウスト博士をしていはしめた詞にも Das will mir schier das Herz brennen. 「心臓が燃ゆるやうだ」とある。この気分、この情調は、実に自然研究者の何人の胸にも胚胎して居るであらう、況してや千古未決の問題たる生命の生物起原の論議に関しては、たゞゝゝ(※1)ヂユ・ボア・レーモンの Ignoramus et Ignorabimus (現在知らず、未来も知らざらむ)の語を繰返すより外は無からうと思ふ。
 原人論に、「拠此則心識所変之境、乃成二分、一分即与心識和合成人、一文不与心識和合、即是天地山河国邑」とあるが、何等科学的説明は含まれて居ない、生理学及び生物学は前世紀より非常なる進歩を遂げたけれども、而も其等科学が此問題に関して得たる所は「生物は生物より生ず」てふ事に過ぎないのである(※2)
 シユワンが始めて細胞を発見したる以来、生命の最小単位は細胞であると見做され、動物及植物界に於て、単細胞体及び多細胞体を区別し、後者は多数の細胞が集合して出来て居ることを知り、而して其多細胞体は其源に遡るとやはり一個の細胞であつて、其細胞が分裂増殖して成つたものであることがわかり、茲に始めて Omne vivum e vivo (生物は生物より生ず) Omne vivum ex ovo (生物は卵より生ず) Omnis cellula e cellula (細胞は細胞より生ず)等の法則が成り立つた訳である。
 動物細胞にしろ、植物細胞にしろ、二種の成分即ち原形質と核とから成り立つて居る。而して原形質は主として其個体の栄養を司り、核は主として生殖を司るので一の細胞が新個体を生ずるには必ずや分裂によりてのみ目的が達せらるゝことも断言せらるゝやうになつた。
 生物が生物より生じたことは何人も首肯し得る所であるが、次に起る問題は「最初の生命は一体如何にして生じたか(※3)」である。卵が先へ出来たか鶏が先へ出来たかは俗間にも度々生ずる疑問である。そこで古来之に対する解答を綜合して見ると二種に区別することが出来る。其一は創造説、其二は自然発生説である(※4)。自然発生説は実に古代より何れの国にも行はれた考であるから、茲に暫く其歴史を語つて見やうと思ふ。
 希臘古代にありてアイオニアの自然哲学者は、極めて深く自然界を観察研究し、彼等の間に既に自然発生説は行はれて居たのである。例へばアナキシマンデルの如きは蛙其他の両棲類又は爬虫類は泥土から発生するものであるとの考を抱きアリストテレスもまたやはり同じやうな考を持つて居た。
 中世になつてもなほこの自然発生説は中々勢力を持つて居る。十七世紀の頃ヘルモントは汚れた衣服または麦粉から鼠が出来ることを主張し、ことに蛆が肉から生じて来るものであることは何人も信じて疑はなかつた所である。ところが十七世紀の凡そ半ばレーヂが腐敗した肉に生ずる蛆は蠅の幼虫であつて、肉に金網を張つて蠅が触れることが出来ぬやうにすると蛆が生ぜないことを証明し、またかの有名なスワンマルダムが昆虫生活を研究して当時の自然発生説を打破つたのである。就中最も力のあつた説はハーベーの発生学である。彼は「生物は卵より生ず」てふことを主唱した。けれど彼はやはりプレーヤーが看破したやうにこの自然発生説を幾分か信じて居たのである。かの腸管に寄生する蠕虫類は十九世紀に至るまでも自然発生するものとの考があつた位である。ましてやかの最小なる単細胞原生物即原生動物やバクテリアは疑もなく自然発生によりて生ずるものと思惟せられて居た。
 バクテリアは一六七五年始めて和蘭のリユーウエンフツクが発見したのであるが、其当時最小動物ことに滴虫類と混同せられてあつた。さて今肉の汁かまたは有機物を含んで居る液体を二三日静置して後其液を顕微鏡で見ると無数の生物が遊泳して居るのが見える。ことに枯草かまたは藁を水に漬けて置いた場合に著明である。そこで人々は此の現象に就て全然自然発生に基くものと思惟した。而もかゝる際これを瓶に入れて堅く栓をして置いてもやはり同じやうであるから益々自然発生の信念を強くした。然し乍ら既に一七六五年大天才スパランツアニは之を自然発生ではないと断言した。即ち氏は若し今其の瓶に栓をして後之を煮沸するときは滴虫類は毫も発育しないことを実験したからである。けれども其の当時氏のこの偉大なる業蹟を顧るものは一人としてなかつた。漸く十九世紀の初に至り自然発生を主張する者と其の反対論者との争闘が盛んになるに及びてスパランツアニのこの実験が引き出されるやうになつたけれども、やはり自然発生説の主張者子ーダムの説に抑圧せられて居た。有名な生理学者ヨハン子ス・ミユラーは決して自然発生に左袒しなかつた人であるに拘らずスパランツアニの実験にあまり重きを置かず、また殊にツレヴイラニウスが出でゝ、スパランツアニの実験は、煮沸のために、汁の性状を変化し且空気の流通を断ちしために自然発生の条件を崩したのであると唱導して、益々其の価値を低下せしめむとしたのである。
 其後に至つてスパランツアニの実験が繰返し行はるゝやうになり、シユレーデルヅツシユは空気を綿にて濾して煮沸した肉汁に接触せしめて置くもやはり自然発生はないことを確かめ、遂に一八六〇年ホフマンは同様の実験を行ひて自然発生の不可能なることを立証した。
 更に自然発生説をして肝脳地に塗れしめたものはパストール及びコツホの細菌学である。それによりて最も微細なる生体でも母体の分裂によりてのみ増殖するのであつて無生物からは決して一個の黴菌も出来ないことがわかり研究が進めば進む程益々自然発生説の価値が減ぜらるゝやうになり、遂には自然発生無し(※5)と称せらるゝに至つたのである。
 即ちライフはたゞライフから生ずる(。)(※6)そこで次に起る問題はライフとは何物かといふことである(※7)。生物と無生物とに抑も如何なる区別があるか。凡ての動物は運動し摂食排泄する。が然し彼等は吾等と同じく意識があるや否やは容易に断言出来ぬ。下等動物のあるものは運動せぬ。それ故それが動物であることを証するまでにはなほ精細な観察を要する。例へば海綿の如きがそうである。然し乍らたとひ動かなくても新陳代謝さへ行つて居れば通常生物と考へられて居る。即ち植物の如きは当然生物に数へられる。
 凡ての生物に共通なるものはまた生殖の一事である。下等動物にありては植物と動物との区別が極めて困難である。リン子は既に多数の単細胞生物を研究して動物及び植物の間に判然たる区別は設けられないことを説きこれが即ち進化論にも応用せられた所である。扨自然発生の問題に必要なことは生物と結晶との区別を知つて置くことである。結晶は人の知る如く成長して生物と類似を有して居るものである。勿論結晶が其母液の中で成長するのは動植物の成長と其原理を異にして居るのであつて、結晶の成長は物質代謝に依るのではなく、同一物質が外方から附加して行くに過ぎぬ。ところが面白いのは物理学者レーマンの示した液状結晶で顕微鏡によつて其れを観察するならば、極めて奇妙なる活劇が認められる。即ち結晶に似た物体がたえず其形状を変化しつゝあるのである。或は分裂し或は運動し、さながら生体に見ると同じやうである。けれどやはり其原理に於ては液状結晶は生体ではない(。)(※8)リツツルフイルドバツトラー・バークなどが無機物から生体と同様なものを作り得たといふもやはり同じ意味のものであらねばならぬ。ウイルヘルム・ルーは生命に関して次のやうに言つて居る。『生命なるものを純化学的に定義することは久しき間の懸案であるが、理学的起成も実際関与して居るからしてそれは不可能といはねばならぬ。即ち生命は単に化学的組成の結果ではなく其の理学的構造にも由来して居るからである(※9)。されば現在に於ける生物の定義は其生物の行ふ機転に基いて下さねばならぬ。即ち(一)自ら外界の物質を摂取し(※10)、(二)之を自己の体質と等しきものに転換し、(同化作用)(※11)(三)自体内の種々の原因によりて之を変化し、(異化作用)(※12)(四)かくして生ぜし物質を排泄し(※13)、(五)更に食物の摂取によりて其欠乏を補ひ、従つて殆んど常に同じ状態を保持し(※14)、(六)過度の補償によりて自体を成長せしめ(※15)、(七)内的原因によりて自ら運動し(※16)、(八)分裂増殖し(※17)、(九)分裂によりて生じたる新個体に自己の性質を移行せしめる(遺伝)ものが生活体である(※18)。其他なほ此等の機転は凡ての生物に共通であつて、たとひ此機転の遂行が外界の事情に支配せられること多く且其外界の影響によりて幾分変動せしめらるゝことはあつても、生物其者に固有である。而して此全機転の綜合は生物の特徴を示すと同時に、飽くまで自己を保存せむとする能力を意味して居る。』
 ルーのこの言葉を見るに、たとひ小なる原生動物でも、無生物たる蛋白質の小片とは立どころに区別せらるゝことを語り、また生体の化学的組成のみでは決して生命を定義するものでないといふ説は至極正しいと思はれる。たとひ微妙な化学的研究により生体の包含せるあらゆる物質を其儘人工的に模造し得たりとするも、そは決して生命あるものと言ふことは出来ぬ。受精されない鶏卵でも化学的にいへば受精された鶏卵と全然相等しき物質が含まれてある。受精てふ機転によりて起つた変化は極めて微細なものに過ぎぬ。受精に必要な雄性生殖細胞と鶏卵中の胚板を造れる物質とは殆んど差異がないのである。たとひかの海胆の卵に見る人工的処女生殖に於けるが如く化学的物質の接触によりて卵の発育を促がし得るとはいへども、そは但し体質其ものの化学的変化ではない。
 さて然らば生命は如何にして起成したるか(※19)(。)(※20)吾人の周囲に於ける生体の形状の千差万別なるを見るとき、若し其多種多様の生体が相互に聯結関繋して其の源に遡れば唯一の濫觴に帰せしめらるゝことを知り得たならばこの疑問は極めて簡単に要約せしめらるゝのである。これ蓋し進化論の説かむと欲する所であつて、而もこの進化論は殆んど凡ての生物学的自然研究者の等しく承認して疑はない説である。凡ての生物が単細胞から生じたものであるといふ確証は勿論行はれて居ないが、かの生物が皆卵即ち単細胞から発育する所を見ると恐らく其の仮説は真でなくてはならぬ。個体が発生する歴史と、種族系統の発生する歴史との相並行せること、即ち生物発育原則(※21) Das biogenetisches Grundgesety は始めてヱルンスト・ヘツケルの言ひ出した所であるが、恐らくはこれも真実と認めて可い。然し乍ら此進化論を籍りて果して問題は簡単となり得たであらうか。例へばアナキシマンデルのやうに蛙の自然発生のことを題とせずに、最も簡単なアミーバの起成を考へて見る。此アミーバは一個の細胞核を有した微細なる一片の原形質である。化学的に之を観察すると蛋白質に外ならぬ。そこで蛋白質なるものは無機物から出来ないかといふに蛋白質は無機物から出来るに相違ない。以前から化学を有機及び無機の二種に分つて有機化学では炭素化合物を取扱つて居る。炭素化合物中簡単なる窒素又は酸素との化合物はやはり無機化学で取扱ひ、窒素硫黄其他の元素と化合した複雑な炭素化合物のみを有機化学で取扱ふので、其等化合物とは即ち有機体を構成する物質或は其分解産物排泄物等である。
 ところが十九世紀の初め(一八二八年)ウエーラーは尿素を人工的に作つて此有機及無機の限界を打破し、其後続々研究の歩が進んで、所謂有機的炭素化合物の多数が無機物から製成せらるゝやうになつた。蛋白質は化学的に極めて複雑な組成を有する化合物である。けれども他の有機的炭素及窒素化合物が製造し得る以上はやはり其原理から言つて蛋白質の製成も可能なる訳である。ヱミール・フイツシヤーは既に簡単なる蛋白質様物体の製造に成功し、他日必ずや吾等が肉体を構造する蛋白質と全然相等しき蛋白質を実験室で造り上げることが出来るに間違ひない。が然し其の時に至りても生命の起原に就ては何等の説明も与へられぬ。といふのは、其製造し得たる蛋白質が前に述べたルーの定義に悖らぬ性質を持つて居ない以上は其蛋白質は生命とは何の因縁もないからである。且又其人造蛋白質が恐らく生命を持たぬであらうことは、かの受精されない鶏卵を例に取れば明かである。鶏卵の中で雛となるものは卵黄の上に位する胚斑ばかりで卵白や又は卵黄中の蛋白質はたゞ雛の栄養に役立つのみである。卵白を取り出して之を手にした時(※22)それは決して生物を手にしては居らぬ。茲に於てか問題は如何にして蛋白質が生命を得たるかに移つて行く(※23)
 今迄人は生命の起成すべき条件を見たることがないから、現今存在するあらゆる条件とは異なつた条件の下に自然発生が行はれたのだとの仮説を立てたのである。実際多くの学者の胸に何時までも油然として蟠つた仮説で、地球の起成を考へるとき、自然発生説が最も都合よいからである。さればウイルヒヤウさへも自然発生説を科学的仮説と唱へたほどである。
 そこで此仮説に対して、吾等は之を反駁する何等の例証を持つて居らぬ。けれどこの仮定説は絶対的に証明せられて居ないものであることを揚言したい(※24)。然らば何が故に世界の起成を考へるとき自然発生の仮定が必要であらうか。茲に勢ひカント―ラプラスの説を引用せなくてはならぬ。この説は最近まで尤も正しきものとして考へられてある。
 即ちこの説の吾人の問題に関係せる所を言ふと、地球は其の始め液火の状態にあつたのであるが、漸次其熱を失ひて、凝固した地殻の上に水を生じ、そこで生命の条件が与へられたと説くのである。(未完)

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)(※3)(※4)(※5)原文圏点。
(※6)原文句読点なし。
(※7)原文圏点。
(※8)原文句読点なし。
(※9)(※10)(※11)(※12)(※13)(※14)(※15)(※16)(※17)(※18)(※19)原文圏点。
(※20)原文句読点なし。
(※21)原文圏点。
(※22)原文ママ。
(※23)(※24)原文圏点。

底本:『第三帝国』(大正4年11月11日号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年3月5日 最終更新:2007年3月5日)