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人生科学(5) 疾病と遺伝(下)

 近頃また此の方面即ち後天的の形質が遺伝するや否やに就きて医学上論争せらるゝやうになつた。それは即ち皮膚硬化又は胼胝の問題で人類にては足蹠の皮膚硬化、他の動物にては足蹠又は其他の部分に起るものである。これについてパゼツトは精密な検査を行ひ母体内にある時分から既に生じて居ると唱へて居るが、ゼーモン及其他の学者の考ではこの皮膚硬化は足蹠にて歩むために発生し、幾代かの間に遂に遺伝的性質を帯ぶるやうになつたといふ(。)(※1)冷静に考へると後者の説は前に述べた麒麟の頸又は猿の攀足の発生方法と其の原理を等しくして居る。もしこの皮膚硬化が一代に獲られそして遺伝さるゝものと考へたならばかの猫の尾の問題と同じことになつて来る訳である。真実を言ふと、この先天的の硬化を持たぬ人類は足蹠で歩むことが出来ぬので、炎症または壊疽に陥り易い。従つてかゝる者は自然に淘汰せられて了ふので、実際またそういふ人が折々あるのを目撃する。それ故この足蹠の皮膚硬化は突然趨異の為に起つた現象で、淘汰作用によりて保存せられたるものである(※2)。同様に駱駝の膝部の胼胝もそうであつて、彼等が荷を積ませられたる時膝づく習慣があつて生じたものではなく、害を被らずして膝づき得るやうに出来て居ると考ふべきである。其他疣豚の腕骨部の胼胝、(※3)ガルーの尾の根本にある皮膚硬化なども皆同様に説明すべきもので、最もよく適応したる状態にあることを示し、寧ろそれが常態なので、後天的疾患の遺伝とは認め難い。
 多くの人はなほある病的変化は種族に特有なものであると唱へ、始めてウイルヒヤウの唱へ出した所であつて、氏はかのヱスキモーを一種の病的種族と見做して居た。氏はまたかの佝僂病を以て種族特有の疾患であつて、犬の種族のうち Teckel と唱へるものゝ如きこれであると信じて居た。然し乍らこのテツケルのやうに彎曲せる脚を持つたものは多くの他の動物例へば Anconschaf と唱する羊の類もそうであつて、佝僂病とは何等の関係を持つて居ない。若いテツケルの骨格を検査しさへすれば、佝僂病とこの短脚との間に何等の類似のないことを認めることが出来るのである。実際上記の考は佝僂病の本性とテツケル脚の構造とがなほ充分知られて居なかつた時分に行はれたもので、単に外形が似て居るといふのみで両者を混同して一つとしたに過ぎぬのである。
 鶏の一種に Houben-huhn とて頭が帽子を被つたやうになつて居るのがあるが、ウイルヒヤウはこれを種族の特徴をなして居る脳脱出症であると、想像した、脳脱出症なるものは、脳が頭蓋骨の欠損部からして外へ飛び出して来る畸形であるが、此の鶏を調べて見ると頭蓋骨の欠損は毫も存在せずして頭蓋骨其のものが膨らむで外へ突出して居るので、脳脱出症とは全く其趣を異にして居るのである。其後に至り此頭蓋骨の突出は脳水腫に起因するもの即ちやはり一の病的変化だと説明せられ且つこの鶏は極めて転び易く且つ争闘を好む癖があり、時としてこの鶏の類に真正の脳水腫のあるものもあつてかゝる者は屡々戦闘を好む傾があるといひ伝へられたけれど(※4)夫が一の種族固有な疾病であるとするに就てハンゼマンは極力之に反対して居る。実際多くの学者は自分自身で直接其動物を取扱つて見ないでたゞ他人の記載を見て判断を下す人が多かつたのである。ところが同氏は数年来その鶏を飼養して見た。即ち故意に狭い所に入れ、日光も殆ど入らぬやうにし、雨露をも十分凌ぎ兼ぬるといふ極めて生活に不適当な状態に置き、夏と冬だけ外へ出して遊ばしめたのである。それにも拘らず、其鶏は一つも転ぶものはなくまた争闘をするものはなかつた。其うちたつた一疋が極めて不良な発育を示し、自ら孵化することも出来ず、卵は一々同氏が孵卵器の中にて孵化せしめたのである。ところがその退行現象を呈した鶏でさへも其頭蓋骨はやはり他のものと同じやうであつた。それによつて氏はこの鶏に於ける頭蓋骨の異常はやはり突飛性変化によりて生じ、それが人為淘汰の為に漸次遺伝的性質に移行して来たもので、決して病的変化とは何等の交渉もないと断言した。
 以前はまた多くの伝染病が遺伝的のものであると考へられて居た。ことにその内結核、梅毒、癩がそうである。厳密な意味からいへばそれは決して遺伝ではない。たゞ多くの場合例へば梅毒に見るやうに、子宮内にて伝染せられたと認めらるべき場合はある。たとひ二三の人が信じて居るやうに結核菌や梅毒病原体たるスペロヘーテ、パリダが生殖細胞に寄生して、其儘新個体の発育と共に繁殖したとするも、尚且つそれは生物学的意味に於ける遺伝ではないのである。言ふ迄もなく慢性伝染病に罹れる人の新陳代謝機能障害は其の生殖細胞に一定の影響を及ぼすものであるがこの影響は単に一の素質虚弱として現はれ来り、かの突飛性変化の意味で生殖細胞素因に変化を来さしむるものではない。結核に罹れる両親からは多くは薄弱な貧血性な、あらゆる伝染病に対して極めて抵抗の弱い子供が生れて来るのであるけれども、同じやうな子はやはり伝染病ならざる他の慢性疾患例へば心臓病に罹れる両親からも生れて来るものである。子供の虚弱は決して両親と同一の疾患に罹るに限られたものではなく、外界の影響の如何によつて、如何なる疾患にも罹り得ることは言ふまでもない。かの肺結核は、多くは胸腔上孔の狭窄に基いて起るものであつて、両親から子供が伝染する以外になほこの胸腔上孔の狭窄が遺伝せらるゝものである。この胸腔上孔の狭窄は全身虚弱の継発現象と見做すべきもので、全身又は身体の一部分の小児的状態(インフアンチリスムス)はやはりこれに関聯して居る。此小児的状態もまた両親の一般新陳代謝機能障害の結果で、其部位によりて色々の形態をあらはして居る。例へば梅毒に罹つた両親から生れた子はことに著しい小児的状態を示すことがある。かくの如き両親の全身障害は其子に雑多な変化を来さしむるので、実際生物学上厳密な意味から言つて遺伝と称せらるゝのである。たゞ然し両親の疾患其者とは、同種同方向のものではない。勿論かゝる新陳代謝の影響が遺伝的突飛性変化を起さしむるに至ることも考へ得るけれど、まだ其の証明は行はれて居ない、加之その突飛性変化たる、必ずしも両親の疾患其の者と同じであるといふ訳もないのである。
 以上述べ来たやうな理由、及び幾多の例証からして、本篇の主眼とする所を結論して見ると、次のやうに言ふことが出来ると思ふ。即ち前に述べた疾患の定義即ち常態より異なれる状態としての疾病中、疑もなく遺伝的疾患があつて、其の遺伝的異常状態は一には畸形として発現し、二には素質といふ形式を取りて顕はれて来る。而して凡て此等の遺伝性状態は、生殖細胞の一定の変動に帰すべく、かの同種類の肉体的後天的性質とは何等関係なくたゞ生殖細胞素質の突飛性変化として認むべきである。但し純肉体的変化が、体液の媒介によりて生殖細胞の造構に一般的影響を及ぼし得ることは争はれぬ事実であつて恐らくはまたそれによりて一定の方向を示せる遺伝的突飛性変化但しそれは肉体的に得たる性質とは同一視すべきものではない状態が齎らされ得るものであらうと思ふ(※5)
 以上は疾病の遺伝に関する現今の生物学的知見の大要であるが、生物が一代に獲得したる形質が果して遺伝するや否やの論争は近時なほ学者間に統一せられない問題であつて、従つて此の方面に関する研究報告は極めて多く、且何れも興味に満ちて居るが、其の消息に関しては後日再び記載する機会があらうと思ふ。(終)

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文圏点。
(※3)(※4)原文ママ。
(※5)原文圏点。

底本:『第三帝国』(大正4年11月1日号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年3月5日 最終更新:2007年3月5日)