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人生科学(4) 疾病と遺伝(上)

 生物学的知見の正確な現時にありては「遺伝」てふ言葉の意味も謬なく用ひられるやうになつたけれども、つい近頃までは「先天的」と「遺伝的」との言葉の限界が判然して居なかつたのである(※1)。単にそれが素人の間ばかりでなく医学に於ても時折混淆して用ひられてあつたので、其の主要な原因は、当時の観察研究が主として人類又は哺乳類等にのみ限られて居たからである。ところが現今ではあらゆる方面の観察が出来得る限り奥深く行はれ、真正の遺伝(※2)と、発育時中の出来事(※3)とが判然区別せらるゝやうになつた。勿論高等動物又は人類に就ていふならば、其区別は実際上より寧ろ理論上可能であるといはねばならぬ。何となれば個々の性質就中病的性質を観察する際に、果してそれが生殖細胞の異常から来たのか、または、子宮内にて発育する際に起つたのかを判別することは極めて困難であるからである。例へば、不具畸形は同一の家族に度々繰返して生れて来ることがあつても、生物学的にはそれが遺伝でないことがある。かの兎唇や、四肢の彎曲などは全く姙娠中羊水の不足から来るもので、但し其羊水が不足するてふ性質は多くの場合遺伝的であるから、不具畸形は遺伝ではなく、寧ろ其母が畸形を生むといふ遺伝的素質を得て居るものと言ふべきである。
 以前は畸形を二種に区分した。其一は即ち生殖細胞に異変があつて起るもの、其二は発育時即ち胎生期に起つた異常である。そして以前は第一類のものが第二類よりも遙かに多いと思惟したのであるけれども、追々病因に関する研究が進んで来て、第一類が漸次第二類の領域に纏められるやうになつたのである。実験畸形学の教ふる所によると、精虫と卵とが融合して発育が始まつてから後にても人工的に畸形を作ることが出来るので、かゝる形態の変状を、以前は必ず遺伝的と認めたのである。
 加之、家族的慣習もまた遺伝と間違ひ易い。単に精神的の特異のみならず純形態的の現象例へば鼻の形、耳の形(、)(※4)頭蓋骨の形等も、家族的慣習の然らしむる場合がある、ことにある疾患は家族的習慣例へば特殊の営養状態の影響によりて、其家族のみに多く来ることのあることは疑ふべからざる所で、かの胃腸病、痛風、糖尿病、或はまた腫瘍の類までも然るべきやうに思はれる。
 疾病の遺伝を説くに先ちて、一体疾病とは何ぞ(※5)といふことを述べる必要がある。これに対して充分満足を与へるやうな定義を下すことは至極困難である。現に従来下されたる定義も千差万別で、人各々異なつた立場と、異なつた目的とによつて定義を下すからである。自分も此際本文の趣旨によつて疾病の定義を下し、常態と異なりたる状態(※6)を言ふのだと定めて置かうと思ふ。然らば次に起る問題は、常態とは如何なることかといふことである。それに答へて茲では周囲に対する最良なる適応(※7)と言はうと思ふ。而して此の最良度たるや絶対的の意味ではなく、動物の種類加之各個の者につきても異なり、従つて相対的のものである。もとより訓育せられた文明種族にありては、野蛮族よりも此最良度の範囲は広大であつて野蛮族では適応状態から僅かに異常を来しても、文明族よりもより厳密に淘汰せられることは必然である。而してこの分明なるものは、適応の不完全なる個体が、淘汰によつて駆除せらるゝことを防ぎ、従つてこれを生殖に移して、この不完全に適応せる性質をも遺伝せむとする助力を与へるのである(※8)
 さてかくの如く定義を下したる疾病は勢ひ二種に分たれる。第一類は既に生殖細胞に其素質が包含せられたるもの、第二類は其後に得たる疾病である(。)(※9)前にも述べたやうに先天的畸形は必ずしも生殖細胞に存した素質によるものではないが、生殖細胞の素質から来た疾患は通常やはり畸形として呼んで居る。然し其畸形は多様であつて、其多くはやはり身体の一部分に於ける形態の変化で例へば手指過多症や母斑等で時には一家族中に然も同一の部分に同じ畸形を呈することさへある。次には全身に亘つた畸形例へば色素欠乏症、鱗皮症、汗腺欠乏症、多毛症等で、其他にはなほ解剖的変化は殆んどなく機能障害が主となつて居るもの例へば色盲、夜盲症、血友病、癲癇、ヒステリー、其他の精神病、糖尿病、多尿病等がある。更にまた生れた時には別に変りなく、成長に連れて現はれて来るもの例へば水晶体脱臼。(これは四十歳乃至五十歳の間に起る)ヘルニア(多くは外傷性の誘因によつて起る)所謂先天性気管拡張症または動脈硬化、動脈瘤等がある、多くの場合にはかゝる形態異常は単に素質として現はれ来り其れを基礎として後来疾病を醸すもので例へば佝僂病、肺結核、脊柱彎曲症、子宮外姙娠、多くの精神病等がそうである。極端に言へば形其のものとして遺伝するのではなくたゞ其素質を遺伝し、身体の発育と共に一定の形状を取るものと思惟すべきである(※10)。而して実際に当りて、果して生殖細胞の異常に基けるのか、または発育時に得たものかの区別は至極困難なことは言ふまでもない。
 すべてかゝる畸形が、たとひ幾代か繰返して起つて来た場合でも、何時か何処かである一人の個体が之を得たのに違ひはない。植物及び動物に就ての観察によると、これは突飛性変化(※11)によつて起つたものと言へる。突飛性変化とはまた突然趨異(※12)ともいひ、(Mutation と訳す)ド・ブリースが月見草の培養で観察し確かめ得たる所で、実際前に述べたやうな人類に於ける種々の畸形はやはりこの突飛性変化によりて起つたことは疑ふ余地がない。然らば果してどんな影響を蒙つてかゝる突飛性変化が起つて来たかを考へて見るに(※13)ハンゼマンの精密な検査によると、卵巣内にある卵の、淘汰作用の結果である。女子の卵巣の中にある卵の数は四〇乃至八〇〇〇であるが其内熟するものは僅かに四乃至五〇〇であつて、其他は生存競争に負けて斃れてしまふ。即ち其際尤も抵抗が強く最も好都合な地位に置かれ、最も営養がよく、最も堅牢な質を持つたものが生存するのは言ふまでもない。而して更に此の四個乃至五〇〇の内大部分は卵巣から子宮に輸送せらるゝ間に死ぬか又はたとひ無事に子宮に到達することが出来ても受精せられないのである。此の卵巣から子宮に到る道程の間に彼等は多くの妨害物に出遇ひ其際種々な影響を蒙る訳である。たとひ卵巣から出る際には最も抵抗力が強く最も良い品質のものであつても、色々な風に変動を余儀なくせられ、若し其際卵が不安定な釣合に置かれて居るやうな素質に出来て居たならば、容易に其影響を蒙りて変化し、聯絡の保たれて居た素質が分破せられ或は甚だしい場合には一定の素質は消滅せしめられ、新たに一の素質を形成する場合も生じて来る。而して其の影響(※14)たるや或は母体の新陳代謝機能(※15)にも依るし、或はまたヘルトウツヒが蛙の卵に就いて証明したやうに、卵が卵巣を出されてから受精するまでに経過した時間の長短(※16)にも関係する。加之なほ吾等に未知な事情が加はつて居るらしい。而して一方精虫の方にも果して同じやうな淘汰的争闘が行はれるや否やはなほ明かではないが恐らくは卵と等しい歴史を持つて居るものと想像せられる。
 かゝる突然趨異が、単に内的条件によりてのみ生ずる(※17)かといふことは多くの人はそれを肯定して居るやうであるが、自分はそうでないと信ずる、生命なるものは生活物質の構成と、外部から其物質に作用する刺戟とに基いて成立つて居る(※18)。刺戟なくしては生活物質は官能を営むことが出来ぬ即ち換言すれば生命は停止せねばならぬ。これによつて突然趨異が起るに就いてもやはり内外両面の条件が必要であらねばならぬ。
 次に起つて来る問題は即ち、成長後の生活中に得たる疾病は果して遺伝するや否やである。即ちこれが当時なほ論争の中心となつて居る所の「生物一代に得たる形質は果して遺伝するものなるか(※19)」の一般的問題となる。単に後天的性質といふのと、肉体的(※20)後天的性質といふのと別段判然たる区劃がある訳ではないといふことを先づ説いて置く必要がある。前述の事情よりしてかの突然趨異なるものはやはり一の後天的性質であるから、従つて後天的性質は遺伝するものであると結論せねばならず、また肉体的後天的性質も同一の範疇のもとに置かるべきもので、肉体的後天的性質は生殖細胞の遺伝素質に同様な変化を齎らし得るものだと推断することが出来る。
 臓器なりまたは身体の一定部位が練習すると肥大し、之を用ひぬと縮小しまたは消失するやうになり、この働作肥大または萎縮は多くの子孫を通じて遺伝的性質を有するものであるとのラマークの説(※21)は誰しも知つて居る所である。たとへば麒麟が長い頸を持つやうになつたのは、この動物の祖先が食物を探すために、樹木の枝に頸をのばした為であり、また猿が木にのぼることを欲したるが為に、遂に幾代かの後に完全な攀足が形成せらるゝやうになつたのであると説明して居る。また唯一回起つた形態の変化例へば瘢痕や欠損が遺伝せらるゝことさへある。一八八七年にハイデルベルヒに開かれた学会で供覧された猫の一族は、其母親が馬車に轢かれて其尾を失つたら、生れた子が皆尾が無かつたのである。が然しそれは後に尾のない牡猫から遺伝せられたことが明かとなつたのであるが、ワイスマンは其後実験的に、白色の南京鼠について、其尾を斬り捨てゝ、其子が幾分なりとも尾が短く生れて来るかを多数の材料を以て実験した。然し其実験は全く効果がなかつた。否寧ろ現今ではかゝる実験を行ふのを笑ふやうになつたのである。現今でもラマークの説の信奉者は深海に住む動物や土中に住む動物の眼は、使用せざるが為に遺伝的に退化したものであると主張して居るやうであるが、かゝる退化は屡々実際僅かの世代に起るものであるから、原理からいへばやはりワイスマンの実験と同一轍を踏むもので、忌憚なくいへば無謀な考といはねばならぬ。
 さて実験生物学に於ては、今迄多数の実験を行ひて、動物の形態又は色彩の変化、引いては其れを遺伝せしむるやうにすべき影響について色々と骨折つて見た(※22)。即ち一定の形質とか一定の色彩とかを目的にすると極めて実験を行ふに都合よいからであると考へて行つたのであるけれども、実際は決して単純なものではなく寧ろ極めて複雑な結果を齎らしたのである。例へばかの蝶の色彩と温度との関係に就ての実験などがそうである。其後カメレルが助産蟇に就ての実験などは、単に色彩の変化ばかりではなく、生殖作用の変化加之其本能をも実験の対(※23)に選んだのであつた。即ちなるべく自然の儘にして観察しやうと思つたからである。ところが今幾多の学者が行つた所を通覧して見るに、何れも一定の外的条件の為に変化し得ることの知れて居る性質のみを選んで居るのであるから、かゝる動的な性質は、生殖細胞の中でも至極動的な部類に匹敵すべきものであることは疑ふことが出来ぬ。さればかゝる生殖細胞の動的性質は僅かなる外界の影響にも其平衡を破られて了ふことは言ふまでもない。近頃の実験に、黒色の牝鶏の卵巣を取つて、白色の牝鶏の卵巣と置きかへると、其れから生れた卵から出た鶏は白色に黒斑を持つて居るてふ事実があるが、これによつて黒色が白色種の卵に遺伝的影響を及ぼしたと結論して居る人もあるけれど、これを断言するまでにはなほ幾多の実験を重ねねばならぬことゝ思ふ。
 其処で我等は歩を進めて人類の病理学に説き及ぼう。ところで前に述べたやうに、遺伝するやうに見ゆるものは其実皆遺伝するものではないが、逆にまた後天的と見ゆるものは、其実皆後天的ではないことを揚言したいと思ふ。かの先天的素質の上に発生した病的変化でありながら、出産と同時には目撃せられずして、後に至りて現はれて来ることのあることは前にも述べた所である。世間ではよくアルコホルが子孫に影響するといひ、また之を反駁するの理由はないけれども、かのアルコホル中毒なるものは屡々先天的虚弱の一症候であつて従つてその子孫の虚弱其ものは父のアルコホル中毒によつて生じたのではなく、むしろ特種の遺伝と認むべきであることを忘れてはならぬ。アルコホルばかりではなく二三の精神病に就ても同様であつて、ある機会に突然起る場合でも実はそれが先天的、遺伝的の基礎になり立つて居る事がある。かの癩病の如きもそうであつて茲にブローン・セカールが行つた実験に就て語つて見よう。氏は即ち人工的に生ぜしめた癲癇は遺伝するものなりやを研究した。そして氏はモルモツトの座骨神経を切断すると其動物は癲癇を起し、而も其子孫のあるものはやはり同一の疾病に罹ることを観察したのである(※24)。この事ありて以来多くの学者は同じ実験を繰返し行つたが其結果は甚だ区々たるもので、ある学者はブローン・セカールの報告を証明し、ある者は全く之を否定し、あるものは結果が不分明であると唱導するに至つた。今沢山なモルモツトを一つの箱の中に入れて、其箱を唐突に打ち叩くときは、其中二三の動物は其後痙攣を起し、通常之を癲癇だと解釈する。飼養モルモツトは凡て、非常に退化せるものであつて、其内あるものは突然其れを恐怖せしむるとき痙攣を起すのが常である。それ故これを以て直ちに癲癇だと称するのは寧ろ勝手なる命名で、幾多の学者の実験成績の一致しないのは、或学者は特に其痙攣の遺伝的傾向ある種族を取扱ひ、或学者は然らざるものを取扱つたに依るのである。そして其痙攣的傾向が外科的手術によりて強めらるゝのは容易に思惟し得る所である。それ故ブローン・セカールは遺伝する癲癇を人為的に作り得たのではなくして、痙攣的素質あるものを外科的手術によりて発顕せしめたに過ぎぬと結論すべきである。
 其他の疾病に就ては稍々其趣を異にする。此際近眼と齲歯(※25)とを例に取つて見やう。此両者は時として後天的に起り然る後子孫に遺伝する傾向があるからである。言ふまでもなく後天的の近眼や齲歯で、何等遺伝的関係のない場合もある。実を言ふと此両疾患は著しき退化現象であつて、其れが遺伝的運命を有し、文明てふ誘因が働らいて示現するものである。野蛮人種にありては、遺伝的近眼を持つたものは弱者として淘汰せられて了ふが文明人種は眼鏡を以て之を補ふのであるから何時迄も存在する、また野蛮人種で齲歯のあるものは十分食物を取ることが出来ずまた齲歯から惹起せらるゝ膿瘍や顎骨壊疽は其儘にして置けば容易に人命を奪ふものである(。)(※26)然るに文明人種にありては、適当に食物を加減しまた治療して危険を避ける(※27)かる(※28)が故に野蛮人種では淘汰のために齲歯のあるものは極めて少いが、文明人種では其淘汰を除くことを工夫する為に益々多くなり、成人で満足に三十二本の歯を具へて居るものは殆んど無い位である。

(※1)(※2)(※3)原文圏点。
(※4)原文句読点なし。
(※5)(※6)(※7)(※8)原文圏点。
(※9)原文句読点なし。
(※10)(※11)(※12)(※13)(※14)(※15)(※16)(※17)(※18)(※19)(※20)(※21)(※22)原文圏点。
(※23)原文ママ。
(※24)(※25)原文圏点。
(※26)原文句読点なし。
(※27)原文圏点。
(※28)原文ママ。

底本:『第三帝国』(大正4年10月21日号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年2月26日 最終更新:2007年2月26日)