インデックスに戻る

人生科学(3) 人口問題と医学

 『殖せよ、殖せよ』の神の掟は、今より凡そ百二十年前にマルサスの人口論となりて凄惨なる前途を暗示し、ヘーラクライトスが「パンタライ」と唱へた人民の潮流は、果は其の河岸を超えて氾濫せむとし、「人口問題」の怒号は世界各国を風靡して遂に医学者、衛生学者、社会学者より出産数の制限は唱へ出され、史家、道徳家、国民経済家の側よりは依然として反対されつゝあるも、人口増殖による生活困難は日一日に其勢を増すばかりである。
 善良なる子孫を殖し、不良なる子孫を除くべきことは言ふまでもないが、不健全なる子孫を多く生ぜしむることは、出産数を制限するよりも遙かに悪しき結果を齎らすものであつて生物学上又は医学上、人類に於て如何なる時期が最も善良なる子孫を作り得るか(※1)を研究することは刻下の急務であらうと思ふ。
 国民の生殖力は男女両者に関係すると雖も、女子の性質が男子よりも余計に影響することもまた争はれぬ事実であつて、従つて母の性質を研究することが最も肝要であらねばならぬ。
 女子の受精能力はいふまでもなく月経の開始と共に現はれて来るが、其時期は一定しない。巴里での検査によると中流階級の女子は十五歳二ヶ月、手工をなすものは十五歳十ヶ月、下女は十六歳二ヶ月といふ平均数である。
 受精能力は平均三十三ヶ年継続するといはれて居るが、其中最も早く且つ確実に受胎し得る時期即ち出産最良期(※2)は、中央十一ヶ年の間である。そしてこれはいふ迄もなく、出産数が最も多い時期とは一致して居ない。而して終りの十一ヶ年の間に文明人種又は野蛮人種のあるものに於て受胎の禁制が行はれるので、其方法は即ち Coitus interruptus である。
 出産最良期は単に年齢と関係して居るばかりでなくまた分娩の結果にも関係する。プリンチングの統計によると三十歳乃至三十五歳の女子の新婚者は百人中三二、九人の割で子を生むが普通の女子は二〇、六人、また三十五歳乃至四十歳で子を生むものは新婚者三十二、七、普通十四、七。四十歳乃至四十五歳では新婚者二十一、四。普通五、九といふ有様で、既婚者が年取るに従ひ新婚者よりも著しく子供を生むことの少い此現象は、子供を制限せむとする行為ばかりではなく、其以前の産の時に得たる疾患によるもの(※3)だと同氏は説いて居る。
 次に父の年齢との関係を探つて見るにブタペスト市に於て一八八九年から一八九二年間に於けるケレシーの統計によると、女子百人中子を産みし者、

父の年齢 母の年齢
二五 三〇 三五
二五―三〇 三五、六 二五、〇 二一、二
三〇―三五 三一、二 二三、六 一九、九
三五―四〇 二七、五 二一、八 一九、四
四〇―四五 ――― 一六、七 一四、〇
四五―五〇 ――― 一四、四 一〇、九
五〇―五五 ――― ――― 一〇、九

といふ有様で、男子が二十五乃至三十歳で、女子が二十五歳なるとき最も出産率が多いのである。
 出産最良期はなほ流産(※4)の関係から研究して見ねばならぬ。一九〇一年から一九〇二年に於ける巴里の統計によると、百人中、

母の年齢 結婚者 私生
一五―二〇 三、四 三、一
二〇―二五 二、八 三、四
二五―三〇 三、五 四、一
三〇―三五 三、七 五、〇
三五―四〇 四、一 四、四
四〇―四五 四、七 五、七
四五以上 五、三 一〇、九

といふ有様である。其他なほ多胎分娩の関係も顧慮せなくてはならぬ。
 また単に父又は母の年齢ばかりではなく、出産の度数(※5)も注意すべき条件である。これには正確な統計はないが、経験の教ふる所に依ると長い間子を産まなかつた女子は一度産むと其後続けざまに受胎する。これは家畜学の方からも証明せられた事実である。
 出産最良期に就ては胎児の数のみならず其品質(※6)も大なる意義がある。あまり若い時またあまり老いてからの子は余程生活力を障害せらるゝ傾があつてグロートの調査によると、父母共三十乃至三十五歳の時の子が最も多くヱネルギーに充ちて生れて来る(※7)。老若其度を過ぎたる場合には胎児が十分母胎内で発育し得ないで生れて来るのが重要な原因をなして居る。
 一般に同一夫婦の第三番目又は第四番目に生れた子が最も生活能力に富むで居る。子供が最も多く死ぬ季節は国によりて異なつて居るが、其季節に乳離れの来るやうに生れた子は其季節以外に乳離れが来るように生れた子よりも不幸である。独逸にありては夏に受胎して春生れるのが一番多い、同国では秋(日本では夏)が小児の危険期であるが、哺乳期は通常九ヶ月であるから、春生れた子は至極幸福な位置にあるといふべきである。
 産と産との間隔のあまり短いのも害がある。ウエステルガールドによると一ヶ年以内の間隔で生れた子百人中産後五日目に死んだ数が一九、九人であるが、二年以上の間隔で生れた子は一一、八人の割であるといふ。
 以上の事情を綜合して見ると、次のやうな結果になる。
 (母に取りての出産最良期は二十五歳乃至三十五歳(※8)、(父の生殖力の十分なる時期は母の年齢よりも少し余計の間(※9)、(子供に取りては両親の最良期に於て而も第三子又は第四子として少くとも二ヶ年以上の間(※10)隔でそして乳離れが危険期以外に来るやうに生れて来たのが最も良き位置を得る訳である。
 上述の結果は、国民衛生、人種改良の上に直ちに応用せなくてはならぬ事実である、徴兵の制度は此点に於て至極当を得たもので、兵役以後に結婚することが当然である。また婦人が乳母の手を籍りずに自から哺乳の役を勤むることが必要(※11)であつてコスマンも言つて居るやうに哺乳は卵巣の機能を妨げ、婦人をして其の間生殖不可能ならしめ而も哺乳期は少くとも九ヶ月は継続するからである。
 次に起つて来る問題は子数の制限である。抑も性慾を満足せしめて楽しむのが最終の目的ではなくて、種族の永続を計るのが生殖作用の主眼とする所である。グラスルは夫婦の間に幾人の子が必要であるかに就て次のやうにいつて居る。先づ女子に就て、
 (一)母の後継者として一人
 (二)出産最良期以前に死んだ女の代りに〇、三人
 (三)不婚婦人の生殖力欠如の代償として〇、二五人
 (四)子なき婦人または疾病によりて生殖不能となつた婦人の代りに〇、一二人
 (五)年々の増加に対して〇、〇〇五人
合計一、六七五人、男子に就ても同様であるから之を二倍して三、三五人となる。即ち結婚した婦人は三、四人を生めばそれで沢山(※12)な訳である。
 また独逸では私生児が一〇パーセントもあるから実際のところ必要なのは二、七二人を生めば良いと同氏は添言して居る。
 グラスルの此の説は果して我が日本の状態に直ちに適合するや否やはなほ詳細な研究を要するのであるが兎に角最近急激なる人口増加によりて、前途に濃厚なる冥雲の漂ひ来りたる矢先、生殖問題の生物学的又は医学的知見を得て置くことは至極肝要であると思ふ。
 子供の数の制限や避姙の可否に就ては暫らく措き、不必要なる生産を斥け健全なる国民を増殖することは最も注意を要することで(※13)、かの我国の諺にも男二人に女一人を子長者と唱へまた古い仏蘭西の掟にも Un fils, une fille et pour la casse(男の子一人、女の子一人及補欠)とあるのは極めて意味の深いことであらうと思ふ。

(※1)(※2)(※3)(※4)(※5)(※6)(※7)(※8)(※9)(※10)(※11)(※12)(※13)原文圏点。

底本:『第三帝国』(大正4年10月11日号)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年2月26日 最終更新:2007年2月26日)