弥生の春暖かき庭に、滴らむばかりの紅に匂ふ花は只管に蝶々の媒介を冀ひ、月影白き秋の野に、声をかぎりに鳴きしきる虫も、またかの奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿も、皆これ異性を恋ふる心の発露に外ならぬ。『実に人間の慾望のうち、最も強きは性慾である』とはクラフト・ヱービングの絶叫である。
滾々として流るゝ河水は、屡其岸を越えて氾濫する。滔々たる性慾の激流は、二六時中猛勢を示し、若しヱネルギー及び意志の両堤塘が崩れたならば忽ち水は溢れ出して了ふ(。)(※1)而してこの堤塘を弱らすやうな事情は軈て其河水の勢を募らす由縁となるのである。
之を具体的に考ふるに、刺戟多き食物は有機体を羸弱ならしめ、従つて性慾は亢進する。アルコホルもそうである。懶惰、柔弱、栄華、これ等は性慾を溌溂たらしめ、多くの疾患例へば肺結核、皮膚病、糖尿病、淋疾などいづれも意志の力を削ぎて性的エネルギーを旺盛ならしめる。而して文明の民族にありては平均十四歳よりして性慾が萌え出づるにもかゝわらず、女子は十八九歳、男子は二十四五歳に至らねば配偶者を得ることが出来ぬ現時の状態であるからには、その爛■(まん)(※2)たる青春の月日を、男女とも、衝突矛盾の生活を以て送らねばならぬことゝなる、即ち美はしき人生の春は、実は惨憺たる戦闘苦悶の呼吸に充されて居るので、其戦に敗北した者は自慰(オナニー)又は売春(プロスチチユーシヨン)の避難所に趨り絢爛たる花弁は果敢なくも爰に暗き嵐に散らされて了ふことゝなる。
ベルゲルは『如何なる成人も其過去の生涯に於て嘗て自慰を行はなかつたものはない(※3)、』と喝破し、ローレーデルやフユールブリンゲルは、青年子女の九十パーセントはこの秘密の行に耽つて居ると説いて居る。ライヒはいふ『自慰を度重ねて行ふ者は、臆病になり、決断心を欠き、自己の力量を疑ひ交接不能となり、従つて其感情障害を促進し、精神は溷濁し、猜疑の念は膨大し遂にはヒポコンドリー、メランコリー、引いては自殺する運命に立ち到る(※4)』と。
従来多くの医者は、自慰は交接に比して何が故に害があるかを研究した。ヱルブやクルシユマンは、自慰の危険なるは身体の十分発育せざる時期に始まることと、何時となく、幾度となく行ひ得ることゝ、不自然な行為をするてふ意識によりて与へらる印象とであるといつて居るが、シユレンク・ノツチングはなほ之に真実が想像を以て代用されるといふ害点を添加した。実にこの想像を以て真実を代表せしむることは神経を費すこと夥しく忌憚なくいへば自慰にありては電磁気的平衡を失ふが故である(※5)。
自慰の罪は決して其本人にばかりあるのではない。ザルツマンは言ふ。『乳母や子守加之両親さへも、子供に対し或は遊戯的に或は猥褻的に、或は泣きやませたり、早く眠らせたりする目的を以て、子供の局所を弄ぶやうなことがあると、罪ない子供は知らずゝゝゝ(※6)己が手を其の方に持ち運ぶ様になり、遂には戦慄すべき結果を招くやうになる』と。然し一且(※7)自慰を初(※8)めた以上はたとひ責任が他にあるとしても、罰はいつも自身の上にのみ来るのであるから、自慰の害毒を熟知することは極めて肝要であると思推(※9)する。
先づ身体に及ぼす害毒を検するに、全有機体の強烈なる振蕩と、尊き精液の濫費とが是である。生理学の教ふる所によれば実に一滴の精滴は、八十滴の血液に相当する(※10)。その尊き血液、力と糧に充ち溢れた営養液の八十滴が精液の僅かに一滴に相当すると聞かば、誰か身の毛の立たぬものがあらう。
脊髄就中生殖機能の中枢を蔵して居る腰髄が著しく傷害せらるゝことは当然である。されば自慰に耽るものは通常疲憊感覚を訴へ、脚が重く背部に痛いやうな不快感が起つて来る。続いて神経繊維の排列の関係上消化器系統が冒され、胃腸病を併発する。従つて全身の異常を来し、水分を失ひ、花の如き青春の血潮は涸れて形容枯稿、顔色は専ら憔悴して了ふのである(※11)。
ことに自慰を行ひつゝある間は神経は痙攣的に著しく緊張し、血液は主として頭脳部に押し遣られる。即ちこれ頭痛の原因となり、引いては記憶の減退、稀には心臓、肺臓に甚だしき不快な現象を起して来る。其他消化機能の衰弱ことに腸の機能の緩慢なる為に便秘を起し、中枢神経は傷害せられ精神生活に変動を及ぼし、性格をさへ一変することゝなる(※12)。
ワイカルドが嘗て、便秘に苦しむ者は性急で怒り易いといつたことがあるが、レンホツセルもまた便秘が神経、感情、精神等に及ぼす作用に就て、次のやうなことを言つて居る。『吾人の智識や、道徳観念などは身体の工合に関係することは日々経験する所で、かの便通の後と、其の前とではよほど感じが違ふものである、腸が空虚の際には人は通常快活になり、同情に富むが、腸が充盈して居るときは、興奮性を増し、意地悪くなり、喜悦や苦悩に対して冷淡である。神経質な人や、メランコリー、ヒポコンドリー性の人に長い間便通がないと其神経は曇り、感情は昂ぶり偶ま理性を失ふことさへある。然るに十分なる排便の後は、冥雲は融け、其精神は朗となつて来る。』
自慰を行ふ者の身体の状態は、多くの場合神経衰弱のそれと著しく似通つて居るのみならず、神経衰弱の素質ある人には、屡之を起さしむる誘因となるのである。勢力欠乏、全身弛緩、臆病逡巡、働作の嫌悪及不可能を始め、思想錯乱、記憶減退、全身機能の不調和、周囲に対する不満の感など(※13)、みな両者に共通の現象で、頭痛や、眩暈、耳鳴、視力減退、言語障害、夢精、漏精、生殖不能(※14)、何れも其の暗黒面に外ならぬ、
かくの如く自慰はコブラの毒よりも恐ろしき勢を以て人体を侵蝕する。蜜よりも甘き青春の血潮は果敢なくも膩を漲らして、光明ある月日はむなしく油然たる黒雲に遮られなければならぬ。内面の激烈なる衝動(、)(※15)本能の切なる命令、拒ばむとしても否むあたはざる催促、更け行く夜半の灯の下に、勃然として起る慾望、あらゆる外界の抑圧に反抗して猖獗を極むる自然の興奮、逃れ難く屈服し易き運命。而も其れに服従した揚句の害毒は、急性伝染病のそれよりも戦慄すべく、多端なる邦国の前途を控へた責任ある青年の、その燎乱たる光陰は此の如く猛威を揮ふ匈奴に攻められつゝあるので(、)(※16)この争闘、この激戦は実に人生の一大惨事である(※17)。而も刻一刻と進み行く文明社会が、青年に齎らす刺戟は甚大であつて、内患外寇、果は遂に其の懊悩に耐え兼ねて、自ら生命を絶たねばならぬ悲劇を生む。此現象は今始まつたことではない。そして此の解決に腐心した人は尠くない。而も裏面は常に凄惨の風に充ちて居て頻々として起る青年の悲劇は日一日に其数を増して来る。(※18)意志ヱ子ルギー、かう叫んだばかりでは決して救済の声ではない、先づ静かに其害毒の恐るべきことを記憶せしめねばならぬ。永遠に生きんとせば少くとも短時日を犠牲にする精神がなくてはならぬ。条件附きを以て之を許すことは自分は奨励しない。識者の言は人によりて解釈を異にするからである。自分は最早これ以上言ふことが出来ぬ。『予防は治療よりも易い』 Verhueten ist leichter als heijen. とは一般に認められたる言辞であるが。(※19)性慾教育に関しては此際説くべきことではなく、如何にせば此の病疾を治療すべきかゞ刻下の急務である。哲学、文学、是等は何等の具体的解決を与へては呉れぬ。科学と雖もまた本能の行動を阻むことが出来ぬ。
自慰に対する医師の態度就中その医学的治療の方法は、先づ全身の清潔を保ち、毎朝身体を洗滌し、生殖器に冷水を濺ぎ、便秘を除き、興奮剤を避け(、)(※20)運動を行ひ、戸外を散歩し、職務に熱中し、朝目覚むれば直ちに床を去り、寝床は軟かきを避け、能ふ限り横臥し(、)(※21)寝台は空気の流通をよくし、挑発的読み物を斥け、重い場合には催眠術によりて暗示を与へる……といふのが従来推奨せられた所である。然し乍ら上記は実にいはゞ症候的の治療法で決して根本的ではない。ゲルリングもいつて居るやうに『自慰の救済を委ぬべき適任者は宣教師ではなくて医師である』に違ひはないが、医師はたゞ之れ等症候的の治療法を述べたばかりで其任を全うしたとはいはれない。寧ろ自慰の如何に身体精神に有害なるかを十分頭に沁み込ませるやう工夫せねばならぬと思ふ(※22)。
自分は最後に繰返して言はむ。精液は実に其八十倍の血液に相当すると。血液其者は聖書に液状の身体(※23) Fluessiger Leib と説かれ、モーゼの書には、『血液は精神であるから肉と共に食してはならぬ』と戒められて居る程身体の重要部分である。その貴重なる血液が而も多量に失はれると知らば、誰しも自己の保続に考へ及びて慄れ戦かぬはなからうと思ふ。
雌花と雄花が馥郁として匂つて居ても、蝶や蜂が来なければ其慾望を充たすことが出来ぬ。即ち彼等は辛抱して時機を待つて居る。若し虫の訪問がなければ潔く散つて了ふ。世の青年よ実に暫くの間である。其間を辛抱すれば永遠に生きることが出来るので、樗牛の所謂美的生活本能満足の時代はずつとゝゝゝ(※24)過去に属することを切に記憶して貰ひたい。
(※1)原文句読点なし。
(※2)火偏に「曼」。
(※3)(※4)(※5)原文圏点。
(※6)原文の踊り字は「く」。
(※7)(※8)(※9)原文ママ。
(※10)原文圏点。
(※11)(※12)(※13)(※14)原文圏点。
(※15)(※16)原文句読点なし。
(※17)原文圏点。
(※18)原文句読点なし。
(※19)原文ママ。
(※20)(※21)原文句読点なし。
(※22)(※23)原文圏点。
(※24)原文の踊り字は「く」。
底本:『第三帝国』(大正4年10月1日号)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1915(大正4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2007年2月26日 最終更新:2007年2月26日)