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ヒポクラテス(※1)の誓詞

 世にヒッポクラテス(※2)の著作として今日に伝へられて居るものの中には、ヒッポクラテス(※3)自身の筆にならぬものが可なり多く混つて居る。その中、左に掲ぐる短い「誓詞」も、一部の人々からは、ヒッポクラテス(※4)の書いたものではないと論ぜられ、他の人々からは、真正の著作として考へられて居るが、今日では先づ、真正のものと看做しても差支ないことになつて居る。真正でないと論ずる人々の論拠とする所は、ガレン(※5)が、これに就て何事も言つて居ないことであるが、ガレン(※6)の著作中には、別にヒッポクラテス(※7)の真正の著作目録なるものを掲げて居ないのであるから、この論拠は頗る薄弱とされて居る。
 然し乍ら、たとひこの「誓詞」が、ヒッポクラテス(※8)の真の著作でないとしても、その出来た時代はヒッポクラテス(※9)のそれと殆ど同じであつて、その内容によつてギリシア(※10)医学全盛時代の医師道徳、医事教育、乃至は医師対社会関係の一斑を窺ひ得るばかりでなく、動もすれば、道徳的にも社会的にも非難の的となり易い現代医家の範とすべき点が多いから、左にその全文を訳出し、併せて文中の一二の事項に就て註解を試みて見やうと思ふ。
   誓詞
 医神アポロ(※11)エスクラピウス(※12)ヒゲイア(※13)パナツェア(※14)及び八百万の男神女神の前に誓ひて申さく、この誓言、この規約は、わが能力、わが智慧の及ぶ限り、相守り申すべし。われにこの術を授けたまひし人を、われはわが親と崇め、わが財物をわかち、需めによりて援助を致すべし。その子孫は、われこれを遇するに兄弟の礼を以てし、この術を学ばんと欲する人あらば、無料、無条件にて伝授仕るべし。わが息、教師の息、及び医法により誓言規約したる門弟にのみ、公演、講義またはその他の薫陶方法によりて、この術に関する知識をわかつも、その余のものには一切わかち申さざるべし、われは、わが能力、わが智慧によりて、病者の利益となるべしと思ふ医術を施し、決して害ありと思ふ所を行はざるべし。致死薬はたとひ需めらるるとも、何人にも与へざるべく、またこれを用ふるやう勧告もせざるべし。これと同じく、婦人には堕胎のための子宮輪(ペツサリウム)も与へざるべし。純潔と神聖とを以て、われはわが生を送り、わが術を施すべし。結石に悩む病者は自ら手術せず、その業務を行ふ人に送るべし。如何なる家の閾を跨ぐも、病者の利便を思ふのみにて、好みて敗徳(※15)行為を致さざるべく、また、男子と女子とを問はず、自由民たると奴隷とを言はず、その甘言誘惑に陥れられざるべし。職業に関することもまた関せざることも、或はまた職業上人々の私事に関して見聞する如何なることも、他人に語るべからざることは、厳重に秘密を守りて決して口外する所あらざるべし。願はくば、われこの誓言を守る限り、われをして、わが生と職とを楽しましめたまへ、若しわれこれを破らば、その逆を以て、わが運命としたまふべし。
     ×     ×     ×     ×     ×
 この誓詞は Francis Adams の英訳から重訳したのであるが、「医神アポロ(※16)」は Apollo the physician の訳語で、the physician は医者といふ意味で医神の意味はないけれどソフォクレス(※17)が始めて Apollo に healing なる形容詞をつけて呼んだため、ギリシヤ(※18)語で healing と同意語なる the physician の語を、ヒッポクラテス(※19)が用ひたのであるから、本来は「医たるアポロ(※20)といふ意味で、従つて医神と訳して差支ないであらう。
 ギリシヤ(※21)及びローマ(※22)の神話の中に、アポロ(※23)が医神とせられてあることは、西洋の古文学に親しむものの、何人もよく知つて居る所である。ホーマー(※24)の作「イリアド」の抑もの始めにも、アポロ(※25)が、ある事情を憤つて、「ペスト」を流行せしめることが書かれてあつて、この際、アポロ(※26)は「ペスト」を流行せしめまたこれを治療する能力のある神として取り扱はれてある。エスクラピウス(※27)アポロ(※28)コローニス(※29)(後の神話ではアルシ子ー(※30)だともいふ)との間に出来た子であつて、当時の所謂僧侶医者(Asclepiadae)の守護神として崇められて居たのである。わがヒッポクラテス(※31)もこの Asclepiadae に属した人である。このエスクラピウス(※32)には二人の男子と四人の女子とがあり、その女子の末二人がヒゲイア(※33)パナツェア(※34)であつて、前者は「健康」の女神であり、後者は「万病治癒」の女神である。それ故、ヒッポクラテス(※35)は誓詞の始めに、特に、この四神の名を挙げたのである。
 次に「公演」「講義」とあるのは、それゞゝ(※36) precept, lecture の文字を訳したのであるが、precept はただ教訓といふ意味だけであつて、公演といふ意味はなく、これが解釈は昔から、人々によつて意見が一致しない。然し乍ら、ヒッポクラテス(※37)の Precepts と題した論文そのものは、「公演」即ち「一般的教訓」のよき標本であり、又プラトー(※38)の著作「プロタゴラス」の中に、ヒッポクラテス(※39)が、行く先々の町で公開演説をしたことが出て居るから、precept は公演の意に解釈することになつて居る。「講義」とはいふ迄もなく、職業的講義を意味してゐる。然し乍ら、この誓詞で見ると、医術に関することは自己及び教師の家族と、宣誓した弟子にのみ教へてその他のものには決して教へなかつたものと見える。兎に角、今から約二千五百年前に、かやうな厳格な医育法の行はれたことは注意すべき事項であらう。
 堕胎の要求に応じないといふ誓は、ヒッポクラテス(※40)が如何に人道上、正義の人であつたかを知るに足るといはれて居る。といふのは、その直後の後継者とも見るべきアリストテレス(※41)さへ、人工堕胎を、道徳上極めて軽きものに看做し、胎児が母体内で動く以前に堕すのは差支へないといふやうなことを言つて居るからである。ヒッポクラテス(※42)の死後五百年を経たローマ(※43)時代の諷刺家ユヴェナール(※44)は、その当時上流の婦人に人工堕胎が大流行をしたことを述べて居るが、ギリシア(※45)時代にも、医学的に必要な場合以外に、人工堕胎が相当に行はれて居たことを想像するに難くない。
 最後に、結石手術に関して少しく説明しなければならない。ここにいふ結石は即ち膀胱結石を意味するのである。当時一般に医術を修めたものは、膀胱結石手術を禁ぜられて居たのであるが、何が故に禁ぜられたかは、はつきりわかつて居ない。然し結石手術(リトトミー)が特別な手術者の手によつて行はれたことは事実であつて、医者は決して「リトトミー」には手を出さなかつたのである。それ故、古代の医学的文献にはこれを行つたものの手になる記事は一つも無いといはれて居る。ヒッポクラテス(※46)は色々の手術を行つて居るらしいが、それは医法に許されたものばかりで、一度も「リトトミー」に就ては書いて居ない。ガレン(※47)もまた、頭部胸部に行つた手術のことは書いて居るけれど、「リトトミー」については、さらに記述して居らない。アラビア(※48)では、「リトトミー」はことに医師仲間から嫌はれて居たらしく、アヴェンゾアー(※49)は、「尊敬すべき医師は、この手術を目撃するさへ恥とせり。況んやこれを行ふをや。」と書いて居る。これを要するに古代に於ては「リトトミー」は医師仲間より卑むべき手術として考へられて居たのであつて、従つてヒッポクラテス(※50)は誓詞の中にこのことを挙げたのである。一説には「リトトミー」は熟練を要することであるから、一般医家はこれを行ふ勇気なく、従つてその専門家に委ぬることにされて居たのであらうとも言はれて居るが、何れにしても「リトトミー」が医師以外の専門家によつて行はれ、医師はこれに携はらなかつたことは注目に値する。尤も単に結石の手術ばかりでなく、その他二三の特種の部分の手術にも、それゞゝ(※51)その専門家があつたらしく思はれるが、何故結石のことばかり誓詞のうちに挙げられたかはわからない。ル子・モロー(※52)は、誓詞の中の文句は、去勢手術を意味して居ると言つて居るが、勿論これは取るに足らぬ説である。

(※1)(※2)(※3)(※4)(※5)(※6)(※7)(※8)(※9)原文傍線。
(※10)原文二重傍線。
(※11)(※12)(※13)(※14)原文傍線。
(※15)原文ママ。
(※16)(※17)原文傍線。
(※18)原文二重傍線。
(※19)(※20)原文傍線。
(※21)(※22)原文二重傍線。
(※23)(※24)(※25)(※26)(※27)(※28)(※29)(※30)(※31)(※32)(※33)(※34)(※35)原文傍線。
(※36)原文の踊り字は「ぐ」。
(※37)(※38)(※39)(※40)(※41)(※42)原文傍線。
(※43)原文二重傍線。
(※44)原文傍線。
(※45)原文二重傍線。
(※46)(※47)原文傍線。
(※48)原文二重傍線。
(※49)(※50)原文傍線。
(※51)原文の踊り字は「ぐ」。
(※52)原文傍線。

底本:『西洋医談』(克誠堂書店・大正12年6月15日発行)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1924(大正13)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年9月29日 最終更新:2019年8月18日)