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怪談奇談

小酒井光次

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 何しろ毎日九十何度といふ暑さで、日中はとても理窟などをこねては居られない。だが、土用過ぎの夜はさすがに涼しくて、虫の声も朗らかである。かうした夜に怪談をきいたり読んだりすることは非常に面白いものである。先日私は友人から Das Grosse Geheimnis in Neuzeit und Gegenwart (近代及び現今に於ける大秘密)といふ書物を借りた。これは第十八世紀の終り頃から現今に至るまでの西洋の怪談奇談を集めたものであつて、長いのもあり短いのもあり実に面白い。私はこれをいつも夜分に読むことにした。すべて怪談奇談は理窟をつけては面白くない、理窟をつければもはや怪談でも奇談でもなくなつてしまふ。私は、この書の中から短かい話を五つ六つ選んで、読者に夜分読んでもらはうと思つて、左に訳載することにした。もとより理窟をつけはしない。
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 一八四八年パリー発行、シヤルピニヨン著「マグネチズムの生理学、医学及び形而上学」の中に書かれた話……
 ガリチアのラードチウイル伯爵は、孤児となつた姪を引きとつて養女とした。伯爵の居城は古風な建物で、伯爵の居室と子供室とは大きな広間で隔てられ、あちらこちら往来するにはどうしてもその広間をとほらねばならなかつた。若しその広間をとほらなければ、庭へ出て戸外を歩くより外はなかつた。姪のアグネスが伯爵の養女となつたのは六歳のときであつたが、彼女はその広間をとほるたび毎にいつも大声をあげて顔色をかへた。といふのはその広間の扉の上に、ギリシヤ神話の中のシビルの絵が書かれてあつたからで、どうしたものか彼女はこの絵を恐れたのである。人々は彼女が、たゞ子供心に無暗に怖れるのであらうと考へ、色々宥めて見たがやはり駄目であつた。とうゝゝ(※1)人々は、彼女をしてその広間を通らしめないやうにし、彼女はそれから凡そ十年ばかりの間雨が降つても雪が降つても、往復するときは必ず庭を通つた。
 そのうちに彼女は養子を迎へることになり、その結婚披露は花々しく伯爵の居城で行はれた。夕方になつて、彼女は多くの客たちに囲まれてはしやぎまわり、大勢の人々と一しよであるから、思ひ切つて、その広間へ足を踏み入れた。ところが一歩踏み入れるなり、彼女は顔を真蒼にしてたぢゞゝ(※2)と後退つた。人々は之を笑ひ、彼女を中へ押し入れて、扉の外から錠を下した。彼女は悲鳴をあげて扉をゆすぶつたが、その途端にシビルの絵の額が落ちて来て、彼女は脳天をしたゝかに打ち砕かれその場で死んでしまつた。
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 デツソア教授はその著「精神の彼方から」の中に次の話を引用して居る。…………
 アメリカのある若い臨月の女が、三月五日に、づつと昔に亡くなつた父の夢を見た。父は手に大きな活字の暦をもつて三月二十二日を指して居た(。)(※3)覚めてから彼女は、姉を始め親戚のものに夢の話をして、三月二十二日に御産があるだらうと語つた。ところが予期に反して、子は三月十二日に生れてしまつた。産婦はその後夢の話をしなかつたが、三月二十一日の午後突然意識を失つたかと思ふと、翌二十二日敢なくこの世を去つた。
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 ギユンテル大佐の「死の物語」の中の話……
 一八七四年九月八日、詩人エヅアルド・メーリケは、スツツトガルトの閑居で第七十回の誕生祝を催ほし、それが終つてから、自分だけ早く床に就て眠つた。然し詩人の妹のクララと娘のマリーだけは、色々跡片附けのために長い間起きて居た。夜も追々更けて行つて、あたりはしんと静まりかへり、木の葉の落ちる音さへもはつきり聞える程であつた。と、その時突然美しい音楽が聞えて来た。それは丁度竪琴のやうな楽器の音で、クララはうつとりとその音にきゝとれて居たが、やがて我に返つて、さて、何処で誰が奏して居るのかと思つて、捜したが、街の上にも、家の中にも何者の姿も見えなかつた。で、驚いて、同じやうに聞きとれていたマリーに向つて、「聞えたの?」と訊ねた。すると寝室からもメーリケが、「あの音楽はどこだ?」とたづねた。が、もうその時は音楽は消えて、あたりはもとの静けさにかへつて居た。すると、メーリケは起き上つて、「誕生日も今日がおしまひだ。」と叫んだ。果して彼は翌年六月四日に死んで、第七十一回の誕生日を迎へることが出来なかつた。
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 ペルン大学教授マキシミリアン・ペルチーは「不可思議な現象」の中に次のやうな話をあげて居る。……
 一八二六年のことである。ベルンにキーフエルといふ重症の肺結核患者があつた。牧師のレナウドは度々その患者をたづねて慰めてやつたが、あるとき牧師は差支が出来て五六日間患者を訪ねることが出来なかつた。すると、ある夜突然牧師の枕頭で、件の肺病患者の声がして、「すぐ来てくれ」と言つた、牧師はびつくりして眼をさましたが、真夜中に人を訪ねるのもをかしいから、再び寝に就いた。ところが一時間ばかりすぎると再び、「すぐ来てくれ」といふ声がした。然しそのときも牧師はまた寝てしまつた。が、更に一時間たつと同じ声がして、今度は罵しり気味であつたから、牧師も致し方なく患者の家を訪ねた。牧師が静かに病室の扉をたゝくと、患者は、「もう二時間も前から呼んで居るのですよ。早くはいつて下さい。」と言つた。中へ入ると、患者は、看護人が去つたゝめに、咽喉がかはいて仕方がないので、水をとつてもらふために御呼びしたのだと語つた。
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 フランマリオンの「霊魂の謎」の中にエミル・ステフアンは次のやうに語つて居る……
 たしか一八五四年だつたと思ふ。私の継母の父は、私の郷里ミユールハウゼンで沢山の雇人をつかつて暮して居たが、その中に一人非常ななまけものがあつて、どうにも手におはず、ある時祖父は怒つて、「そんなことでは貴様は絞首台(くびつりだい)で眼をつぶるやうなことになるぞ。」といつた位であつた。それから二三年過ぎたある朝、祖父は、家族のものと朝飯をたべて居たが、突立然(※4)ち上つて、「誰だ? 何しに来たんだ?」と叫んだ。家族のものは、誰もゐないのに驚いて、どうしたのですかときくと、祖父は、「今、誰やらが、旦那様さやうなら、といつたんだ。」と答へた。然し祖父の外には誰もその声をきいたものがなかつた。――二三時間の後、件のなまけものが、森の中で首を吊つたといふ報知が、祖父の家に届いた。
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 ダブリンの医師チエーンの話……
 タウンセンドといふ大佐は、任意に死に又任意に生き返る能力のあることを示すために二人の医師を招いて実験を行つた。愈よ実験にとりかゝると、大佐は(※5)ツトの上に仰向きに横はつたが、間もなく二人の医師が検査して見ると、脈も触れず呼吸もとまり、全く死人同様であつた。二人は驚いて、こりや少し実験をやり過ぎて、本当に死んだのかもしれぬと思つて立去らうとすると、突然大佐の身体が少し動いたので、検べて見ると、脈もうち、呼吸も始まり、間もなくして大佐は蘇生した。その夜再び大佐は同じ実験を繰返したが、こんどはいつまで経つても生きかへらなかつた。
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 ノラ・ベンチンク夫人は「流竄中のカイゼル」の中に次のやうに語つて居る。……
 一九一四年二月私はエルサレムへ旅行した。船がポート・セイドにつくと、インド人の予言者が乗りこんで来て、二磅下さい未来を予言しますからと言つた。そこで金を与へると、件のインド人は甲板に(※6)き乍ら、暫らく御祈りめいたことをして居たが、やがて突然「八月、八月、八月にはどえらいことがある。」といつた。私は驚いて私の身の上にかと訊ねると「いゑ、いえ、世界中血だらけになります。」と言つた。さういつて彼は去つてしまつた。――八月果して欧洲戦争が起つた。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文の踊り字は「ぐ」。
(※3)原文句読点なし。
(※4)原文ママ。
(※5)原文ママ。
(※6)原文ママ。

底本:『文化生活の基礎』大正13年10月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1924(大正13)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(最終更新:2017年9月29日)