枕もそこに肱を曲げて(※1) 黄帝は昼寝して華宵の国に遊び、その後天下が大(おほい)に治まつたにかゝはらず、宰予は昼寝して孔子にしたゝか叱られた。
尤も孔子の怒(いか)つたのは昼寝した事ではなくて、宰予が昼日中(ひるひなか)、うちの中に愚図々々してゐるやうでは、到底学問は覚束ないといつたのだといふ説もあるが、いかにも、孔子だつて、昼寝の楽しさは経験したであらうし、又昼寝をする人の心に同情したであらう。実際、ある意味において、昼寝によつて、睡眠の真の楽しさは味はふことが出来るといつてよい。「書を投げて肱を曲げて眠る」のは、少しも眠らうとする努力を必要としないからである。
毎夜床(とこ)についてからすぐさま眠り得ない人は、決して稀ではない。従つて眠らうとする為に多少の努力を費さねばならぬ事もある。が、昼寝は元来眠たくなつて眠るものであるから、少しの工夫も要らない。また、工夫が要るやうでは午睡(ひるね)とはいへない。
思ふに、カルモチンを服(の)んで昼寝する人は、めつたにないであらう。「およそ昼寝の根元をきはむるに、ゆうべ夜遊びの損にもよらず、けふ朝起(あさおき)の得にもよらず、食後一盃の汐時に、手の物もうち落すばかり、ゐながらつり込むこゝちなれば、枕もそこに肱をまげて我たのしみを楽(たのし)むと申さん」とは、「昼寝解(ひるねのかい)」の一節であるが、まつたく、睡眠の不足を補ふための午睡(ひるね)では、真の午睡(ひるね)とはいへないかも知れない。
山水に米をつかせて昼寝かな
蓮の葉に片足のせて昼寝かな
笠をきたなりでごろりと昼寝かな
夕立に昼寝の尻をうたせけり
とは一茶の句であるが、かうした昼寝は、考へて見れば勿体ない。だから、同じ一茶の句に
今までは罰(ばち)もあたらぬ昼寝かな
とある。かれも恐らく勿体なさを感じたのであらう。
蠅が来て蝶にはさせぬ昼寝かな(※2) 軍隊生活をせぬ私には、本当かどうかわからぬが、時として眠くなくとも午睡をせねばならぬことがあるさうである。併しそのやうな午睡には、とても
糊ごはな帷子(かたびら)かぶる昼寝かな 惟然
の味はないであらう。
「続甲子夜話」に、伊賀の国では、諸人(しよにん)九ツ時より八ツまで昼寝をする風習があると書かれてあるが(、)(※3)風習となつては、昼寝もあまり有難くないかも知れぬ。
維亭の張小舎は盗人(ぬすびと)をとらへることが巧(たくみ)であつた。ある夏の日、部下をつれて古廟を訪れると、三四人の男がむしろを敷いて鼾をかいて午睡をしてゐた。見るとそこには西瓜のわつたのがそのまゝ置かれてあつて、口がつけてなかつた。張はこれを見るなり、部下に命じて、その男たちを捕縛せしめた。果してかれ等は盗人(ぬすびと)であつた。
「古廟で一しよになつて眠つてゐるのは夜の仕事につかれたからだよ」と、張は後に部下に語つた。「尤もたゞの昼寝ならば何も怪しいとは思はぬが、あの西瓜に曰くがあるのだ。西瓜を割つてそばに置いたのは、蠅を西瓜にたからせて、自分たちが安眠したいためだ。それほどにまでして安眠するのは、夜稼ぐ人間より外にない」。
これは「智嚢」の中の物語りだが、この種の昼寝は、いはゞ職業的のものであつて、風俗的の昼寝よりも一層有難くない訳である。
だが、午睡の楽しさの一面には、うるさい事の付きまとふのを覚悟せねばならぬ。それは蠅や藪蚊の襲来である。
林間にハムモツクを吊つて午睡する姿を想像するのは楽しいものだが、実地にやつて見ると、蜘蛛や昆虫が訪れて来て頗る気味が悪い。家の中ならば蚊帳をつるとよいけれど、蚊帳をつゝては昼寝の楽しさが半減する。
蠅が来て蝶にはさせぬ昼寝かな 也有
楽しい事の半面には何事でも多少の苦しみが伴ふらしい。
惰眠的昼寝を排す(※4) 前に私は睡眠の不足を補ふ午睡では、真の午睡とはいへぬかも知れぬと書いたが、併し睡眠の楽しさは睡眠の深さと正比例するから、寝不足を補ふ意味の午睡も決して楽しくないとはいひ得ない。それどころか、多くの人の午睡は、夜眠られぬ代償となつてゐる。
ばんに寝ることを苦にするつよい暑気
といふ川柳のあるとほり、盛夏の夜は至つて寝苦しく、睡眠は不足勝であるから、自然開け放した室で木の間をもり来る風に吹かれての心地よい午睡となるのである。
曲直瀬玄朔(まなせげんさく)の「延寿撮要」に「昼眠るべからず、元気を損ず、但し夜中(やちう)寝ざる事ありて神気労せば昼といふともしばし臥すべし」とある。
これによると睡眠不足を補ふべき午睡でなくては午睡をしてはならぬといふ事になる。楽しさのための午睡などいつたら、きつと玄朔にしかられることだらう。
昔の人は口を揃へて、睡眠の慾を節すべきことを訓(おし)へた。益軒の「養生訓」にも「いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは飲食の慾、色の慾、睡(ねむり)の慾なり。飲食を節し、色慾をつゝしみ、睡(ねむり)をすくなくするは、皆慾をこらふるなり。飲食色慾をつゝしむ事は人知れり。たゞ睡(ねむり)の慾をこらへて、寝ぬる事をすくなくするが養生の道なる事は人しらず、ねぶりをすくなくすれば無病になるは、元気めぐりやすきがゆゑなり。ねぶり多ければ元気めぐらずして病となる。夜ふけて臥しねぶるはよし、昼いぬるはもつとも害あり」とある。
午睡が大害だと聞いては安心ならぬが、いはゆる惰眠を貪る式の昼寝は誰が考へても有益ではない。
昼寝した後で、別に働かうともしないやうでは、神経は眠りのために却つてにぶくなるであらう。
春の日を二日にしたり昼寝坊
かうなつては、昼寝もさつぱり感心が出来ない。
なぜ眠くなるか(※5) 一体睡眠が如何なる生理的作用で起きるかは、まだよくわかつてをらぬ。身体の諸器官の活動の結果として生じた物質の中毒作用だといふ解釈は、最もあぶなげのない説となつてゐるが、さて然らばその物質はどんなものかといふに、誰も明答し得るものはない。
プライルは苦しまぎれに、疲労原質と名づけ、その主要物質は乳酸だらうと想像したが、惜しいかなその証拠に欠けてゐる。それのみか、エルレラは、酸性のものではなくてアルカリ性の物質だといつてゐる。だが、この説も、確(たしか)な拠り所のある訳でない。たゞ一種の物質が生じて、そのために身体が自己中毒を起し、睡眠の現象となるのだと考へるのが一番安全であるらしい。
所で、人間は時として不眠症にかゝることがある。神経衰弱者は多くはこれにかゝる。若し睡眠が自己中毒であるならば、神経衰弱者だつて眠つて然るべきであるが、それが眠らぬのは、神経衰弱になると、その毒に対する感応力が鈍くなるからであると説明されてゐる。これを以て見ても或場合に学術上の説明ぐらゐたよりないものはないのである。
蔡君謨(さいくんぼ)といふ人の鬚髯(しゆぜん)は非常に長くて美しく、人々の賞讃の的となつた。一日(あるひ)宮中の内宴に召されたとき、陛下は君謨に向つて「そなたは一体寝る時にその髯を蒲団の外へ出すのか、それとも中に入れるのか」とたづねられた。すると君謨は暫く考へてゐたが「よく覚えてをりません」と答へて顔を赤くした。その夜かれは家に帰つて、さて蒲団の上へ髯を出したり、又入れたりしてゐたが、たうとうそれがために夜が明けてしまつた。そこで君謨は嘆息して、「おれの不眠は髯のためだ」と叫んだ。
毒に対する感応力の減少以外に髯のためにも不眠が起るとあつては、神経衰弱者たるもの、よろしく髯をそるべきである。いや、これは少しく頭が変になつた。午睡でもして出直さう。
(※1)(※2)原文太字。
(※3)原文句読点なし。
(※4)(※5)原文太字。
底本:『通俗講話 生きた科学』(春陽堂・昭和4年7月15日発行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1929(昭和4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2019年6月26日 最終更新:2019年6月26日)