『一枝を切れば一指を切るべし』とは、一ノ谷の桜に立てられた制札である。浄瑠璃作者はこの言葉をもぢつて、『一子を斬れば一子を斬るべし』となし、一ノ谷嫩(ふたば)軍記の骨子として、今だに観客を泣かしめてゐる。
昔はこのやうに大切な物品なり、動植物なりを傷(きずつ)けた時、それが故意であるにしろ、過失であるにしろ、その罪を償ふために、身体の一部分なり、生命(いのち)なりを奪ふ掟が屡々(しばしば)定められたものである。
上総の国に幾万石かを領する大名があつた。先祖代々秘宝として、南蛮伝来の絵皿二十枚を伝へて来たが、若しその一枚を割つたならば、一命を奪ふといふ掟であつた。
一命にかゝはるほどの大切な物を取扱ふのかと、思へば思ふほど却つて手先を顫はせなどして、取り落すのが、人間の常である。ある日、貴い身分の来客があつて、たまゝゝ(※1)その秘蔵の皿を使用することになり、女中のお玉が、その清拭(せいしよく)を命ぜられた。
家老から特に恐しい掟を言ひ聞かされたので、お玉はもとより注意に注意を重ねて、取扱つたが、やがて、はつと気がついてみると、絵皿は真二つに割れて膝の前に横たはつてゐた。誤つて手をすべらせた皿が、箱の角に当つて割れたのである。
お玉は暫らく茫然としてゐたが、やがて額に汗の玉を並べたかと思ふと、何思つたか皿を捨てた儘、血相変へて其(その)部屋を飛び出した。
部屋から部屋へ、次いで庭へ、跣足(はだし)のまんま飛び降りた彼女は、やがて裏口へ出で次いで裏門目がけて馳(か)けて行くのであつた。
その時裏口に杵を振りあげて脇目もふらず米を搗(つ)いてゐる男があつた。彼はお玉の馳(か)け出した姿に思はず米を搗(つ)く手をとゞめたが、彼女の走り方が如何にも異様であつたから、直(すぐ)に後を追つて、やつと門のところで取り縋つた。
『放して下さい』お玉はなほも振り切つて行かうとした。
『どうしたんだ、何をしに行くんだ』
『生きて居られないのです。死なねばならぬのです』
『何? 死ぬ? 訳を言ひなさい』
斯(か)う言つて米搗(こめつき)男の作造は、その金剛力でお玉を押へた。
騒ぎを聞いて家の中から用人その他多くの者が馳(か)けつけた。さうしてお玉が、涙ながらに語る事情を聞いて、一同はたゞ顔を蒼くするばかりであつた。
『お玉さんにはお気の毒だが、お屋敷の掟は変へられないからなあ』
暫らくの後、用人の一人は吐き出すやうに斯(か)う言つた。
するとその時ぢつと腕を組んで考へてゐた作造は急に晴々とした顔をして言つた。
『皆さん、いゝ事を思ひつきましたよ。お玉さん、もう申訳(まうしわけ)に死ぬには及ばない、私の家(うち)に家伝の陶物継(すゑものつぎ)の薬があるのです、それで継ぐと全く元のまんまになつて、少しも割れた痕が見えないのです。これから直ぐに取つて来ようと思ふが、その前にちよつと割れた皿を見せて貰はうか』
この言葉に皆の者はほツと安心した。それから一同は作造を連れて、ぞろゝゝ(※2)と家(うち)の中に入つたが、その途中で作造が臼のそばへよつて、杵を取上げたことには誰も気がつかなかつた。
部屋に入るなり作造は、静かに指ざ(※3)された割れ皿に近寄つたが、
『えいツ』と言ふなり、積み重ねられて居た十九枚の皿の上に、振上げた杵を打ち下ろした。
無数の破片がぱつと畳をうづめた。破片の為めに顔を打たれた驚きよりも、この作造の気違ひ染みた行為に、人々は化石したやうに、おそれをなしつゝ突つ立つた。
『は、は、は、は』
作造は寂しく笑つた。さうして落着いた声で言つた。
『皆さん、私は気が違つた訳ではありません、一枚割つても、二十枚割つても、同じく一命を召されるのだつたら、二十枚とも皆(みんな)私が割つたと殿様に告げて下さい。どうせ陶物(すゑもの)のことだから、この後(のち)とてもあやまちの為に割れるにきまつて居ります。さうすれば長い間には二十人の生命(いのち)が失くなります、今私がこゝで死んで置けば、私の一つの生命(いのち)で二十人の生命(いのち)が助かります。家伝の薬があると言つたのは、あれは嘘です』
* * * *
大名はこの話を聞いて、大いに作造の心に感じ、直ちに彼を士分に取りたてた。
(※1)(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文ママ。
底本:『修養全集 第七巻 経典名著感話集(複刻版)』(講談社・昭和52年2月25日発行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1929(昭和4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(リニューアル公開:2009年11月7日 最終更新:2017年9月22日)