或男(あるおとこ)が餅を食べにかゝつた。一つ食ひ二つ食ひ、段々食(くひ)進んで八つに及んだ。処(ところ)が、まだ腹が膨れない。其処で九つ目を食ひかけたが、半分食ふと腹が膨れて了(しま)つた。その男は嘆息して、
『これはつまらぬことをした。初めの八つは無駄なことだつた、九つ目の半分だけ食へば腹がふくれたのに』
他人の成功を見て羨むものは、多くはその人がそれ迄に払つた苦心を知らない。物の成るには、成るだけの基礎が築かれて居ることを忘れてはならない。私達はいかなる場合にも、九つ目の半分を思ふ先に、その前の八つを考へねばならない。
次にこんな話がある。
ある夫婦が、よそから三つの餅を貰つた。各々一つづつ食つて一つあまつた。そこで二人は約束した。
『物を言はない競争をしよう。先へ喋舌(しやべ)つた方はこの餅を食ふことが出来ない』
一つの餅が食ひたさに夫婦は夜に至る迄、無言の行をした。
すると深更(よふけ)に至つてその家(うち)に盗人(ぬすびと)が這入(はい)つた。夫婦はそれと気付いたけれど、餅が食ひたさに、物をいはなかつたので、盗人(ぬすびと)は悠悠として箪笥の抽斗をあけてしこたま運び去つた。いかに食ひしんばうでも、生命(いのち)から二番目の着物を盗られては、もうヂツとしてゐる訳には行かぬ。妻は金切声を出して言つた。
『お前さんも馬鹿だね、餅一つ位が欲しさに、みすゝゝ(※1)あの大事な着物を盗られてしまつて』
これを聞いた夫は手を打つて笑つて言つた。『しめ、しめ、餅は俺のもんだぞ』
多くの人間は、この夫婦を笑ふことは出来ない。小さな名利(めいり)にあくせくして、大きく尊い物を失ふのは世の中にザラにある。小利大損(せうりたいそん)とは正(まさ)にこの事である。
(※1)原文の踊り字は「く」。
底本:『修養全集 第四巻 寓話道話お伽話(複刻版)』(講談社・昭和52年3月25日発行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1929(昭和4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(リニューアル公開:2009年11月7日 最終更新:2017年9月22日)