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ハイネ評伝の後に

 藤浪兄
 わが隔世の友ハイネの評伝が世に出たことを心底から私は喜びます、ハイネは私にとつては十有余年来の友であります。それゝゝ(※1)兄は御記憶でせう、たそがれの空に木立の間から黒く突き出て居る真如堂の塔尖が、徐ろに靄に包まれやうとする頃ほひ、白河に通う畔道の秋草を踏みて、涓々として流るゝ路傍のせゝらぎに胸を冷しつゝ、兄と共にそゞろ歩きした時分の私の袂の中には、いつもハイネの詩集が秘められてありました。その頃の私は今よりももつと快活な心を抱いて居たに拘らず、なほ且つハイネは私にとりて唯一の慰安者でありました。
 愛宕の山に日の将に入らむとするとき、嵯峨野あたりの月を眺めむと、たゞひとり神楽岡なる高等学校の門を出で、足にまかせて、ありしむかしの旧蹟にたゞずむべく度々夜を徹するやうなこともありました。あの平和な西京も、昼間はやはり文明の手に破壊せられて見るに堪へませぬが、夜はさすがに古の気分が味はれるやうに思ひました。小倉山、釈迦堂、往生院、とたゞ胸の中で数へて見るだけで、秋草のしげりあふ辺に虫の声が聞いて見たくてなりませぬでした。私自らが両親もなく兄妹もないといふ境遇にあつたが為でなく、人には誰しも一度そのやうな時代があるであらうと思ひます。そして寂しさが訳もなく心臓に噛み込むとき、私は常にハイネを繙きました。よく吉田山の頂で老松の根に腰を下し、文字の見えなくなる時分まで朗読したものです。今でもそうでありますが、一番よく読むだのは Buch der Lieder でありました。その中に収められてある詩の多くは、その頃の私と同じ年輩ぐらゐに出来た詩ですもの、深く共鳴するのも無理ではありませぬ。気に入つた章句を吟誦するとき、強い芳香ある酒に酔はされるやうな気持になります。白居易の詩のあるものを読むとき同じ気持を喚び起しますが、ハイネは其度に於て遙かにまさつて居ます。要は私どもの若い心にぴつたり合ふからでせう。詞句といひ、音調といひ私どもの心のまゝを残りなく言ひ尽して呉れます。
   Wenn ich in deine Auge seh',
   So schwindet all mein Leid und Weh;
   Doch wenn ich kuesse deinen Mund,
   So werd' ich gunz nnd gar gesund.

   Wenn ich mich lehn' an deine Brust,
   Kommt's ueber mich wie Himmelslust;
   Doch wenn du sprichst: “Ich liebe dich!”
   So muss ich weinen bitterhich.

   君がすゞしき眼光(まなざし)
   わがくるしみは痕もなく、
   君に接吻(くちづけ)する時ぞ
   身にすごやかの血はめぐる、

   君が胸辺に抱かるれば
   天にのぼりし心地のみ
   「なつかし」と君の叫ぶとき
   われたゞ泣くより外ぞなき。(拙訳)
 どうでせう。身に覚えありし身は、この詩を誦するとき、わけもなく泣きたくなるのでした。
 東都の大学に入りてからも、ハイネは私の常の友でありました。ことに恩師N先生がハイネを愛好せらるゝのが私の無上の喜びでありました。上野の高台に立ちならぶ冬木立を真正面に見て、恩師はよくハイネを私に語られました。その時恩師の書斎に掲げてあるハイネの肖像はほゝ笑むが如くに私どもを見つめて居るのであります。
 そのうち恩師は京都大学に講義すべく、私の親しむで居た京都の地に赴かれました。その頃恩師の胸には絶大なる悲哀が漲つて居ました。私に賜はる玉章の始めにはいつもハイネの詩が載せてありました。如何にハイネは恩師の客行の徒然と、苦悶とを慰めたことでせう。夕日まばゆく照り附くる鹿ヶ谷のほとりに落椿の真紅なるを踏みつゝ、うら寒い樹蔭をひとり杖を曳きたまひし姿を想像して、私はたゞ涙と共にその詩と消息とを読みました。
   Hoer' ich das Liedchen klingen,
   Das einst die Liebste sang,
   So will mir die Brust zerspringen
   Vor wildem Schmerzcndrang.

   Es treibt mich ein dunkles Sehnen
   Hinauf zur Waldeshoen,'
   Dort loest sich auf in Traenen
   Mein uebergrosses Weh.

   斯歌君最愛   清唱那人伝
   傾聴斜陽下   断腸秋草辺
   離別年徒久   憂愁身可憐
   寂寞登林埠   悲風涙潜然(拙訳)
 かような詩は如何に濃く恩師の胸に沁み渡つたでせう。これを読む私の心は騒がずには居られまぬ(※2)でした。
 大学を出て幾程もなく私は病を得て、湘南片瀬に静養する身となりました、片瀬の滞在は冬の初めから初夏の頃まで続きました。生来虚弱であつた私は、随分今まで病痾と戦つて来ましたが、此時こそは最も強く拘束せられました。「多病故人疎」といふ支那人のひがみ根性ではないが、たゞひとり都を離れて、語る友もなく病と親しむとき、たえられぬ寂寞と、暗いやうな気持とに尠からず悩まされます。かゝるとき私はいつもハイネと語りました。そしてまたハイネの身の上をも思ひました。故郷には父も母もなく、兄も妹もなく、たゞ煢々たる孤独の身の而も重き病の床に臥したる胸の思ひは、何と言葉にあらはしてよいかわかりませぬでした。「明月何皎々、照我羅牀帷、憂愁不能寝、攬衣起徘徊、客行雖云楽、不如早旋帰、出戸独彷徨、愁思当告誰、引領還入房、涙下霑裳衣」と古人も同じ思を語つて居ますが、旋帰して而も行く先なき私はどんなに悲しかつたでせう。ただひとり頼みに思ふ妻は都の空に文を学びつゝありました。
   Ich steh' auf des Berges Spitze
   Und wurde sentimental.
   “Wenn ich ein Voeglein waere!
   Senfz' ich viel' tausendmal.

   Wenn ich eine Schwalbe waere,
   So floeg' ich zu dir, mein Kind,
   Und baute mit mein Nestchen,
   Wo deine Fenster sind.
 とハイネのこの思ひ、古詩にも、馳情整巾帯、沈吟聊躑躅、思為雙飛燕、銜泥巣君屋と、全く皆同じやるせない情を吐かねばなりませぬでした。
 清鮮なる海気によりて、病漸う衰ふるにつれ、朝な夕な私は海浜を■■(※3)しました。湘南の海はハイネが「北海」とは多少の差異はあらむも、彼の北海詩篇がこの時ほど多く生きた印象を私に与へたことは嘗てありませぬでした。彼の海に関する詩はどれもこれも、さながら当時の私の思ひの儘を言ひ尽して居ます。高山樗牛はあのうちの「破船者」を熱海の巌頭で読みつゝ、いひしれぬ深い感慨に沈んだといふ話でありますが、北海詩篇こそは海洋を歌へる全世界のあらゆる詩中の白眉だと私は考へます。私は従来海には無限の親しみを持つて居ますが、ハイネの詩によりて尚更海を離れ難いものにして了ひました。ことに滉瀁たる青海の彼方、黄金の矢もて水天を紅に彩る落日の雄大は、人をしてこの世ならず感ぜしむるのでありますが、浪の音の咽ぶが如き渚に彳みて、黄昏の空に見入るとき、「希臘の神々」の中の諸神の姿や「落日」中の「友」の話が、目に見え、耳に聞えて来る気持がするのでした。かゝる時身の憂さも忘れ、漸く冷たき風の肌に沁みるのに驚かさ(※4)ることも度々でありました。
 煙霞療養に健康を復した私は暫らく故郷に身を安んじて居ましたが心に受けし痛手は今もなほ癒えては居りませぬ。尾濃の平原は私を育てゝくれただけそれだけ懐かしくありましたが、私の悲みは中々に深くなりまさるばかりでありました。私の好きな杜甫は、海内風塵諸弟隔、天涯涕涙一身遙、惟将遅暮供多病、未有涓埃答聖朝と慰めてくれましたが、ハイネはなほも強き音調を以て、
   Einsam klag' ich meine Leiden
   Im vertrauten Schoss der Nacht;
といつて、同じ心を言ひ表はしてくれました。
 再び研究室に入りて動物実験をなすの余暇、私は量り知れぬ懐しさを以て過去を追回します、ともすれば訳もなく再び海浜に行きたくなります。海岸の空気が私の身体に活気を貰ばせて呉れるが為のみでなく、私を誘ひ出す動機の主なるものは、やはりハイネに外ならないのであります。歳月倥偬として今や秋の最中となりました。月光が冷たく射込む窓際に凭り、来し方、行く末を思ひ、ハイネと共に愴然として私は泣きます。

 藤浪兄
 私はハイネの詩が如何ばかりの地位を独逸の文壇に得て居るかを知りたくはありませぬ。また彼の詩と他の詩との比較を試みるのも厭です。たゞ彼の波瀾に富みし生涯を知り彼の多感なる詩さへ読めば無限の満足が得られます。世には「若き悲哀(ユンゲ・ライデン)」を胸に抱いて人知れず心を苦しましむる人もあるでせう。或は恋に或は失意に人生の明暗に転輾しつゝある人も多いでせう。かゝる人にとりてハイネはいつも莫大の同情を濺いで呉れます、同じくば人は月日を楽しく生きたいと思ひます。悲境にありて而も大なる慰安を得るものは詩であります。私はハイネの詩が世の幾多の青春の士に大に読まれむことを切に希望します。かゝる時この評伝の出たのは実に嬉しくてならないのであります。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文ママ。
(※3)1文字目は行人偏+「尚」、2文字目は行人偏+「羊」。
(※4)原文ママ。

底本:『ハイネ評伝』(洛陽堂・大正5年11月16日発行)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1916(大正5)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2007年3月5日 最終更新:2007年3月5日)