英雄にはしばゝゝ(※1)愛すべき稚気がある。シーザーが嘗て帆船で海峡を渡らうとしたとき、突然大雷雨風が起つて船は転覆に瀕した。船長は絶望を叫び水夫は櫂を捨てゝうづくまつた。この時シーザーは立つて怒号した。
『馬鹿! 何が恐ろしい? シーザーが乗つて居るではないか。』と。
かくの如き稚気はもとより凡人にもある。ただ、英雄と凡人の差異は、その稚気が愛すべきか又は笑ふべきかにあるのみだ。
(※1)原文の踊り字は「く」。
底本:『朝日』昭和4年6月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1929(昭和4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(リニューアル公開:2009年11月7日 最終更新:2009年11月7日)