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紅色ダイヤ

 これから皆さんに少年科学探偵塚原俊夫君を紹介します。俊夫君は今年十二ですけれど、大人も及ばぬ賢い子です。六歳のとき、三角形の内角の和が二直角になるといふことを自分で発見して、お父さんを吃驚させました。尋常一年のとき、
 菜の花や股のぞきする土手の児(こ)
といふ俳句を作つて、学校の先生をアツと言はせました。尋常二年の頃にはもう、中学卒業程度の学識がありました。
 俊夫君は文学が好きでしたけれど、それよりも科学に一層興味を持ちました。試みに俊夫君に自動車の構造をたづねて見なさい。その場で巧みな図をかいて説明してくれます。又試みに象の赤血球の大(おほき)さは? ときいて見なさい。言下に九・四ミクロンと答へます。俊夫君の作つた遊星の運動を説明する模型は、特許になつて、中学校や専門学校で使はれて居ます。かういふ訳で俊夫君は小学校を中途でやめて、独学で研究することになりました。
 其後(そのご)間もなく、俊夫君はふとした動機から探偵小説が好きになり、たうとう自分も科学探偵になる決心をしました。探偵になるには動物、鉱物、植物学や物理、化学、医学の知識が要るので、俊夫君は一生懸命に勉強しましたが、三年たゝぬうちに、それ等の学問に通じてしまひました。
 お父さんは麹町三番町の自宅の隣りに、俊夫君のために小さい実験室を建てゝやりました。その中で俊夫君は顕微鏡をのぞいたり、試験管をいぢつたりして、可愛い洋服姿で夜遅くまで実験をして居ます。この実験室は、今は探偵の事務室を兼ねて居ります。

 俊夫君の名が高くなつたので近頃は日に二三人の事件依頼者があります。最近迷宮に入(い)つた大事件を三つも解決したので、少年名探偵の評判を得ました。然し探偵といふ仕事は、命知らずの犯罪者相手のことですから、腕づくでは俊夫君もかなひません。それがため命の危険なこともありますので、俊夫君は負けず嫌ひの性分ですけれど、両親が心配して、この春から力の強い人を助手として雇ふことになりました。その助手となつたのが、即ちこの柔道三段の私であります。
 始め俊夫君は私の名を呼んで『大野さん』といつて居ましたが、近頃は『兄さん』と呼びます。それ程私たちの中は親密になりました。私は朝から晩まで俊夫君と一しよに居ります。街などを歩いて居ると、『兄さんは今、講道館のことを考へて居たね。』などゝいつて私を驚かせ (※1)す。どうしてわかるのかときくと、にこりと笑つて、如何にも簡単に推理の道すぢを説明してくれます。
 俊夫君が探偵になつたのは、その実、赤坂の叔父さんが非常にすゝめたからでもありました。その叔父さんはもと逓信省の官吏でしたが、探偵小説が大好きで、年は五十になつたばかりですけれど、退職して毎日探偵小説を読んで居るといふ変りものです。叔父さんは金持ちで俊夫君の研究道具など高価なものでも惜気(をしげ)なく買つて呉れます。叔父さんの家には祖先伝来の宝として、天竺徳兵衛が暹羅(シヤム)から持つて来たといふ大きな紅色のダイヤモンドがあります。それは今迄度々盗賊にねらはれたことのあるくらゐ有名なものでして、叔父さんは、俊夫君が、この次の難問題を解決したら、褒美にやらうと約束しました。俊夫君は平素それを欲しがつて居たので、何か大事件があつてくれゝばよいと思つて居ました。ところが、どうでせう。その紅色ダイヤが叔父さんの家(うち)から紛失したといふ、叔父さんと俊夫君にとつては、この上もない大事件が突発したのです。

 九月のある日、俊夫君の所へ茶色の封筒の手紙が届きました。俊夫君はいつも手紙の封を切る前に先づその紙質(ししつ)、文字、消印などを検査しますが、この封筒には差出人の名が無かつたので、非常に注意深く検査して、やがて小刀で封を開き、ピンセットで中身をはさみ出しました。出て来たのは半紙半分の白紙でした。
『兄さん、この手紙を読んでごらん!』と俊夫君は白紙をひろげて言ひました。私が手で取りあげようとすると、
『あゝいけない。指紋を取るから触つてはいけない』と申しました。
 けれど、何も書いてないのですから、読まうにも読みやうがありません。
『何と書いてあるかわかる?』と俊夫君は得意気にきゝます。
『わからない。』
『明礬(みやうばん)で書いてあるんだ。』
『では水にいれるとわかるね?』
『あゝ。』
 俊夫君は棚から指紋を採る道具を出して来て、紙の縁のところに八パーセントの硝酸銀を塗り、窓際に置いて日に乾かせました。暫くすると、不完全な一つの指紋が黒くあらはれました。
『兄さん、写真機!』
 写真機を持つて行くと、俊夫君は手早く撮影し、後(のち)黒塗盆に水を満(みた)してその上に手紙をひろげて浸しました。果して白い文字があらはれました。
『俊夫君、近い内に大きな窃盗事件が起るが、いくら君でも今度の犯人は見つかるまいよ。』
と、毛筆で書かれてありました。
 これ迄沢山犯人から脅迫状は来ましたが、このやうに盗むことを予告する犯人は今迄ありませぬでした。しかも何処に窃盗事件が起るか、何が盗まれるかわからぬので、流石の俊夫君も面喰(めんくら)つたやうでした。
『どうも見たことのある筆蹟(て)だ。』と俊夫君は暫らくして言ひました。『兄さん、この字は、筆の軸の端に糸をつけ、高い所から吊して書いたものだよ。さうすると、どんな人でもちがつた筆蹟(て)になる。』

 それから二三日は何事もなく過ぎましたが、四日目の朝、赤坂の叔父さんから、俊夫君に、急用が出来たからすぐ来てくれと電話がかゝりました。俊夫君はハツと思つたらしく、探偵用道具の入つた鞄を私に持たせて、叔父さんの家にかけつけました。
 先方へつくと、叔父さんは待ちこがれたと言はぬばかりに、私たちを書斎に案内して、
『実は俊夫! ゆうべ、ダイヤを盗まれたんだ!』
『えつ?』といつもあわてたことのない俊夫君も、少しく顔色をかへました。
『俺にも、お前にも大切な品だから、まだ警察へは届けてないが、君一人で探偵出来るか?』と叔父さんはたづねました。
『一人でやります。』と俊夫君はきつぱり言ひました。
『よろしい。それでは盗まれた次第を話さう。』
 かういつて叔父さんは次の話をしました。
 紅色ダイヤはいつも書斎の金庫の中にあるが、今朝食後に叔父さんが、書斎で新聞を見ようと思つて入つて来られると、金庫の扉があいて居たので、ハツと思つて、調べて見ると、別に何一つ失(なくな)つて居ない。ところが念のためにダイアモンドの入つて居るサックを開けて見ると、驚いたことに、中にダイヤはなくて新聞紙の片(きれ)を細かに折つたのが入つて居るばかりであつた。金庫は符号錠であるから、符号を知らぬものには開けられない。その符号は叔父さん一人知つて居るだけだのに、かうして開かれた所を見ると、昨日金庫を閉め忘れたのかもしれぬ。それに窓や戸を検べても外から入つた形跡がないから、犯人は家族のものとも思はれぬではないが、家族は叔父さんと叔母さんと女中と下男とで、女中や下男はなが年居て正直なものばかりであるから疑ふ余地は少しもない。…
 俊夫君は叔父さんの話が終ると、先日届いた無名の手紙の話をし、廓大鏡を取り出して金庫を検べました。金庫の前面にかすかに一つの指紋がついて居ましたので、俊夫君は鉛白粉をかけて、指紋をはつきりさせ、写真に撮影しました。
 金庫の内外の検査が終ると、俊夫君は書斎の窓や庭や、その他のところを綿密にしらべ、それが終ると、書斎へ戻つて、
『叔父さん、ダイヤのサックはどこにあります?』と訊ねました。
 叔父さんは机の抽斗からサックを出して渡しました。中には新聞紙が入つて居ました。
『叔父さんが入れたのではない?』
『さうとも。』
『では犯人でせうか?』
『さうだらう。』
 俊夫君は新聞紙を丁寧に開きました。それは二寸四方位の小さな紙片でした。俊夫さんは、すかして見たり裏返して見たりして居ましたが、
『叔父さん! これを借りて行きます。』と申しました。
『いゝとも。それで犯人の目星はついたか?』
『まだわかりません。然し二三日中(うち)には見つけます。』

 叔父さんの家(うち)から帰ると俊夫君はすぐ金庫の上の指紋の写真を現像して、手紙にあつた指紋の写真と比較しました。二つの指紋はぴつたり一致しました(※2)。それから俊夫君は例の新聞紙片 (※3)私に渡して言ひました。
『兄さん、これ、何だかわかる?』
 見ると三面記事の一部分で、裏は広告でしたから別に何の意味があらうとも思へませぬでした。
『すかしてごらんなさい!』
 言はれる儘にすかして見ると、活字の所々に針で穴があけてありました。
『それは暗号だよ。』と俊夫君は申しました。私は左(さ)に、針で穴のあけてある文字に点を(う)(※4)つて、その新聞記事を写し取つて見ませう。
「本郷駒込富士前の理化学研究所、近藤研究室で、整色写真化学の研究を行つてゐる花井時雄氏は、これまでの写真違つて今まで不可能と見做さた赤をはじめ、黄や緑などに至る迄それらしく白い様に乾板に感ぜしむる事に成功した。それと共に写真術には常に邪魔にされ撮影者が之を除くことに最もおほく苦心してゐる紫外線をば特有のスクリーンで完全に除くことに成功した‥‥」(※5)
 俊夫君は果してこの暗号を解くことが出来るでせうか。又この暗号を、何のために犯人はダイヤのサックに入れて置いたのでせうか。(つゞく)

(※1)原文一文字空白。
(※2)原文圏点。
(※3)原文一文字空白。
(※4)原文ママ。
(※5)赤字部分、原文圏点。

底本:『子供の科学』大正13年12月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1924(大正13)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(公開:2017年10月27日 最終更新:2017年10月27日)