参考文献/資料集 2012(平成24)年

(公開:2012年11月16日 最終更新:2020年4月5日)
インデックスに戻る

3月

愛知医科大学小酒井不木文庫調査報告―医学と文学との領域横断性 / 山口俊雄・橋本明

『愛知県立大学 文字文化財研究所年報』 第五号 愛知県公立大学法人 愛知県立大学文字文化研究所 3月14日発行
【LINK】

 当研究は、愛知医科大学図書館(長久手市)が所蔵する小酒井不木旧蔵洋書を網羅的に通観し、蔵書の特徴を考え、特に不木による書込みを把握することにより、医学者でもあり作家(探偵小説作家)でもあった小酒井不木の知のありかたを明らかにし、領域横断的な知とはどのようなものかということにつき、一つの優れた例を通して考察・研究しようとするものである。

 不木らしさとは、具体的には、自然科学のみならず文学・人文科学的な知も視野に収めつつ、科学者とはどうあるべきかということを自らの問題として絶えず考えていたということである。
 また、英語の文献への書き込みの中に本文中の言葉をドイツ語に置き換えたものが散見し、これなどは、不木の外国語の堪能さ、特にドイツ語の堪能さを物語るものである。

三 資料の収集・保管:購入資料

『年報』 第三十二冊 蟹江町歴史民俗資料館 3月発行

購入資料名
・真夏の惨劇 一冊
・恋愛曲線 一冊
・新青年 二冊

四 展示:特別展示(2)館蔵品を見て学ぶ蟹江の文化

『年報』 第三十二冊 蟹江町歴史民俗資料館 3月発行

 当資料館では平成六年度から郷土文化資料購入事業を推進し、探偵小説家小酒井不木、画家林稼亭、宗教家山田玉田らの作品を収集してきた。それをうけ、平成八年度以降「小酒井不木の世界」、「館蔵品にみるふるさと蟹江の文化」など郷土の文化人に関する展示を定期的に開催し、常設展示においても文化人に関するコーナーを設置して郷土文化資料の公開を行ってきた。その後も関連資料の収集に努めるとともに、小酒井不木遺族小酒井美智子様、江戸川乱歩遺族平井隆太郎様、平井憲太郎様を始めとする関係各位より貴重な資料の寄贈をいただいた。特に平成二十年度には小酒井家より不木三十三回忌の際に八事霊園に建立された江戸川乱歩揮毫の不木碑を始めとする資料を寄贈いただいた。この特別展では蟹江町出身の文化人のほか、蟹江町に縁のある著名人の資料も併せて展示し関心を高めていただき「ふるさと蟹江」の一層の文化向上を期待し、展示を行った。
(H23・2・8〜3・20 企画展示室)
来館者数 一二三一人

七 教育普及:(5)文化財研修会

『年報』 第三十二冊 蟹江町歴史民俗資料館 3月発行

 当町出身の探偵小説家小酒井不木が生誕して一二〇年を迎えたことを記念し、不木と江戸川乱歩が交わした書簡集「子不語の夢」の編者である浜田雄介氏を招き二人の交友関係について講話いただいた。
 期日 平成二十三年三月六日
 場所 蟹江中央公民館分館 大会議室
 内容 講演「小酒井不木と江戸川乱歩」
 講師 成蹊大学教授 浜田雄介氏
 参加者 五〇人

館蔵品を見て学ぶ蟹江の文化 ○資料解説編

『年報』 第三十二冊 蟹江町歴史民俗資料館 3月発行

 探偵小説家小酒井不木の誕生と乱歩、武平との交流
 昭和初年頃、弟子の岡戸武平に「面白い句会を作ってみたいから仲間を集めてくれ」とのことから始まった会は、不木書斎の扁額「拈華微笑」(仏教用語で以心伝心の意味)から彼が「拈華句会」と名付けたもので、現在は、「ねんげ句会」として名古屋地方の文人名士の俳句愛好家の活躍の場となっている。
----------
 小酒井不木俳句・鈴木夢平画 掛軸
 この資料は、不木の俳句「布さらす 水なまぐさき 丹波かな」と昭和2年(1927)当時名古屋新聞に「ミンナガゲンキ」の題で児童漫画を連載していた漫画家鈴木夢平との合作の掛軸である。昭和2年(1927)5月に不木の探偵小説劇「竜門党異聞(りゅうもんとういぶん)」が東京帝国劇場で上演される際の記念品として書かれたことが掛軸の八双(標木)部分に墨書きされ、製作された年代が解る貴重な資料である。不木は健康上の理由から上演初日には上京できなかったが、探偵小説界の盟友であった森下雨村、江戸川乱歩、横溝正史などが出席するなどした。

 小酒井不木直筆原稿「犯罪ロマンス」
「鼻と犯罪」「胃の内容」の2編の作品から構成されている。「鼻と犯罪」では、人間の鼻の特徴を考察。「胃の内容」では、被害者の胃の内容物を調べることで、一度は逮捕された犯人の無実を明らかにするなど、医師でもあり、科学的な根拠を重視する不木らしさがにじみ出ている。

第四節 探偵小説の出発とその周辺

『愛知県史 資料編35 近代12 文化』 愛知県史編さん委員会 愛知県 3月31日発行

 先に黒岩涙香など海外探偵小説の紹介者はいたが、日本の探偵小説の創始者は江戸川乱歩といってよかろう。乱歩は三歳から名古屋の中心部で育ち愛知県立第五中学校卒業後まですごす。その間手刷りの雑誌『中央少年』を発行、のちに「心理試験」を書くと蟹江出身で名古屋市御器所に住んだ小酒井不木の激励を受け文壇への自信を得た。戦時中筆を折っていた時期には名古屋高等商業学校卒業の井上良夫の海外探偵小説研究に励まされる。
 不木はずっと名古屋に住み、自らも探偵小説の研究、創作に努めるとともに乱歩、国枝史郎、長谷川伸、平山蘆江、土師清二らを中区七本松(現千代田)の「寸楽園」に集め創作合作組合「耽綺社」を設立、地元新聞を中心に発表。そばにいて不木、乱歩の代作もした横須賀町(現東海市)出身の岡戸武平は不木没後その全集を出し、自身も第一回直木賞候補になっている。国枝史郎は不木とともに新舞子に住居を構えたが不木の死により同時には住まなかった。

文芸都市としての名古屋 / 坪井秀人

『愛知県史のしおり』 『愛知県史 資料編35 近代12 文化』 愛知県総務部法務文書課県史編さん室 3月31日発行

 この巻において大きな比重を占める文学について最後に見ておこう。第二節解説が逍遙・二葉亭の名を挙げながら奥野健男の《日本の近代文学は尾張藩から始まった》という評言を引いているが、この二人をはじめとして半田出身の小栗風葉、岡崎出身で文学者というより思想家として活躍した志賀重昂、名古屋にいて労働運動に従事した葉山嘉樹、それに春山行夫と『青騎士』に拠ったモダニズム詩人、今後再評価が期待される新興芸術派の久野豊彦、蟹江出身の小酒井不木、名張出身ながら十八歳まで名古屋で過ごした江戸川乱歩等々の名前を見出すにつけ、日本の近代文学史においてこの土地がどれほど重要な意味を担っていたかわかろうというものだ。
----------
 文学について言えば、『名古屋新聞』が企画した乱歩や不木も含まれる耽綺社同人合作による『南方の秘宝』の対読者戦略の記録(資料34)など、今日の目から見ても実にユニークなものだし、この章には読んで面白い作品も数多く収録されている。

10月

不木と不如丘との鑑別診断 / 正木不如丘

『正木不如丘探偵小説選T』 論創社 10月10日発行
 → 初出:「読売新聞」 1926(大正15)年1月25日

解題 / 横井司

『正木不如丘探偵小説選T』 論創社 10月10日発行

 (前略)二〇年に辞任して後、フランスに留学し、パリのパスツール研究所で免疫学を学んだ。同地には、一九一七年に留学し、アメリカからイギリスを経て、二〇年五月には来仏して、やはりパスツール研究所に在籍していた小酒井不木がいた。ただし不木は在籍はしていたものの喀血したため病床から出られず、不如丘はそんな不木を見参うこともあったようだ(後略)

 (前略)不木が日本に帰国した後も、不如丘はパリに残り、不木の要請で探偵小説の原書(英語版)を送ったりしていたようだ(後略)

11月

解題 / 横井司

『正木不如丘探偵小説選U』 論創社 11月10日発行

 正木不如丘と小酒井不木は、共に医学畑の出身であり、医学随筆の他、探偵小説なども執筆しているのと、雅号がよく似ているのとで、並び称せられ、論じられることが多い。そして多くの識者が、小酒井不木の方が優れていたと結論づける。(後略)