『名古屋近代文学史研究』 第111号 2月20日発行
「名古屋探偵小説関係地図」と題して斎藤が報告。小酒井不木、江戸川乱歩、岡戸武平、本田緒生、国枝史郎、井上良夫の名古屋における足跡をたどったもの。なかで「小酒井不木居住地跡」のみ、名古屋市の手で標識が建てられている。不木が中心となってつくられた「合作組合耽奇社」の会合が行われた料亭「寸楽」は現存するし、江戸川乱歩が少年時代を過ごした南伊勢町の名古屋証券取引所前など、もっと知られてよい文学遺跡である。
『大雷雨夜の殺人』 小酒井不木 春陽堂書店 2月25日発行
『大雷雨夜の殺人』 小酒井不木 春陽堂書店 2月25日発行
『惜別の宴』 横田順彌 徳間書店 3月15日発行
「ふーむ」
東京帝国大学医科大学二年生・小酒井光次は、明治四十二年十月二十七日の〈東京朝日新聞〉と、大学院指導教官の永井潜を通して、警視庁から極秘に借用した、伊藤博文公暗殺事件に関する、鑑定人報告および犯人・安重根の公判速記録とを、食い入るように読んでいた。
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「やあ、小酒井君。勉強中かい?」
扉を開けて入ってきたのは、同じ本郷弓町の下宿〔朝日館〕の三号室を借りている、第三高等学校時代からの友人で、医科大学では一学年下の古畑種基だった。
「なあに、勉強というほどのもんじゃないよ。伊藤公の鑑定人報告書と公判記録をね。これは、ほんとうは、きみの分野だな。俺は生理学と血清学が専門だ。なのに、こんなのが好きでね」
小酒井が、小さく笑いながらいった。
「まったく。きみもそういうことに興味があるんなら、法医学のほうをやればよかったんだよ。ぼくには法医学をすすめておいてさ。ところで、その伊藤公のなにを調べているんだい?」
古畑が質問した。
「別に調べているってほどじゃないんだが、犯人の動機に、ちょっと疑問を感じてね。何時だい? ああ、もう昼か。飯でも食いにいこうか」
「俺も、それを誘いにきたんだ」
「よし、いこう。また〔小川〕の洋食か?」
小酒井が、机の前から立ちあがった。
『横溝正史と「新青年」の作家たち』 世田谷文学館 3月30日発行
さて少年探偵小説も、乱歩が書き始めたころはまさにライバル不在の世界だった。当時の少年小説の主流は、『鞍馬天狗』『怪傑黒頭巾』といった時代物、山中峯太郎の軍事冒険物、あるいは佐々木邦らの明朗ユーモア物などだったのにほかならない。少年探偵団シリーズ以前にも、「森下雨村、小酒井不木両氏が、少年探偵小説をよく書いた。そして、それらはいずれも好評を博していたのだが、両氏とも私の『二十面相』のような思い切った非現実を書かなかったので、その大人らしさが、私のものほど子供心を捉えなかったようである。そういう風に、昔から少年探偵小説がなかったわけではないが、私の『二十面相』ものは、自讃すれば、画期的な歓迎を受けたといえるであろう」と、乱歩は先達を立てているが、実質的には寥々たる分野に鍬を入れたわけだ。
『横溝正史と「新青年」の作家たち』 世田谷文学館 3月30日発行
さて、大正十五年以後にも、「新青年」と「大衆文芸」とを結ぶ軌道上を、惑星の如く往還する作家たちの姿が鮮やかにみとめられる。その筆頭は小酒井不木。彼の代表作となる二作品「恋愛曲線」と「人工心臓」は大正十五年一月、それぞれ「新青年」、「大衆文芸」に同時発表されており、爾来、「三つの痣」「肉腫」「死の接吻」「印象」「メヂューサの首」など、医学・生理学的素養によって築かれた作品世界に人間精神の暗黒を暴き出す不木一流の残酷劇は、二つの誌面を交互に戦慄させた。
『横溝正史と「新青年」の作家たち』 世田谷文学館 3月30日発行
(前略)親分肌の雨村のもとにやがて吉田甲子太郎、田中早苗、妹尾韶夫、延原謙らが参集し、翻訳陣が整うことで「新青年」は編集スタイルを確立する。馬場孤蝶や井上十吉、小酒井不木ら学者・文学者の啓蒙的評論を集めて探偵小説のステイタスを高め、また懸賞小説募集で西田政治、横溝、水谷準らを発掘し、やがて大正十二年の江戸川乱歩登場を契機に、一気に探偵小説創作時代を現出するのである。
『横溝正史と「新青年」の作家たち』 世田谷文学館 3月30日発行
いっぽう、犯罪科学、心理学、病理学といった自然科学的知と文芸との交通につくしたのが小酒井不木だ。小酒井は東北帝大医学部助教授の身分で欧米留学中に喀血し、帰国後教壇に復帰することがかなわず、かぎられた生命を「新青年」を中心とする文筆生活にかけた。なかでも犯罪科学評論の領域では、犯罪捜査に活用される先端的な医学知識から、近代科学の枠組みとは別の流れを構成する秘教的、錬金術的あるいは東洋的な知にいたるはばひろい目配りがなされ、後進におおきな影響をあたえた。古今東西、科学から文芸にいたる百科全書ふうのペダントリイにみちた小酒井のエッセイは、脱近代的な、つまり近代主義の手本としての西欧とは異なるもうひとつの西欧の、知的宇宙の紹介につとめた澁澤龍彦の仕事を、ある意味で、さきどりする位置を占めている。
『横溝正史と「新青年」の作家たち』 世田谷文学館 3月30日発行
これに対して、大正末期から科学小説の執筆をはじめた小酒井不木や海野十三の場合、いささか事情が異なってくる。周知のように小酒井不木は生理学、海野十三は電気工学を専攻する科学者であった。彼らは、科学の進歩に反して、一向に向上することのない人間の品性に対する懐疑から、人類が智の最終段階まで未だ遥かに隔たった存在であることを自覚していたし、進歩し過ぎた科学への漠然たる恐怖を感じる世代に属していた。より正確に言うなら、自らを律する道徳規範を失った人類の欲望が、進歩した科学技術と結びついたとき、何か破滅的な結末が人類の未来に待っているのではないかという思いこそが、彼らをして作家として立つ方向に向かわせたのである。
『横溝正史と「新青年」の作家たち』 世田谷文学館 3月30日発行
→ 『書斎の憂愁』 山下武 日本古書通信社 2009年1月15日発行
この雑誌から送り出された探偵作家は、江戸川乱歩、小酒井不木、夢野久作、小栗虫太郎、海野十三、横溝正史、甲賀三郎、大下宇陀児、水谷準、渡辺啓助、木々高太郎をはじめ、その余の群小作家に至ってはほとんど枚挙にいとまがないほど。
『横溝正史と「新青年」の作家たち』 世田谷文学館 3月30日発行
論理的謎解きと怪奇幻想に揺れる乱歩を軸に、医学的恐怖に戦慄させる不木、科学にこだわる甲賀、大衆社会と軽快に戯れる横溝、透明な抒情にひたる水谷、都会の恐怖を描く城、狂気の描写に凄みを見せる夢野、と、レッテルを貼れば直ちにそのレッテルが無効になってしまうかのような躍動的な個性が、「新青年」誌上に踊った。昭和に入ってからは渡辺温や海野十三、浜尾四郎、渡辺啓助がデビューを飾る。昭和改元の時点で角田喜久雄の二十歳から国枝史郎の三十九歳まで、誰もが若く、探偵小説は無限の可能性を秘めていた。乱歩、平林初之輔、森下雨村、甲賀、国枝、小酒井による「五階の窓」を皮切りに、繰り返される連作が相互の個性をぶつけあう遊びであったなら、「探偵趣味の会」編集の『創作探偵小説選集』や改造社『日本探偵小説全集』は、発光する個性を集成して時代に刻みつける営みだったと言えるだろう。
小酒井、森下、甲賀といった年長世代の論者たちは、一様に探偵小説の方向転換を提唱し始める。その主張の平均値を探るならば――乱歩と「新青年」を中心とした運動は、確かに探偵小説を芸術の一ジャンルとして一般に認知させたが、作家たちは芸術性をめざすあまりに探偵小説本来の面白味である通俗性を失ってしまった。(中略)とすれば、今後の方向としては、通俗長編しかないではないか、そもそも探偵小説本来の面白さは長編にこそあるのだ――というようなものだった。