参考文献/資料集 1977(昭和52)年

(公開:2008年4月19日 最終更新:2009年1月4日)
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6月

ミステリーの培養者・米田三星

『幻影城』 6月号
 → 『幻の探偵作家を求めて』 鮎川哲也 晶文社 1985年10月10日発行

「話を戻しますが、《生きている皮膚》が阪大時代に書かれたとなると、舞台は大阪なのですか」
 まことに勝手な読者だけれど、わたしは漠然と、この短篇に書かれた場所を東京の代々木やお茶の水あたりに想像して読んでいた。
「大阪です。昭和五年秋の医学部五年生のときでした。卒業試験までまだ間があるし、暇はありすぎるし金はなさすぎるし、仕方なしに下宿の二階でゴロゴロしているときに、円本の小酒井不木集をみているうちに何だか書きたくなってヘンなものを書いたんですねン。題だけは凝って《生きている皮膚》とつけましたけど……」

7月

ミステリーの培養者・米田三星

『幻影城』 7月号
 → 『幻の探偵作家を求めて』 鮎川哲也 晶文社 1985年10月10日発行

 

11月

小酒井不木 / 中島河太郎

『日本近代文学大事典』 講談社 11月18日発行

小酒井不木 こざかいふぼく 明治二三・一〇・八〜昭和四・四・一(1890〜1929)医学者、小説家。愛知県蟹江町生れ。本名光次。大正三年東京帝大医学部卒。六年東北帝大助教授に任ぜられ欧米に留学、その間に喀血し帰朝後教授に任ぜられたが任地に赴かず、一〇年医学博士を授けられ、翌年退職した。一〇年以後療養のかたわら医学随筆を発表、森下雨村の勧めにより、「新青年」に、『毒及び毒殺の研究』『殺人論』『犯罪文学研究』の長編論考をつづけざまに発表、その平明な医学的研究に探偵小説の豊富が援用され、興味ある読物であるとともに勃興期の探偵文壇に大きな刺激を与えた。また海外探偵小説の紹介者として、スウェーデンの作家ドーセを発見し、『スミルノ博士の日記』『夜の冒険』以下の長編や、チェスタトンの『孔雀の樹』などを訳している。一四年三月の『画家の罪』を「苦楽」に発表してから創作が多く、『呪はれの家』(「女性」大一四・四)『恋愛曲線』(「新青年」大一五・一)『人工心臓』(「大衆文芸」大一五・一)『疑問の黒枠』(「新青年」昭二・一〜八)などがあり、医学的変態心理的側面を掘下げたものが多い。少年ものから『大雷雨夜の殺人』(「講談倶楽部」昭三・二)など通俗味のある作品まで広い読者層を開拓したが、昭和四年『闘争』を絶筆として死去。その業績は『小酒井不木全集』一七巻(昭四〜五 改造社)にまとめられている。

〔闘争〕とうそう 短編小説。「新青年」昭和四・五。昭和一〇・一〇、春秋社『小酒井不木全集』第三巻所収。人間の精神状態を脳質で説明するわが毛利先生と、体質ことに内分泌液で説明する狩尾博士は、精神病学界の双璧で、その論争の結果人間実験にまつことになる。実業家の自殺事件を媒介として、博士は事件展開の布置をあらかじめ定めていたという着想と、それを解明する先生、ならびに先生の情感を弟子の書翰体の体裁で効果的に掘下げ、質料ともにぬきんでた晩年の代表作。

12月

佐藤春夫の推理小説(二) / 山敷和男

『文学年誌』 12月

 私は今まで、どれだけの哲学者、詩人、小説家が、この「死」という不可解な現象について、形而上学的な問と答とを提出したか知らない。しかし、推理小説は、あくまで事件の論理的、合理的解決を求めているのである。だから「死」についての形而上学的解答を推理小説にもとめる読者がいるとすれば、それは御門違いである。推理小説にはそんなものは必要でない。ここに、誰かが死んでいたとすると、いつ、誰が、どこで、どういう手段でころしたか、殺人の動機は? と追求してゆくのが推理小説の本道である。今、その好適例として小酒井不木の「殺人論」から、「死に就ての考察」の項の、目次だけを揚げてみる。
  創傷による死
  中毒による死
  窒息による死
  異常の温度による死
  飢餓による死
  電撃死
  精神の影響による死
 これが小酒井不木の「死に就ての考察」のすべてである。「死」という、哲学的にも、心理学的にも、すべて不可解とされている現象が、推理作家の手にかかると、かくも簡単に処理されてしまうのである。「罪と罰」の主人公ラスコルニーコフは、なにも原罪意識に悩まされる必要などなかったのである。彼は金貸しの老婆を「創傷」によって殺したのである。ハムレットは何故苦悩したか。父は「中毒」によって死んだにすぎない。問題は犯人と動機さがしにある。