参考文献/資料集 1977(昭和52)年

(公開:2008年4月19日 最終更新:2020年4月29日)
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1月

あふれる探偵小説勃興期の気魄――「吉祥天女の像」解説―― / 中島河太郎

『カッパまがじん』 第2巻第1号 光文社 1月1日発行

 日本では連作探偵小説が殊の外よろこばれている。海外では合作の例はあっても、何人かの作家が連続して一編の物語に仕立てた連作は稀である。探偵小説愛好家のアメリカ大統領ルーズベルトの立案したものを、六人の作家が分担執筆した、いわゆる大統領探偵小説くらいのものだった。
 こちらは作品発表の舞台が雑誌を主としたため、目先の趣向を変えるためもあって、この半世紀にずいぶん試みられている。そのもっとも早いのが大正十五年、当時の探偵小説の牙城「新青年」に連載された「五階の窓」で、この「吉祥天女の像」はそれに次いで、昭和二年一月から「女性」に連載された。

日本探偵小説史ノート・13 小栗虫太郎の出現 / 中島河太郎

『幻影城』 第3巻第1号 No.26 1月1日発行
『日本推理小説史 第三巻』 東京創元社 1996(平成8)年12月20日発行

 

4月

日本探偵小説史ノート・14 木々高太郎誕生 / 中島河太郎

『幻影城』 第3巻第4号 No.29 4月1日発行
『日本推理小説史 第三巻』 東京創元社 1996(平成8)年12月20日発行

 

7月

解説 「新青年」の歴史と編集者 / 中島河太郎

『犯人よ、お前の名は? 新青年傑作選集T』 角川文庫 7月15日初版発行

 期せずして訳者の陣容が整ったのは、海外探偵小説の妙味が理解され支持される機運にあったからであろうが、彼らの才能を発掘し、十分に技倆を発見させた雨村の人材発見の慧眼を特筆しなければなるまい。
 訳者は逐次揃ったが、もう一段高い立脚点からの啓蒙家が欲しかった。英文学者馬場孤蝶、博文館編集局長で評論家の長谷川天渓、英学者井上十吉らが評論、紹介に援助の手をさしのべてくれたが、中でもその普及に貢献したのは小酒井不木であった。
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 殊に研究上の力作は「毒及毒殺の研究」「殺人論」「犯罪文学研究」で、東西の文献や伝説、事実譚に例証を求め、流麗な叙述と相俟って、医学と文学の交渉を物語る啓蒙的研究書の役割を果たした。

解説 「新青年」こぼれ話 / 中島河太郎

『モダン殺人倶楽部 新青年傑作選集U』 角川文庫 7月20日初版発行

 森下は「新青年」創刊に際して、読物になにを持って来るかで頭を悩ました。歴史小説や恋愛小説では駄目だ、若い世代には探偵小説が受けるだろうと思ったのだが、その予想がまんまと的中したのだ。
 大正十五年四月号に本誌の縁故の深い諸家のカリカチュアを描いて、読者に紹介している。馬場孤蝶・小酒井不木・妹尾韶夫・保篠龍緒・長谷川天渓・江戸川・延原・甲賀三郎・平林初之輔・田中早苗・森下、それに筆者自身の松野一夫の十二名が挙げられている。
 馬場と長谷川は海外作品の紹介者、小酒井は研究者、妹尾・保篠・延原・平林・田中は翻訳者、江戸川と甲賀が作家、それに小酒井と平林が創作陣に加わった時期で、これらが森下を中心にブレーン的役割を果たし、協力を惜しまなかった。
 また翻訳陣も保篠・吉田甲子太郎・浅野玄府・西田政治・田中・坂本義雄・妹尾・延原・横溝・小酒井・和気律次郎らが競って、新作家や作品を発掘して、編集部に持ち込んできた。みんな探偵小説が好きでたまらぬ連中で、おもしろい作品を見つけて、あっと言わせようと懸命だった。

11月

小酒井不木 / 中島河太郎

『日本近代文学大事典』 講談社 11月18日発行

小酒井不木 こざかいふぼく 明治二三・一〇・八〜昭和四・四・一(1890〜1929)医学者、小説家。愛知県蟹江町生れ。本名光次。大正三年東京帝大医学部卒。六年東北帝大助教授に任ぜられ欧米に留学、その間に喀血し帰朝後教授に任ぜられたが任地に赴かず、一〇年医学博士を授けられ、翌年退職した。一〇年以後療養のかたわら医学随筆を発表、森下雨村の勧めにより、「新青年」に、『毒及び毒殺の研究』『殺人論』『犯罪文学研究』の長編論考をつづけざまに発表、その平明な医学的研究に探偵小説の豊富が援用され、興味ある読物であるとともに勃興期の探偵文壇に大きな刺激を与えた。また海外探偵小説の紹介者として、スウェーデンの作家ドーセを発見し、『スミルノ博士の日記』『夜の冒険』以下の長編や、チェスタトンの『孔雀の樹』などを訳している。一四年三月の『画家の罪』を「苦楽」に発表してから創作が多く、『呪はれの家』(「女性」大一四・四)『恋愛曲線』(「新青年」大一五・一)『人工心臓』(「大衆文芸」大一五・一)『疑問の黒枠』(「新青年」昭二・一〜八)などがあり、医学的変態心理的側面を掘下げたものが多い。少年ものから『大雷雨夜の殺人』(「講談倶楽部」昭三・二)など通俗味のある作品まで広い読者層を開拓したが、昭和四年『闘争』を絶筆として死去。その業績は『小酒井不木全集』一七巻(昭四〜五 改造社)にまとめられている。

〔闘争〕とうそう 短編小説。「新青年」昭和四・五。昭和一〇・一〇、春秋社『小酒井不木全集』第三巻所収。人間の精神状態を脳質で説明するわが毛利先生と、体質ことに内分泌液で説明する狩尾博士は、精神病学界の双璧で、その論争の結果人間実験にまつことになる。実業家の自殺事件を媒介として、博士は事件展開の布置をあらかじめ定めていたという着想と、それを解明する先生、ならびに先生の情感を弟子の書翰体の体裁で効果的に掘下げ、質料ともにぬきんでた晩年の代表作。

12月

佐藤春夫の推理小説(二) / 山敷和男

『文学年誌』 12月

 私は今まで、どれだけの哲学者、詩人、小説家が、この「死」という不可解な現象について、形而上学的な問と答とを提出したか知らない。しかし、推理小説は、あくまで事件の論理的、合理的解決を求めているのである。だから「死」についての形而上学的解答を推理小説にもとめる読者がいるとすれば、それは御門違いである。推理小説にはそんなものは必要でない。ここに、誰かが死んでいたとすると、いつ、誰が、どこで、どういう手段でころしたか、殺人の動機は? と追求してゆくのが推理小説の本道である。今、その好適例として小酒井不木の「殺人論」から、「死に就ての考察」の項の、目次だけを揚げてみる。
  創傷による死
  中毒による死
  窒息による死
  異常の温度による死
  飢餓による死
  電撃死
  精神の影響による死
 これが小酒井不木の「死に就ての考察」のすべてである。「死」という、哲学的にも、心理学的にも、すべて不可解とされている現象が、推理作家の手にかかると、かくも簡単に処理されてしまうのである。「罪と罰」の主人公ラスコルニーコフは、なにも原罪意識に悩まされる必要などなかったのである。彼は金貸しの老婆を「創傷」によって殺したのである。ハムレットは何故苦悩したか。父は「中毒」によって死んだにすぎない。問題は犯人と動機さがしにある。