『ぷろふいる』 8月号
さて、ヒヒヒヒと笑つてから周囲(あたり)を見廻すとすぐ眼の前にニコヽヽしながら私を迎へてくれた人があるんです、お解りでせう、さうです、小酒井不木博士と濱尾子爵です。聞けばお二人はもうズツト前から例の前知魔の台帳を調べて私の来る日を指折り数えてお待ちになつてゐたといふんだから恐縮しましたよ(。)
小酒井博士と私は初対面でしたが会ふとイキナリ例の「ドグラマグラ」をほめられました、あれは娑婆向きのものではないがこゝでは非常な好評でもう百版はとうの昔に突破してゐるよと附け加へられました、これには私も少々オテレになりましたよ。
『ぷろふいる』 8月号
……『ぷろふいる』といふ探偵雑誌から幽界通信を書けとの依頼状が廻つてきた。これは珍らしい註文だが、私はこちらに来ても非常に多忙を極めてゐる。雑誌なども何から何まで読まねばならないし、その上に小酒井博士、川田功、渡邊温、夢野久作、濱尾四郎、小舟勝二、それに私とでやつてゐる『幽界探偵』といふ探偵雑誌に毎日短い評論を書く義務を持つてゐるので、非常に多忙なのである。
木々高太郎氏は医学畑から生れたブレイン的存在であり、小酒井博士の幽界への退転後独特な位地を探偵文壇に占め、その医学的立場に依つて或ひは第二の小酒井博士と称されてもいゝかの観を抱かせてゐるが、併し乍ら医学から出発してゐるが小酒井氏と木々氏とは、作品の傾向が今のところ違つてゐる――これは探偵小説の読者なら大抵気付く事であり、小酒井博士が怪奇・凄動・異妖の物語を特意とするのに引換え、木々高太郎氏が本格探小偵説に於て(例をとれば「人生の阿呆」の如きである)異様な情熱をもつて本格的のヴエランテンと目される甲賀三郎氏を凌ぐあたり、同じ畑から出発しても、同傾向の創作をするといふ事にはならないのであるが、このあたり江戸川乱歩氏の言葉を借用すれば、探偵小説の多様性をますます多様ならしめる意味に於て、非常に面白く、また注目すべき点であらう。。
『ぷろふいる』 8月号
参照: 「(幽界通信)『其処はおとし穴だよ』―小酒井不木―」
『妄談神経』 南光社 9月20日発行
→初出:「新評論」
まだ幼稚な英語の力ではあつたが、もう春浪の小説では満足出来なかつた頃なので、ドイルは非常に面白く読んだ。その後文学的な熱情にうかされてゐたし、当時創作探偵小説と名付けられるものは殆んどなかつたので、ドイルとも縁が切れたが、ポウやホフマンやステイヴンソンの作品を愛読する様になつた。その頃は探偵小説として感心したのではなく、怪奇小説として感心してゐたのであつた。佐藤春夫氏や谷崎氏の小説も、同じ意味で若い頃の私には魅力があつた。大正十年頃私は医者になつてゐたが、その時代は白樺派の全盛期で、芥川、久米、菊池氏などの人々が、そろゝゝそれに代らうと云ふ気配が見えてゐた。私はさうした作品にのみ心をひかれてゐた。しばらく途絶えてゐた探偵小説への興味が甦つて来たのは大震災の後だつた。私は正木不如丘、小酒井不木の両氏が医者でありながら、小説を書いてゐることに興味はあつたが、まだ文壇的な小説に心酔してゐる頃なので、それらを本格的な文学だとは思はなかつた。それでも小酒井氏のものなども大抵読んだ。(中略)私は特に探偵小説の事を調べたことがないので断言出来ないが、自分の今まで読んだものから考へると、今日の探偵小説の隆盛に最も大きな貢献をした人は、小酒井不木氏と江戸川乱歩氏であると思ふ。小酒井氏は大学教授であつたと云ふ経歴が、あの人の書くものに対する一つの信頼となつて、インテリの読者を獲得したのであらうし、乱歩氏は更に広い読者層に向つて探偵小説の面白さを教へてくれた。