『ぷろふいる』 2月号
→ 『西尾正探偵小説選1』 論創社 2007年2月20日発行
(前略)小酒井不木は自信のない新人をけなすと延びるべきものも延びなくなってしまうといって、新人過褒論を主張していたが、■新人殺すにゃ刃物は要らぬ、御作素敵と讃めりゃいい――ともいえるわけで、無暗にほめるのはかえって危険だが、とにかく、先輩にガミガミ言われたり、作品行動に拠って範を示されたら、畜生、今に見ろ! という気になって奮発心と張り合いがついていいのではないかと思うが、どうであろう?(後略)
『西尾正探偵小説選1』(論創社・2007年2月20日発行)より引用。
『新青年』 3月号
新派の喜多村緑郎など大の探偵フアンで僕がサンデー毎日に翻訳した「呪はれの日」(カヴアデール)「緑死病」(ダグラス・グレー)などを道頓堀の角座に上演したりしたが、その内に段々と盛んになつてきて小酒井不木の「紅蜘蛛」が上演されるやうになつたので、趣味の会で総見することとなつて名古屋の先生に是非出席をと促したのだが、その時分から身体を非常に大切にされてゐた先生は遂に下阪されず、その代り総見の会員たちにやつてくれといはれて自作の句を短冊に書いて百枚も送つて下すつたのには全く恐縮してしまつた。句は何でも十ばかりだつたと思ふがそれを然も病中百枚も丹念に書かれる先生の真面目な態度は、一面探偵小説フアンを熱愛されてゐた証拠であると思ふ。今私の家に残つてゐる短冊を出してみると、
鋏持つ手の皺照らす春日かな
草すなほに風いこひなし秋の丘
編笠をとるひまもなき清水哉
などといふのがある。
また僕が書く「森下岩太郎様」と朝日の星野君が書く字をソツクリだといふ話が出て、同姓同名の奇縁から新青年で五百円懸賞の囮に使はれたのもその時だつた。
二人星野が不木老台へ宛てゝ手紙を一行づゝ書きわけて当てさせようといふのだつたが、大体この名前だつて「龍」は僕は生れながらの本名だし、先方のは「辰」をわざゝゝ「龍」にしたんだからこつちが本家といへるだらう。
『近代人』 4月号
先年AKで「エープリルフールの夕」と称する催しあり。小生初放送で弱りましたが、丁度その日の夕刊で小酒井不木の死を報じてゐましたので、先輩のお悔みに名古屋へ来て、便宜CKからやつてるみたいな口吻で悠々と愛宕の山を降り、銀ブラをしてゐますと、「オヤ、さつきのは矢張り東京だつたのか。なアんだ!」うまくかつがれたやうな風情で、その実は、うまくかついでやつたつもりの小生を、すつかりカモにして、こつちが逆に痛快がられたといふお話は、どうです。
『近代人』 4月号
ボクが新聞記者になりたての3月32日のこと、名古屋から本田緒生氏が小酒井不木の死を電話してくれたので、大阪朝日の星野、大阪毎日の星野両氏をはじめ江戸川乱歩、長谷川伸、土師清二なんかに報せてもたれも信用しなかつたといふ悲しきエイプリル・フウルがある。ボクは死ぬ時は4月1日にだけは死なないつもりだ。
それから、学校時代に、4月1日の大講演会を貼紙してやつたら、ホントに集つた奴が1000人近くもあつた。バカらしきエイプリル・フウルである――ボクは4月1日にだけは絶対に講演しないつもりである。エヘン。
『新青年』 7月号
◎福岡中央病院の外科々長をしてゐる立林洋一と云ふ男は隠れた鬼才だが、この男の曰く「小酒井不木と云ふ男はどうも医者のことをよく書くので可笑しいと思つて調べてみたら果して医学博士だつた。併し彼の書いた作品に、一つとして本当の医学から論じて合理的に書けたものはない。」
『新青年』 8月号
◎もし科学者に、探偵作家としての何かのハンデイキヤツプがありとするなら、それは不思議な薬品や、○○症と云ふ不思議な病気を沢山知つてゐることでなくて、頭が数理的に整理されてゐて、筋は組上てることが上手なと云ふ点である。
◎そしてこの特長は、海野、延原、横溝、小酒井、木々、その他科学立身の探偵作家は数数あることだらうが、甲賀氏と大下氏とに著しく現れてゐる。甲賀氏にいたつてはストーリー・テラーと云ふより、ストーリー・コンストラクターと云ひたいぐらゐ。
『闘争』 小酒井久枝 春秋社 昭和10年10月5日発行
『新青年』 11月号
参照: 書評・新刊案内『闘争』