『小酒井不木全集』「ニュース」について



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「ニュース」について

 小酒井不木が急逝するとすぐに『小酒井不木全集』編纂の計画が持ち上がった。出版社との折衝に当たったのは江戸川乱歩、編集実務は『闘病術』執筆の頃から不木の助手として働いていた岡戸武平が担当した。春陽堂と改造社の二社が最後まで出版の権利を争ったが、最終的に改造社から、全八巻の予定で『小酒井不木全集』は刊行される事となる。決め手となったのは改造社の出版方針である、大宣伝・大部数主義であった。遺族の為に少しでも多く印税収入が入るようにしたい、という乱歩の意向であったらしい。ちなみに不木の逝去が昭和4年4月、全集の第一回配本が昭和4年5月である。このあまりにも迅速過ぎる対応、準備期間の短さが、作品選定の偏りとなり、収録作品の遺漏を生むのはある意味当然であったし、商品として売れるかどうかの問題が何よりも先にあった。しかしその心配は全くなく、『小酒井不木全集』は非常に順調な売れ行きを見せる。そこに持って来て、書簡や日記、俳句等の膨大な未単行本化テキストが見つかるに及び、編集サイドはすぐに増刊を決定する。読者宛に一番最初の「ニュース」が発行されたのは、完結直前の第七回配本時であった。ここで『小酒井不木全集』が全十二巻となる事が発表された。

 当初の予定通りであれば最終配本であった第八巻に挟み込まれたのが二番目の「ニュース」である。(編集サイドはこれを以て一番目の「ニュース」と見なしているらしく、以後ここからの通号でカウントされている。)内容は四冊増刊の確認と、追加された四冊の内容の予告。そして刊行は順調に進み、最終配本の第十二巻が刊行された。ところが、ここに三番目の「ニュース」が挟み込まれる。内容は、全集として完璧を期す為に更に三冊を増刊して全十五巻とする、というものであった。全集の売れ行きは今だ好調を維持していたようだが、再度の増刊に対する読者の戸惑いをある程度は想定したらしく、権利の問題で収録が見送られていた大日本雄弁会講談社刊行の『稀有の犯罪』(昭和2年)所収の小説作品を全て収録出来る事になった、というインフォメーションがなされ、「これ以上再度増刊することは絶對にありません」という保証の言葉が入っている。

 これでいよいよ完結、と思われた『小酒井不木全集』だが、第十五回配本の第十五巻に四度目の「ニュース」が挟み込まれた。江戸川乱歩が編集同人代表としてペンを取り、補遺として更に二冊の増刊を決定した旨の文章を寄せている。これは小酒井不木の全著作の分量を少なく見積もり過ぎた結果だったかもしれないし、今だ売れ行きの落ちない全集の人気に便乗して、当初収録の予定すらなかった作品まで収録する事にしたのかもしれない。だが事情はどうあれ、形としては度重なる編集サイドの不手際による予定変更には違いなく、乱歩の言葉も「またかと仰有る讀者があるかも知れないが、こゝまで好意を寄せて下さつたのであるから、どうか續けて愛讀して戴きたいと思ふ」と、前回の宣言のあっという間の撤回を受けて、弱めのトーンにならざるを得なかった。

 昭和5年10月、『小酒井不木全集』第十七巻が無事刊行され、これが本当に最終刊となった。完結を知らせる五回目の、そして最後の「ニュース」には編輯同人の喜びと感謝のコメントが踊っている。結びの一文に全集の姉妹編たる岡戸武平著『不木の闘病生活』刊行のインフォメーション(実際に刊行されたかどうかは不明。ご存じの方ご連絡を乞う。)がわざわざ出て来る辺り、小酒井不木人気にまだしがみついていたい、という出版社の色気が鼻について少々うんざりさせられる気がしなくもないが、ともあれ全集刊行当時の反響の大きさ、小酒井不木の人気の凄さは間違いなく相当なものであったといえるだろう。
「ニュース」は現代の我々に向かって、それをダイレクトに伝えてくれる貴重な資料の一つなのである。

参考文献

「「蠢く触手」の影武者・岡戸武平」(鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』晶文社・昭和60年10月)
「小酒井不木」(江戸川乱歩『探偵小説四十年2』講談社江戸川乱歩推理文庫・昭和63年2月)


(翻刻資料)『小酒井不木全集』「ニュース」

(記、2001.6.22)