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書簡

昭和四年

五十嵐直三氏宛 一月三日発

 拝復先(まづ)以て高堂皆様無事御越年の趣慶賀の至(いたり)に御座候。その後は申訳なき御無音に打過ぎ申候。平に御海容下され度く候。いつぞや田舎へわざゝゝ御見舞に御いで下されし時のこと、時々妻と共に語りあひ申候。幸にその後無事暮居候間(くらしをりさふらふあひだ)、乍(※1)(はゞかりながら)御安心下され度(たく)候。
 先日玲兄御一家御いで下され真に喜び申候。その節御消息を承り、御子さんの御ありの事など拝聞しうれしく存じ申候。玲兄もいよゝゝ発展され何よりの事に存じ候。
 その節御話に御兄上様には広重を御蒐集との事、広重はかねて、小生の愛着するところにて実にうれしく存じ申候。だんゝゝ稀になり行くのと、高価なことの為めに到底蒐集は思ひ及ばず候へ共、見ることはこの上もなく好きに有之(これあり)暇さへあれば浮世絵の書物に親しみ居る次第に御座候。
 当地の旧家にはまだ広重を持ち居る人かなり有之候由に聞き及び申候。松本書店主は時々よい品を捜し出して来ては見せてくれ申候。若しリストのうち足らぬもの有之候はゞ、仰せ置き下され度く、或は都合によつて手に入らぬに限らず候。なほ今後よい品に接し申候節は兎に角一応御報申上(おしらせまをしあぐ)べく候。
 昨年も諸国六玉川が揃つてありましたが千円以上、いや二千円以上の値をつけて居たのには驚き申候。
 そのうち上京の機もあらば拝見の栄を得たく存じ候。
 昨日玲兄より広重肉筆を頂戴致し候。広重の肉筆は小生の渇望せし所に候へば大に喜び申候。小生はかねて徳川時代の戯作者及び浮世絵師の筆蹟を集め居り候為誠に欣幸の至に候ひし次第に候。こんど名古屋に御出かけの節にはそれ等の貧弱なる蒐集品御目にかけ申度(まをしたく)候。
 乍末筆(まつぴつながら)奥様にくれゞゝもよろしく御伝言下され度妻より厚く加筆申上候。

阿部芳治氏宛 三月十日発

 拝復度々御叮嚀なる御手紙を頂き誠に忝く存じます。先日当地の井口支店長が御来訪下さいましたときは生憎大阪へまゐりし不在中で御座いまして、失礼致しました。本日またわざゝゝ御いで下さいまして、御厚謝を拝手致しました。つまらぬ原稿に対してかやうに過分な御礼を頂き切に恐縮致します。遠慮なく頂戴して置きますが御厚配のほど、謝するに余りあります。別紙受取証を添へて置きましたからよろしく御願ひ致します。
 なほ雑誌出来の節は拝見仕り度く、今後また折がありましたら書かせて下さいますやう御頼み申上ます。先は御礼旁(かたゞゝ)

那須市太郎氏宛 三月十五日発

 粛啓
 御令息利一様御逝去の趣誠に驚入申候嘸々皆様御愁傷の御事と奉推察(すいさつたてまつり)候早速参上御伺ひ申べき候処不取敢以書中(とりあへずしょちうをもつて)御悔み申上候敬具。
    哀悼二句
                       不木
 木枯しの人を吹くとはどう慾な
 春来ねば人に散れとは何法ぞ

井口唯志氏宛 三月三十日発

 御作愛読して居ります。本月分の玉稿まだ受取らぬやうでしたが、同じことですから同封します。皆様によろしく。






附記 紙数の都合にて書簡の全部を掲載することは出来なかつたが、貴重なもの殆どは掲載し得た。なほ森下岩太郎氏はじめ、震災の為めに焼失、紛失された方が尠からずあつたことを附け加へて置く。

(※1)原文ママ。「憚」の誤植?

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)