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書簡

大正十五年

岡戸武平氏宛 二月二日発

 拝復医界及人間への原稿大へん結構です。御手許へ送り返しましたから大兄のと一しよに先方へ御送り下さい。
 名古屋新聞への拙著の紹介有難う御座いました。実は二三日新聞を見るひまのない程の多忙で御手紙を頂いてから早速繰りひろげたほどののろまさ加減です。あれも亦大へん好都合でした。出版(※2)の方へ送つてやらうと思つて居ります。厚く御礼申上げます。
 闘病術へも中々手が届かず閉口して居ります。もう三つ四つ身体がほしいと思ひます。大兄に御世話にならなければならぬ仕事もだいぶ出来さうになつて来ました。よろしく御手伝を願ひます。
 大阪行き、暖かい日にでも出かけて行つて気分をかへて来るのも一興かと存じます。
 とりあへず御礼まで。

江戸川乱歩氏宛 三月三十日発

 御手紙うれしく拝見しました。其後私からも久しく御無沙汰して申訳ありません。追々御健康御恢復のことゝ存じます。
 探偵趣味の尊文実にうれしく拝誦しました。御詫びなど以ての外のことです。あれを読んで私は喜びこそすれ、些の特異感情をも抱きませんでした。実は、小生の作があまりに医者くさく鼻につくといはれて居るので、自分でも之れに対して何か一言書いて見たいと思つて居た矢先、大兄の文に接して、実に愉快でなりませんでした。森下氏も国枝氏も、盛んに所謂研究室ものを続けよといつて下さつて居るのでその上に、あゝした大兄の言葉を頂いたことは、非常に心強く且つ自分の眼の前に垂れ下つて居た雲霧がはれたやうな気がしたのであります。
 私の作品が一部の人に不快な感じを与へるのはまつたく、大兄の仰せのとほりです。即ち取り扱ひ方があまりにも冷たいからであります。自分でも、いつも思つて居ることですが、自分のこの題材を江戸川兄に取り扱つて貰つたら定めし暖いものが出来るだらうになあといふことは、筆執るたびに考へるところです。科学的な物の見方に訓練された結果作中の人物に同情をもつことが私には出来ないのであります。同情を持たうゝゝゝとして、つひ持てなくなるので、自分ながらあきれて居ります。
 然し私はなるべく情味の豊かな、暖か味のあるものを生産したいと心懸けて居ます。もう少し修行したならば多少自分の欲するところへ来ることが出来るかも知れません。いづれにしても、尊文は私を非常に力づけてくれました。感謝こそすれ、大兄があれを後悔せらるゝなど以ての外のことです。御友人が『生意気』だといはれたさうですが、ちと見当ちがひな批評ではないでせうか。大兄があれを書いて下さつた真情は私にはわかり過ぎる程よくわかつて居ります。私はあれを読んだとき『ハゝアこれは森下氏が私が自分の作品について書き送つたことを江戸川兄に話したのだな』と直感し、之れを大兄が弁護してくれたのだと思つたのです。こんなことで大兄を煩悶させては、却つて私の心配の種です。『まだ神経衰弱が治りきらぬのではないのか』と反問したくなります。どうか御心配をさらりと捨てゝ下さい。

 五階の窓。愈よ御書き下さつた由、最後のしめくゝりを受持つた私は好奇心と興味と心配とがごつちやになつて居ます。まあ何とかしてごまかすこと(※2)出来れば御なぐさみだと思つて居ます。
 一昨日国枝氏と料亭で会談してたのしく一夜を過しました。国枝氏も『火星の運河』に感心して居ました。あゝした夢幻的色彩をもつた作品は大兄の独壇場、これからもどしゝゝ発表して下さるやうに御願ひします。私も大兄はじめ一部の人々の御すゝめによつて、今暫らくは、所謂研究室ものを続けて行かうと思ひます。

 どうか御家族の皆様によろしく御伝言下さいませ。とりあへず御返事まで。

林文左衛門氏宛 六月四日発

 御手紙拝見しました。仰せの通りあなたは先づその反芻癖をなほさねばなりません。あなたのその反芻癖は私の見るところでは、あなた自身の自己暗示のために起つて居るので、もし私が仮りにあなたの傍に三日間居りましたら、たちどころに治して見せます。といふと大へん口はゞつたいことを申す様ですが、あなたのその反芻癖はあなたの性格から来て居りますから、あなたの性格をよく観察したらきつとその原因を発見することが出来ると思ひます。
 この手紙だけであなたの性格を見抜くことは一寸困難ですが、あなたはあなた自身に自分を『牛』にして居るのですから、あなたが『人間』にかへりたいと思はれゝば立ちどころにかへれます。食を一日二食にする必要もなければ、間食を廃する必要もありません。一刻も早く『牛』から脱却することです。この反芻癖がなほれば恐らく結核の方もたちどころに平癒するだらうと思ひます。
 さういふ訳であなたにお目にかゝらねば適当な療法は申し上げられませんが、何かあなたの一ばん好きなものはありませんか。例へば牡丹餅(ぼたもち)とか、何とか。もしさういふものがあつたら、それをうんとつめ込んで、胃をうんと働かせることです。あなたの胃は怠けてゐるのですから、食物をドシゝゝ詰め込んで働かせるやう馴らすべきです。折角つめ込んでも吐くやうではいけません。吐きさうだつたら、なほ更食つて御覧なさい。だんゝゝ胃は消化に馴れます。
 この私の申し上げる精神を、手紙で十分御伝へするのは却々困難です。たゞ二十年来の性癖でも一日でなほるといふことを信じて下さいませ。反芻したり吐いたりするのであなたの胃は少しも働かないのです。
 朝食をたべてそれが七時間も胃の中にあつたら、更にその上へ食物を送つて御覧なさい。さういふことを重ねて行くうちに、胃はもとに戻ります。右とりあへず御返事まで。

宮岡辨一氏宛 七月一日発

 拝復
 咯血後血痰が三ヶ月ぐらゐとまらぬ人はザラにあります。あなたに限りません。半年ぐらゐ続く人もあります。それはその人の体質によります。さういふ際はドシゝゝ咳をして痰をよく排除せしめるのも一方法と思ひます。つまり肺を咳によつて動かし、血管を強くする方法なのです。あなたは多分皮膚を爪で軽く引つかいたら、すぐその跡が赤くなる性質のお方と思ひます。さういふのは血痰が長く続きます。さういふ性質の人は山登りでもして身体を強くするに限ります。
 教育界に身を立てる御考へはよいですが、とかく一度結核にかゝつたものは、世間から教育者たることを嫌はれます。その辺の迫害を覚悟しての上でしたら、かまはぬと思ひます。尤も全快してしまへば問題はありません。どうか大切に。

瀬川潤氏宛 七月八日発

 御手紙及び玉稿拝受致しました。
 御作は実によく書けて居ます。これに始めの方の筆は、いつものそれのごとく、感心の外ありません。但し、この作は、今少し長く書いて、巡査のたづねて来るあたりをもつとはつきり心理的にうつし出したら効果の多い作となります。若しあなたが書き加へる元気がありましたら、書き加へて下さつて、それを新青年の森下さんのところへ持つて行つて御覧なさい。私が紹介状を書きますから、書き加へにくいやうでしたら、このまゝ私から森下さんに送つて読んで貰ひませう。或はそれ共、別に又、御作が出来さうでしたら、それを見せて下さつてからにしてもよろしいです。御母上様によろしく。

吉田悟一氏宛 九月十三日発

 御手紙忝く拝誦いたしました。拙著御読み下さいました由感謝致します。
 あなたの心臓の発作は全く神経性のもので御座います。神経性と申しましても、誰にでも出るのではなく、結核に悩む者に来る特有な神経性発作で御座います。実はかく申す小生も同じやうな発作に苦しんだことが御座います。脈搏が百五十以上になることは今でも時々経験いたします。
 然し私はどんなに脈搏がふえてもそれでは決して死ぬものではないといふ信念を得ましたので、それ以後発作に対しても平気であり、又発作も起らなくなりました。
 その発作の時はまことにやるせないやうな思ひになり、今にもコツンと心臓がとまりはせぬかと思ひます。然し心臓はそんなことでとまるものでは決してありません。私たちが考へて居るよりも根強いものです。その証拠にあなたはこれ迄一度も心臓停止を経験しなかつたではありませんか。頭がボーツとするのは心悸亢進のためでなく、恐怖から来るところのものです。
 で、今度予感があつたとき、とめやうとしないで徹底的に起らせて見て御覧なさいませ。私は決してある境界以上には出ないことを保証します。その際ボーツとしないで、どこ迄も意識を明瞭に保つやう努力して御覧なさいませ。あなたは大きな咯血を御経験になつたことはないかも知れませんが、咯血のときも同じやうな心悸亢進を感ずるのでして、多くの人はボーツとします。ボーツとするがために肺の中に血液がたまつて窒息を起します。大咯血で死ぬのは気を引上げないでボーツとするからです。
 私が嘗つて流行性感冒肺炎にかゝつて危篤に陥り、心臓の鼓動が二百以上になつたとき、ボーツとしてはならぬと看護婦を督励し、もし私がボーツとしかけたら、殴つても叩いてもよいから、ボーツとさせないやうにしてくれといつて、遂に危地を脱しました。これは私の自慢話の一つです。失礼ながらあなたの発作ぐらゐは軽いうちの軽いものですから、徹底的に起つて見よと覚悟して下さいませ。さうすれば、何でもなくなります。百五十になつても二百になつても死なぬとはつきりわかればもはや何の懸念するに足りません。ボーツとするのが危険なのです。真剣な気持になつて、病に面せられむことを希望いたします。
 鼻カタルや、咽喉炎も要するに恐怖から来て居りまして、あなたがもし心臓の発作を平気になられた暁には、それ等の病もケロリとなほることを保証いたします。
 どうか私の意のあるところを御察しになつて、早く恐怖から逃れて下さい。

鶴見登氏宛 九月十九日発

 拝復、苦学をなさつたあなたの事、病気征服も容易だと思ひます。
1、夏季冬季の入浴共に御すゝめします。熱が三十七度五――迄あつても差支へありません。
2、外出は少しも差支へありません。外出先で非常に疲れたら俥に乗つて帰ることです。
3、私は完全には勿論治癒して居りません。然し生活に些(すこし)の差支へないですから治癒と同じだと思ひます。歩行も平気ですが、私は用事以外に外出せず、用事は早くすましたいと思ふので、いつも自動車や人力車を用ひます。少しの影響もありません。
4、夏季冬季の外出大いによろしい。気の向いた時は季節など影響ありません。
5、読書、楽器共に御すゝめします。私は三十九度以上の熱でも読書は一日も廃しませんでした。咯血など何度したつてちつとも生命には差支へありません。ラクな気になつて下さい。

村本法順氏宛 九月二十六日発

 拝復、拙著御よみ下さいました由感謝に耐へません。
 病気が多少活動して居る間は声もつかはないことに致しませう。お経を読むことだけはやめて下さい。症状が停止すれば始めてよろしい。読経さへ御やめになれば立ちどころになほると思ひます。
 闘病術は無暗に恐れて居る人を奮起せしめるために説かれたのですが、一旦あなたのやうに闘病心が定(きま)つたならば、あとは普通の医師の言葉に従つて治療の道を講じて居てちつともかまひません。
 私自身も熱が出れば床につきます。但、私はその間を読書に過します。つまり時間を利用するためです。
 今の御容態では当分静かにして居て下さい。さうして症状がひいて行つたら再び読経も始めることにしませう。
 これから先も、度々、病の活動する時があります。かゝる際はちつとも悲観しないで静かに病の去るのを待つて下さい。
 委しいことが書きたいですけれど、何分昨今質問が山積して居りますから、今日はこれで失礼いたします。然し私の意のあるところは、わかつて下さつたことゝ思ひます。

某氏宛 十月六日発

 拝復
 御病気の由御同情申上ます。あなたの御病気はもう大丈夫でございます。御年といひ今迄の御経過といひ、いはゞ良性のものでして、この侭捨てゝ御置きになれば治ります。たとひ治らぬ迄も天命を全うなさることが出来ます。もう注射などは今後なさらないことを御すゝめします。服薬も廃して下さい。御薬を買ふ金で食物を買つて下さい。
 あなたは鰻は御すきですか。御好でしたら鰻をたべることにしませうか(牛乳の代りに)。あなたの御眼の悪いのは、一寸判断がつきかねますが鰻を御たべになればきつと快復なさると思ひます。鰻の肉と同時に鰻のはらわた即ち肝を御たべになると尚更よろしいと思ひます。更に骨を一しよに御たべになればカルシウムもはいつて居ますからよいと思ひます。
 咯血を防がうゝゝゝと思つたとて防げるものでありません。それだけ位の咯血ならば我慢してそれをあまり気にかけないやうにして下さい。さうすれば自然咯血も起きなくなります。
 手(上肢)をつかふ仕事をせぬやうにして散歩なさつて居れば自然身体が強くなつて参ります。毎朝目のさめた時に出る咳と痰は一代去らぬものと覚悟して下さい。私など随分沢山あります。
 どうか御大切になさつて下さい。安心して御養生なさつて下さい。

村本法順氏宛 十月六日発

 拝復
 御元気の由、何より嬉しく存じます。
 雅号のこと、もし私の号の一字を取ることを御許し下さるならば
    不 鳴
 としたいと思ひます。三年鳴かずとばず鳴かばまさに云々といふ言葉があります。あの鳴かずは不啼(なかず)だと思ひますが、不鳴の方が感じがよいと思ひます。
 修養書とて別に著はして居りませんが、同じく春陽堂で出した『学者気質』は多少御慰安になるかと思ひます。私の随筆集です。しひておすゝめする書物ではありません。
 どうか御身大切に願ひます。

牛尾卯三郎氏宛 十月六日発

 拝復
 一、八月十日以後としますともう一ヶ月医師の言葉に従つて安静をつゞけ(十一月中旬まで)それでも相変らず三十七度三四分出るやうでしたら、歩行を始めることに致しませうか。三四ヶ月安静にした位ではさほど体力は弱りません。
 二、自然治癒力は無意識にも活動して居りますが、意識すれば一層よいわけです。暗示作用といふのがそれです。で、いろゝゝ効のない薬をやることをやめて、なるべく捨てゝ置くことにすれば(恐怖は勿論去つて)治癒が早まります。栄養をよくすることは無論必要で『牛乳、卵』といふやうな旧式観念によらず、自分の欲するものを欲するだけ食べ、空気日光を適度に利用なさればよろしいと思ひます。いづれにしても、経過の長びくことを覚悟しなければなりませんから、はじめからそのつもりで心の準備をして下さい。
 三、読書は体温何度の時でもかまひません。私は四十度ぐらゐで平気で読書が出来ますが、誰もが可能とは言へませぬから、出来る範囲でなさればよいと思ひます。結核の熱はよほど高くても読書の出来るものです。運動は三十八度以上になつたら慎しむのを得策とします。三十八度五――にも昇ると歩いても足がふらゝゝする時があります。
 四、患者の呼吸には菌は排出されません。従つて伝染の惧れはありません。
 五、患者の入湯によつて他の入浴者にうつすなどいふことは、理論上はあり得るかも知れませんが実際には絶対にないことゝ思ひます。

安財高次郎氏宛 十月八日発

 拝復
 もう八年も御苦しみになつたのですから、征服は訳ありません。右の肺萎縮は良い徴候だと思ひます。私も右の肩の下つたのが人目につく程肺は萎縮致して居ります。熱がそんなに長くあるのは不思議です。まさか検温器に故障があるわけでもありますまいが、時折は別の検温器の故障のために長い間あやまられて居た例は稀ではありません。
 若し本当に熱があるとすれば時々解熱剤を試みて見られてもよいと思ひます。解熱剤で下り易い熱だつたら、ぢき征服することが出来ると思ひます。
 頭部(※3)脂分泌過多は、結核とは関係ないと思ひますが、それはむしろ治療しないでそのまゝにして置く方が、病の経過には却つてよいだらうと思ひます。尤も一度専門家の意見を徴せらるゝに越したことは御座いません。
 右肺が如何に萎縮致しても機能には差支へ御座いません。全肺の五分の一の組織が残り居れば、肺の機能は完全に営まれます。又腕や手の運動に差支を起すことはありません。たゞ然し腕をあまり動かすやうな仕事はなさらないやうに願ひます。
 運動は必ずしもなさる必要がありませんが、少しづゝ馴らせて行くことは肝要だと思ひます。
 いづれにしてもあなたの熱は完全に去る見込は十分あります。どちらかといへば検温をやめてしまはれるとよいですけれど、あなたのやうな御心なればあながち御廃(よ)しになる必要もありますまい。とりあへず御返事まで。

小林實氏宛 十一月十一日発

 拝復拙著御読み下さいまして御賛意を賜はり感謝に堪へません。どうか一日も早く御快癒の上世の同病者のために御活動下さいますやう願ひ上げます。
 痰の消毒の一番よいのは、二十倍の石炭酸水に吐いてそれをどこへなりと捨てゝよろしいが、私は痰壺の中へ厚い紙を入れ、痰を花かみにとつて入れそれを包んで焼き払ふことに致します。焼くのは四五日分をためて置いて一しよに焼きます。これで決して伝染の患(うれひ)はありません。洗濯ソーダを湯にといたやつでも無論よろしいのでして、大便所の中では菌はそれ程長く生きて居りませんから、現在のとほり御やりになつてもかまはぬと思ひます。
 私の現症は右肺全部にラツセルを聞き左肺下葉の大部分冒されて居ります。右肺には大きな空洞が沢山あるさうです。毎朝咯痰五・〇瓦位出来ます。その他には咳嗽がありません。
 身体は鶴のやうに痩せて居ますが体重をはかつたことがないからわかりません。時折咯血血痰があります。それで毎日午前四時就床正午に起床致します。夜が仕事がしよいからです。午後一時から五時迄を面会時間とし談論風発の有様です。沢山あるくと胸が苦しいですから外出の時は車で運ばれます。食慾は旺盛ですが、わざと小食にして居ります、服薬一切せず、消化剤は勿論滋養強壮剤も用ひません。食物も菜食を好みます。とりあへず御返事まで。

三宅甚平氏宛 十一月十五日発

 拝復御手紙、黒住宗忠、治病観、病者の心得、養生訓忝く拝手致しました。いつぞや御手紙をいたゞいて後逢ふ人毎に貴台のことを告げて、先見の明ある人はすでに皆闘病の精神を実行して病者を導て居るのだと語つたことで御座いました。御説は一々御尤で御座いまして、丹田収気法の如きも、私の実行しつゝあるところで御座います。
 御多忙の中をかくの如く御親切な御手紙賜はること、何と御礼を申上げてよいやらわかりません。どうか今後もよろしく御指導下さいますやう伏して御願ひ申上ます。
 折があらば御説を世の中に紹介したいと思つて居ります。どうか多くの病者を救つてやつて頂くやう御願ひ致します。

山内利次氏宛 十一月十六日発

 拝復精神の緊張を持続するといつたところが睡つて居る間は緊張は出来ません。丁度禅宗の僧侶が悟りに入つたやうになるのが私の所謂精神の緊張の持続なのです。始めのうち、緊張を意識的につゞけると後には無意識的に緊張をつゞけることが出来ます。私のはその状態に入るための方便にたえず続けよと申すので、やつて御覧になると自然に出来ます。血を度々咯くと、精神の緊張の意味がはつきりわかります。精神の緊張が無限につゞけ得るといふ証拠は、心臓や呼吸運動が無限に続いて居るのでもわかります。緊張なくして運動ありません。
 検温したい心と闘ふだけでも一種の緊張状態です。後に検温せずとも暮せるやうになれば緊張が無意識的に持続されたことになります。これでよくおわかり下さつたことゝ思ひます。もう一度申します。はじめ精神の緊張を要した事が無意識的に出来るやうになれば、その状態は精神の緊張の持続状態です。

千葉晩香氏宛 十二月十三日発

 御手紙拝見益々御健勝何よりに存じ候。小生別條なく暮し居り候間乍憚(はゞかりながら)御安意賜り度候(たくさふらふ)
 偖御たづねの、肺患の儀左右いづれか、ところが全体の四分三侵されても、又はそれ以上侵されたところが、生命とは無関係に候。かやうな言葉は普通の医術から見れば、或は狂的と評せられるかもしられず候が小生の長き体験と他人の同患の観察から得たる結論に候。
 御本人の容態と体質と気質と見ねば養生法は申上られず候。直接御病人に御目にかゝつて其理由を申上げねば到底理解下さる間敷(まじく)と存じ候。本人の気質、体質に適せぬ養生法は、いくら試みても駄目に御座候。食物だとか、空気だとかは抑も末のことゝ存じ候。
 この辺のことによく理解ある医師に診療を受けられ候はゞ御全快疑なき事と存じ候。御大切に願上候。
 なほ御本人の気質その他のことが委しくわかれば、これに従つて養生法等申上べく候。

(※1)原文ママ。
(※2)原文ママ。
(※3)原文ママ。

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)