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書簡

大正十四年

藪内好夫氏宛 四月廿八日発

 昨日の手紙うれしく拝見しました。何よりも大切なことまで打あけてくれて一層君に対するaffinityが増した。御両親に対する君の心持は十分御察しする。それにしても君はどこまでも強いゝゝ人になつて下さい。
 昨晩椎尾さんが来てくれ、十二時近くまで語りました。椎尾さんと南さん御自身たちには異存は毛頭ないが、やはり一応校長の内諾を経ねばならぬとの事で、私にでも校長へ話して貰つたらといふ御考へもあつたさうだが、いろゝゝ考へて見るに、校長は昨今非常に神経過敏になつて居られるとの事で、一面識のない私が行つても通り一ぺんの話に終るに間違ひないから、学校を始めて暫く形勢を見て貰ひ、安心をして貰つてから頼みに行くことに相談しました。今朝井上君が来られてその話をして置きましたから、この手紙よりも先にきいてくれたことでせう。だから兎に角始めることにしませう。始めて見れば世間の誤解もなくなり万事順調に進むだらうと思ひます。永い将来のことを思ふと、始めに出来る限り諸方の了解を得て進みたいと思ひます。
 いろゝゝなことは逢つて御話します。翻訳のことはちつともかまはぬから、そんなに気をもんではいけません。

藪内好夫氏宛 五月三日発

 手紙見ました。労働学校のために身を粉にしてくれる君の心に僕は涙を流して感謝して居る。あんな風になつたことは已むを得ぬけれども、却つてよい方に向ふかも知れない。何分よろしく頼む。君の力にまたねば忽ち総崩れだ。
 小尾君が君の尊い心に同情してくれないのは非常に心外だ。致し方がない。今月の雑誌は僕はよく出来たと思つてゐる。口実にはならぬ。やつぱり君のいふ通り佐藤君にポスターをはらせるためかも知れぬ。
 雑誌も翻訳もなまけるとは暴言だ。二つともビールの気の抜けたやうな仕事だ。労働学校は切れば血の出るやうな尊い仕事だ。翻訳はたゞダシにやつて貰ふだけだ。出来なくても遠慮してくれたまふな、今ゆつくり筆をとつてゐるひまがない。許してくれたまへ。そして一度ひまな時に顔を見せてくれたまへ。委細はその節に譲る。
 学則を又、同封のところへ願ひます。

本田緒生氏宛 五月十日発

 拝復、只今まで心待ちにして居りましたが、たうとう御見えにならず残念至極です。本当に一日も早く御顔を見せて下さい。御手紙繰返しゝゝゝ拝読しました。キングの拙作は『法医学の知識を小説で普及するやうな小説』といふ先方の註文、而も三十枚内外といふのですから、探偵小説と名づけてよいものかといふことさへ疑はれるものです。『女性』への第二作は七月増大号の方へまはしたさうで、来月でなくては出ません。
 あなたの書かれるものと、私の書くものとのちがひは大きいです。あなたが私の書くやうなものを書いちやいけません。私はたゞ雑誌社の註文によつて『犯罪探偵を取り扱つた読み物』を書くに過ぎないのですから、いはゞ犯罪事件の記述に過ぎません。若し私がルブランの真似でもしたら、それこそメチヤクチヤなものしか出来ません。又私にはそんな天分がないのです。私がかういふ態度で小説めいたものを発表すると或は探偵小説界を毒しはしないかとも恐れますが、何しろ一般民衆に媚びるやうにして、註文して来ますからまあゝゝ当分は先方の望み通りのものを書かうと思ふのです。雑誌編輯者の意見をきくと科学を入れこんだ小説といふのが比較的受けるのださうでして『苦楽』へも今後毎月書けといふ註文が来ました。私の書くものが多少でも読まれるのは私が『科学者』であるがためで、物珍らしいから読まうといふ程度のものです。だから犯罪探偵事件を書くのです。芸術としては何の価値もありません。
 ところがあなたや江戸川君に人々の望む所のものは、芸術としての匂ひ高い探偵小説なのです。あなたの天分は質に於て、ルブランと全く同じだと思ふのです。其処が私の及びもつぬ(※1)ところで、其処をあなたに出来るだけ発揮して頂きたいと思ふのです。ルブランに『科学』はありません、あつても頗る幼稚なものです。たまゝゝ『科学的』なものを書いても大へんなスキがあります。ところが、リユパンの人となりとその行動をうつす所は神力に近いです、どうかあなたはあなたの持ち前をどこまでも発揮して下さい。私が若しさういふ方へ手をつけたら、とても御話にならぬものしか出来ません。
 今日御目にかゝれたら、この話をゆつくり致したいと思ひましたが残念でした。松本泰氏へハガキを出す序がありましたから僭越ながら、あなたの原稿宜敷く頼むと申して置きました。まだゝゝ申上度いことがあるですけれど、これにて。

藪内好夫氏宛 八月三日発

 全く藪から棒の御たよりびつくりしました。どうか出来るだけ大切にしてあげて下さい。いろゝゝなことも心に浮ぶでせうが……私も学生時代に恩師を介抱したことがあつて、病師の眠つて居られる間はいろゝゝな思ひに耽つた経験があります。……病む人はかはい想です。十分親切にして上げて下さい。御父さんはどれ程心苦しく思つて居るかしれないでせう……快復を切に祈ります。
 堀内さんはまだ来ません。帰途には各地の労働学校を是非見て来て下さい。
 いろゝゝ言ひたいこともあるですが……君の心を慰めねばならぬと思ふが、病室の光景を想像して其処に生ずるデリケートな心の葛藤に胸をうたれ、何ともいへぬ気持になつたから今日はやめます。

江戸川乱歩氏宛 六月十七日発

 御手紙うれしく拝誦致しました。序文遅れて申訳がありませんでした。別封書留郵便で御送りしましたから、御受取を願ひます。何だかヘンなものになつてしまひましたが、一般読者のことを考へて、あの程度にとゞめて置きました。探偵小説の沿革とか、外国作家のことなどを書かうかとも思ひましたが、キリがなくなりますし、又、前田河氏などに喰つてかゝるのも、場所が場所ですから、折角の創作集をだいなしにしてもいかぬと思つて、あつさりと片附けて置きました。然し私があなたの作物に対して持つて居る心持はあれで大分あらはれたと思つて居ります。お気に入らぬところは何とぞ御諒恕を願ひます。
 校正は出来るならばあなたの方で御すまし下さるか、春陽堂へまかせて頂いてよろしう御座います。
 探偵趣味の会益々隆盛の由愉快でなりません、近いところで出席が出来たらどんなにか喜ばしいだらうと思ひますが意に任せません。会員たること無論異議のあらう筈はありません。雑誌創刊について金がいるやうでしたら出しあつてもかまひません。それにしても創立早々これだけの会員の出来たことは大成功だと思ひます、星野さんに御逢ひの節よろしく申上げて下さい。
『苦楽』の拙作に対しての御言葉恐れ入ります。碌なものではありません。いつも理窟つぽくなつて蝋をかむやうなものです。八月号には『ふたりの犯人』として打出二婦人殺しの解釈をして見たものを送りました。これも小説だやら講義だやらわからぬものです。『序文』の中へ書いたやうに探偵小説も芸術として書かれねばならぬといふ自分の主張であり乍ら自分の書くものは、やつぱり駄目です。春田君の批評は一々もつともです。然し自分ではあれでせい一ぱいなのです。いつも材料を取り扱ふたび毎にこれをあなたなら定めし私が満足するやうに表現するだらうになあ、と思はぬことはありません。苦楽の『夢遊病者』などあの題材をあれだけに生かす手腕は並大抵ではないのです。片岡さんのなど、軽くてよいけれど、あなたの作のやうに底力がない。やつぱり、どの作を見ても、あなたの持つて居る天才的な力のひらめきが充ちて居る。それが幾重にも羨しくもあり尊くもあるのです。『屍蝋』なんども、ねらつた的にぴちんと射当てゝあるのがうれしいのです。春のいらゝゝした気持、犯人の裏の裏を行く恐ろしいたくみ。然しあれほどコツたものになると、恐らく通り一ぺんの読者にはこの味がわからぬかもしれません。『駄作乱発云々』とあなたは仰しやいますけれど、あれで駄作ならむしろ盛んに駄作をやつてもらひたいものです。そんなことに卑下して居られると、あなたの持ち味がひつこんでしまひます。憚りなくどしゝゝ製作して下さい。平林さんや加藤さんたちが、いつかあなたの作を批評せられたところを見ると、やはり作品全体として感心してしまふので、やつとのことに、ちよつとしたアラを見つけて挙げて居る様子でしたから、『序文』の中へその弁護を書いて置きました。誰だつてアラのないやうに作りたいのは勿論ですけれど、筆の都合で多少の斟酌をしなくてはならなくなるでせう。誰が何といはうが、私はあなたの作の底に光つて居るものが何時もはつきりと眼につくのです。あなたを及ぶかぎりもり立てゝ行くこそ、私たち日本の探偵小説界に身を置くものゝ義務だと思つて居るのです。大に書いて下さい。
『新青年』へはルヴエルの模倣のやうなものを送つて置きました。私としては小さいものゝ製作に相当の熱を感じます。三篇送るつもりのが二篇(尤も一篇は二つにわかれて居ります)しか送れませんでした。これから毎月一篇は送りたいと思つて居ります。
『屋根裏の散歩者』楽みにして待ちます。
 横溝さんの構想はたしかによいものと思ひました。面白いことはあの中に『めくり暦』へ云々とあるところは私が今月の『子供の科学』に書いたことゝ偶然の一致で、私は毒瓦斯の秘密をめくり暦の中へかくして置くことにしたのです。自分の考へるやうなことは人も考へるものだといふことに苦笑させられました。

 御父さんはその後如何ですか、どうかせいゞゝ慰めてあげて下さい。
 先は御返事と御案内まで。

江戸川乱歩氏宛 七月十七日発

 拝復
 今朝読売新聞の新刊書目録の中に『心理試験』のはいつて居たのを見て大に喜び早速この旨ハガキで御祝ひ申しあげやうとして居たところへ御手紙に接しました。
 まだ御送り下すつた書物はつきませんが明日は手に入ることゝ焦れて待ちます。

 御父上様の御病気思はしからぬ由本当に同情致します。私のやうに自由に筆執ることの出来る身分でも小説となると、いらゝゝしてちつとも思想が纏まらずほとゝゝ閉口して居るのですもの御心配中どうして考を纏めることが出来ませう。探偵小説といふやつは、普通のものとちがひ無駄な時間を構想のために費さねばならず、この苦しさはつくゞゝ私も味ひました。どうか気を挫かれないでやつて下さい。十二分に私は御同情申上げて居ります。私もストオリーその他を書かねばなりませんが、今日は朝から考へても一つもまとまらずポオの小説を読んで暮れてしまひました。
 実際小説書きは辞職したいやうな気持ちです。参考書を見て書く文章なら立ちどころに出来るのに今更、かつたいのかさうらみの為体(しだい)です。
 先日春日野さんから大兄が近いうちに来て下さるかもしれんとのことで心待ちにして居りました。御父上様が悪くては致し方ありません。又、少し時間の余裕の御出来になつたときに、来て下さいませ。父上様御(※2)の悪いに他行して居られることは気が落つきませぬから、少しよい日が来た時になさつて下さい。松原君はこの月は何でも目がまはる程忙しいのださうです。八月はたしか閑散になるとの事です。八月にゆつくり私の家で落ち合つて語ることにでも致しませうか。
 いづれ又書物を拝見した上に萬縷申上げます。御父上様を大切に!!

江戸川乱歩氏宛 八月二十二日発

 御手紙と巨勢氏原稿拝手早速読了致しました。趣味の会のこと、然らば会費の点などは先づぼんやりさせて紹介することにします。然し今月末ですから、二十五日に話がきまつたら一寸御知らせを願ひます、サンデーニユース三月号はたしかまだ貰はなかつたと思ひます。(加藤君のヒゲの小説ののつたのが最後でした)
 巨勢氏の言はるゝところ別に異議はありません、あなたの御作に対する批評も大たい私の心持ちと一致して居ります。全体としては大へんよく書けて居ります。
 探偵小説と所謂高級文芸との関係は近頃やかましく論ぜられるやうになりましたが芸術としていへば一般文芸ものと差別ある筈はありませんが、さうすれば探偵小説といふ名を撤廃してしまはねばなりません。さうなると妙なことになりはせぬでせうか。
 一たいあまり窮屈に考へすぎて従来の探偵小説の型を破らうとすると、こんどは又、その作者の型が出来上つてしまひます。一般民衆を対照として考へると、型にはまるといふことは好ましいことではありません。之の時々の一寸した思ひつきであつてもちつともかまはぬから之れを作品にあらはして読者に一寸面白いなと思はしめれば之れで沢山でせう。といふ位の元気で書かなければ行き詰るだらうと思ひます。探偵小説の要件としては『面白く』なくてはなりません。ポオの作品には如何にも深い人生観とてはないやうですが、でも言ふに言へぬ程私には面白いのです。一般民衆が二三の優れた批評家のやうな鑑賞眼は持つて居ないのですから、批評家の言葉を無闇に気にするには当りますまい。あなたの持つて居る特殊な感覚、之れを作品を通じて見せて貰へば私には沢山です。あなたの作品が所謂純芸術的作品に近よつたといふやうなことは私にとつては実は第二義なんです。無論こんなことをいふと、何と低級な意見だらうと人は嘲(あざわら)ふでせう。然し笑はれてもかまひません。之れが事実ですから。そして世の中には私と同じくらゐの意見の人も可なりにあるだらうと思つて居ります。
 だからあなたが今後どんな風な工夫を凝らされやうが、あなたの持つて居る特殊な感覚さへあらはれて居れば私は無条件で挫服します。私は歌舞伎芝居を見るとき、役者がどうの、脚本がどうのといふより先に泣かされてしまふのです。泣ければ之れで私は満足するのです。他人の作品を見ましても、よほどメチヤゝゝゝのものでない限り先づ感心するのです。泣きたい、怖ろしがりたい、驚きたい、笑ひたい、これが私の心ですから、泣かしてくれ、怖がらしてくれ、笑はせてくれ、驚かせてくれるものであれば之れで十分です。

 先夜国枝史郎氏が来られ探偵小説の話が出でゝ私のは無論問題にならぬが、あなたの作品にも説明が多く描写が少ないと言つて居ました。同氏は松本泰氏のは描写になつて居るといふのです。然し描写になつて居ても面白くないものは仕方がないではありませんか。いづれにしても批評といふものは個人々々でちがふのですし、作品に存在の価値がなければ、自然に消滅するものですから当分はどしどし製作することに心がけて貰ひたいと思ひます。
 探偵小説の黎明期に際会して居るのですから、あまり考へすぎると手も足も出なくなり折角開けかかつた道が崩れてしまふやうになります。

 何だかとりとめのないことを書いてしまひました。要するに物ごとは棺を蓋ふて何とやらですから『書く、書 く、書く、』で進んで下さい。
 御父上様は? 御大切に!!

江戸川乱歩氏宛 九月二十五日発

 突然ですが、こんど東京で大衆作家同盟が出来、大兄にはひつて頂きたいと、発起人の池内氏が申して来て、私にも意向をたづねてくれと申して来ました。今のところ同人は、
 平山蘆江、本山、白井、国枝、矢田、長谷川伸、土師清二、直木三十三、池内、小生の十人、だそうです。大兄もはいつてやつて下さい。いづれ詳しくは池内氏から申上げるさうです。
 昨夜川口、国枝両氏来訪大兄の噂をしました。大兄のこと伝へて置きました。よく了解してくれたのみならず大兄を激賞して居りました。

山田知男氏宛 十月十九日発

 御手紙と写真只今拝見した。昨夜送つた先方の写真はもう見てくれた事と思ふ。多分君にもお気に入るだらう。
 万事小生に任せてくれて有難う。それでは小生が程よく取りはからふことにしよう。大阪の方の話は一時進行を中止させて下さい。
 先方の養父精一郎氏は先便にも申し上げた通りまだ四十を越したばかりの若い人で、起町で開業しつゝあるから、君を迎へたら、君に名古屋で開業して貰つた方が都合がよからうといふ話だ。無論、加納家を継ぐので分家ではない。君に十分研究してもらつて、えらくなつてほしいといふのが先方の希望だ。つまり君は先方の子となつて養育してもらふのだ。さうして学成れば自由に開業してもらふといふのだ。無論開業に要する費用も出してくれるし、研究に要する費用も出してくれる。
 先方は大変乗気だから、この縁談は纏ると思ふ。尚念のため色々の条件は加納氏に逢つて確実にとり決めて置くから万事小生に委せ給へ。
 一応大海氏の方へ話すべきだが、これは君から話してくれ給へ。きゝ合せはこちらで十分だと思ふが、兄貴にやつてもらつてもよい。兎に角この縁談はよほど有望に思はれる。君のこと、君の家のことは何もかも先方に話して置いたが、その上の懇望だから先方には異存はない筈。その都合で加納氏が堺に行くかもしれぬ。或ひは都合によつて君に来てもらふかも知れぬ。右とりあへず一寸。

松橋紋三氏宛 十一月十九日発

 御手紙玉稿只今拝手致しました。非常に佳い御作と思ひます。あれに似た趣向はオルチーの短篇にもありますけれど、御作は立派にレゾン・デートルを持つて居ります。監獄部屋の研究も十分行届いて居りますのには感心しました。嘗て監獄部屋に居た人から、私のところへその経験を書いた原稿を送つて来て森下さんへ廻して置きましたが(探偵小説ではありません)それを読んで居たので、一層実感が伴ひ愉快に拝読しました。探偵小説としては最近この種の作が喜ばれるやう希望します。御作は早速森下さんの許に廻して置きました。例の通り原稿は大へん輻輳して居るやうで、いつ掲載されるかわかりませんが、森下さんにも気に入るだらうと思ひます。御多忙でせうけれどせつせと書いて下さつて見せて下さいませ。今は探偵小説全盛の機運が醸されて来ましたから、この機を逸せぬやうに私も出しやばつて居るやうな訳です。九月の下旬から十月の下旬までに七篇の小説を書いたやうな有様で碌なものは出来る筈がありません。新青年に出た『手術』と『痴人の復讐』と新年号に出る筈の『恋愛曲線』だけは僅かに読んで下さい、と申上げられるくらゐのものです。とても自分の作品に自信を持つことが出来ませんが追々修正致してまゐります。それにしても大兄の腕を寝させて置くのは惜しい気がします。なるべく閑を見つけて製作にいそしんで下さい。
 三田先生には久しく御無沙汰致して居ます。どうか御帰の節よろしく御伝言を願ひます。先はとりあへず御返事迄。

納屋(※3)三千男氏宛 十一月二日発

 御手紙及び玉稿二篇たしかに拝手致しました。第三号には小説の原稿が可なりに集つて居りますからいつそ小説号でも出さうかと思つて居ります。
 一昨夜江戸川、横溝両氏来談あなたの御噂を致しました。今頃はもう御面会なさつたことゝ存じます。
 御作はかねてから小生の愛読するところの平井兄からまだ御年の若いことを承り尊敬を禁じ得ません。
 探偵小説が全盛の機運に向ひつゝあるこの期に際して、私は切にあなたの御活躍を望んで居ります。あなたを始め横溝、本田緒生の両氏は、今後の日本の探偵小説界を背負つて立つべき人、どうか御奮闘を願ひます。新青年新年号には文壇の人々と共に所謂探偵小説家が顔をならべるさうで、今より期待しつゝあります。私も『恋愛曲線』といふ一篇を寄せて置きました。碌なものではありませんが、聊か力を尽して置きました。御評読下さらば幸甚に存じます。
 名古屋へ御いでになる時がありましたら是非御立寄り下さるやう御願ひします。私も一度上京したいと思ひ乍ら病身故に之の意を果しません。
 先はとりあへず、御返事旁々今後は時折御消息を願ひます。

加納精一郎氏宛 十二月九日発

 御手紙忝く拝見致しました。今回は首尾よく御縁談相纏り此上もなき喜びで御座います。本人知男君は勿論、家族の人も大喜びでございます。知男君の亡き父親も定めし地下(※4)満足の意を表してくれて居ることゝ存じます。私の大学生の時分、病床で私に知男をよろしく頼むと言はれた姿は今でも私の眼の前に浮びます、さうして父親の頼みを引受け、これを実現し得たのは愉快でございます。実は私が正式に先方の御返事を御伝へすべきであつたのを、知男君が御宅へ御伺ひしさへすればそれが正式の返事にもまさると思ひましたので差控へたのでございます。此上は一日も早く吉日を御選び下すつて目出度い式を御挙げ下さるよう御祈り申上げて居ります。本人へは一月中といふことに話して置きましたが、御都合のつき次第何時でもよろしからうと存じます。
 御老母様、御令息様いづれも御満足ときいて何よりに存じます。御令息様も定めし御安心下さつたことと存じます。この上はたゞ御本人同志の御健康を切に祈るばかりでございます。
 どうか御令室様、御令嬢様によろしく御伝へ下さるやう妻よりも厚く加筆を申出ました。

江戸川乱歩氏宛 二月十九日発(※5)

 御手紙うれしく拝見しました。大兄の御返事に接して浮び上つた気がしました。この意気込ゝゝゝ。大に引受け大に書き破つて下さい。週刊に旬刊に月刊二つは随分苦しいでせうが、(この上『大衆』もありますから)なあにこの元気だけで、突破して行くことが出来るだらうと思ひます。本当に『行き詰り』なんといふ言葉はきいても厭です。どうして大兄が行き詰るものか。早くこの活動振りをみんなに見せてやりたいと思ひます。人間の仕事は、古い言葉ですが『棺を蓋ふて後定まる』のですから(、)(※6)さうして又、誰が何といはうと、どんな作物を示さうと、大兄の価値はもう動かすことが出来ないから、今後はたゞ元気を以て進んで下さい。実際また『闇に蠢く』のやうなアトラクチヴな作品を示せば誰も何とも言ひ様がありません。
 仰せのとほり『健全』ものにはどうも私も物足らぬ心持がするのです。ドイルのやうな完璧な作品ですから(※7)、やつぱり之れだけといふやうな感じがして来出しました。ちと、病膏肓に入つたのでせうか? 私もそのうちには健全派にはいつて行きたいとも思ひますが、まあ当分は自分の身体と同じく不健全で進むことでせう。
 横溝君の『広告人形』はあれを若し『人間椅子』を読まないで読んだらすばらしいものだと思ひますが、人間椅子を読んで居るために、印象が幾分弱められる憂があります。だから平林君も春田君もとりたてゝ言はなかつたのだらうと思ひます。先日私は新青年から各雑誌の新年号の作品推奨の問合せが来たとき、健全派に敬意を表して『予審調査(※8)』と『ニツケルの文鎮』をあげ、それから大兄の『闇に蠢く』の三つを答へて置きましたが、前記二つの健全派の作品よりも、私としては横溝君の方が実は少しばかりよけいに好きなんです。けれど健全派の存在を紹介し之れをもり立てゝ行くのも私たちの義務と思ひますので、又実際予審調書は実に整然とした書き方なので、自分にはとても書けさうにないと思つて推奨しました。なほ又前記健全派の二つよりも『踊る一寸法師』は比較にならぬほどすぐれたものでせう。国枝氏も非常に感心したといつて来ました。甲賀君の批評は当つて居ります。ポオのホツプフロツグを読んでなかつたら私はポオの何十倍もよい作品だといつたでせう。又実際ポオのホツプフロツグよりも現実的(※9)あるだけ私たちは余計に迫つて来ます。
 兎に角当分は御互に不健全に徹しやうではありませんか。さうしてこの世の中をむしろ不健全化してしまはうぢやありませんか。健全派は先づ甲賀君あたりに当分任せたいと思ひます。
 横溝君に御序の節よろしく伝へて置いて下さい。横溝、水谷、城、などゝいふ人は今後の不健全派の探偵小説界を背負つて立つて行く人たちで、修行次第で、どんなにでも発展して行くことが出来ると思ひます。
 時に読売新聞に、東京へ御轉居のことが出て居ましたがあれは本当ですか?
 御多忙中をさまたげて失礼しました。寒くなつたから御大切にして下さい。

岡戸武平氏宛 十二月二十二日発

 拝復昨日は美しい力作を有難う御座いました。飽かずながめて居ります。新聞の切抜忝く拝手しました。『恋愛曲線』御気に入つた由うれしく存じます。やはり、あゝいふ風のものが一般に最も好かれるやうです。とに角『恋愛曲線』だけは、『人工心臓』に感心しない人も一斉にほめてくれました。然しどちらかといふとまぐれあたりで、創作のはたけでは全くの素人ですから、これからうんと勉強します。
 午前三時迄の話が感動を与へました由、私も昔は規則通りより時間が遅れたりすると可なりに気になつたものですが、近頃はさういふことは自由自在になりました。徹夜して翌日血痰が出たとしてもそれは偶然の一致で徹夜したゝめに起つた血痰だとは信ぜられぬやうになりました。若し徹夜したゝめに出たとしたら、それは出たのでたく(※10) 潜在意識が出させたのでせう。
 いやこんなことは兄に向つていふことではありませんでした。仕事の方は決して急ぎませんからゆつくり書いて下さい。私のやうな生活にさへ歳末気分といふやうなものが漂ひかけました。
 凪邪(※11)ひかぬやうに注意して下さい。

(※1)原文ママ。「つかぬ」の誤植か。
(※2)原文ママ。「御父上様」の誤植。
(※3)原文ママ。「納谷」の誤植。
(※4)原文ママ。
(※5)原文ママ。実際の執筆年月日は大正14年12月19日(実物確認済み)。編集者の誤読か?
(※6)原文句読点なし。
(※7)原文ママ。「ですら」の誤植。
(※8)原文ママ。「調書」の誤植。
(※9)原文ママ。「で」の誤植。
(※10)原文ママ。「なく」の誤植。
(※11)原文ママ。

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)