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書簡

大正十一年

田村利雄氏宛 一月廿日発

 御両処
 なつかしき御書嬉しく拝見しました。たえず心にかゝりながらもついゝゝ失礼して申訳ありません。寒い為に床の中にもぐつてばかりゐて、且つ正月以来来信の多きため返事書きに追はれ、心にもない御無沙汰致しました。愈々御清祥御肥満何より喜びます。寒いうちは用心して大事をとつて引こんだ方が宜しいと自分も思ひます。まあゆるゝゝ読書でもして大にエネルギーの蓄積に心がけて下さい。その後小生には別條なし。床の中に居るため脚や手が細つて行くが、病気の方はよほど衰へて行つたやうに思ひます。
 妻はまだ名古屋に居ます。褥瘡がまだ治癒せずやつと一両日前看護婦を帰した位でまだひとりで歩くことが出来ません。寝てゐるために御両処に御無沙汰してゐることでせう。どうしても二月の中旬(早くて)でなくては帰宅しないだらうと思ひます。発病して以来四ヶ月余、チブスも中々に油断のならぬ大敵であることを感じました。小生はそれ故看護婦と共に平凡なる日を送つてゐます。
 近頃は手当り次第外国の小説を読んで居ります。大いに文学通になりました。もう医学などはやめて好きな文学でもやつて了はうかなど考へることがあります。御蔭で寂しさを感じません。一日の大半は想像の国に遊んで居ります。
 昨今は病的生活によほど適して来ました。御医者さんはもう彼是二ヶ月以上も来てくれません。体温は五度七――六度一――で食慾は旺盛ですがやはり安静にしてゐると少食の方が気持がよいやうです。
 かういふわけですから、来る四月迄はやはり此処に静臥する予定です。昨今の寒気にも蒲団の中に居れば少しもその鋭さを感じません。冬は私の最も恐るゝ所でしたが、それは起きてゐる時で、かうして寝てゐると冬の寒さを知らずに暮されます。もう今後冬といふものに虞れを抱かずにすみます。三十六計もぐるに如かずといふのが、長い間の病的生活から得たさとりです。
 皆さん風邪に苦しまれたとの事どうか御大切に。望は元気で名古屋に居ます。小さな蓄音器を買つて貰つて大喜びださうです。私もボツゝゝ外国のを取り寄せて毎日一度楽しむことにしてゐます。
 東京へお出かけの節は是非お立寄り下さい。然し東京へは暖かくなつてから出かけられては如何。冬はなるべく閉ぢ籠られた方がよろしいでせう。自分の過去を顧みてこはくなりますから。
 そのうちゆつくり病気に関する感想でも語るの日を楽しんで待ちます。大正十一年もはや二十分の一を失ひました。大いに自重して読書と静思に費しませう。どうかくれゞゝも大切に十六貫二百を十七貫二百にせられんことを祈る。先はとりあへず。

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)