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書簡

大正九年

田村利雄氏夫妻宛 二月五日発

 田村兄
 御手紙繰返し読んだ。自分をかく迄も思つてくれる兄の心持を察してうれし涙にくれる。自分は丁度昨年一杯に仕事をすまし、今年の始めからこのロンドンを隔つる五十哩の地なるブライトンに静かに読書に耽つて居る。主なる仕事は医史の研究だ。然し仕事の方はオロソカになつて、海浜の石拾ひが専門の有様だ。御蔭で壮健に暮してゐるから安心して下さい。
 愈々生理学教室の仕事も片づいたとの事何よりだ。それから三四月には神戸で安藤兄(?)と御開業との事、これも至極自分はうれしく思ふ。兄は精神上に充分修養を積むだ人だ。必らず他人の見出し得ざる新らしい道をそのうち見出すだらうと自分は信じてゐる。今年の冬神戸の埠頭で逢ふ時はどんなに喜ばしからうと思ふ。この手紙の着くのは或ひは兄の東京を去られる頃かもしれぬ。
 兄が開業の動機の説明はうれしく読んだ。兄の開業に就いては自分は少しも異議がない、そして一旦緒(いとぐち)についたら飽くまで猛進してくれたまへ。
 永井先生へは兄の御示しの通り、自分からも御礼を申上げて置いた。あゝ早く帰つて故旧の人々と談合して見たい。思へば四年前の春に兄と奥さんとが二人で片瀬の相陽館を見舞つてくれた。そして江の島へ行つたことを記憶して居る。今、自分の眼の前に茫たる海を控へて空想に耽ると、早く兄と逢つて話したくなる。
 三月は巴里をうろついてゐることだらう。瑞西、独逸へ入つたらまた珍談が多からうと思ふ。
 どうか御身大切にしてくれたまへ。そして今は兄の目ざす所に驀進してくれたまへ。
                              英国ブライトンにて 光次
          ○
 奥さん、どうしても兄貴を外へは出さぬとの事、今少し私に力があつたらどうしても引つぱつて見せるのに……然しこれは戯談(じやうだん)、愈々神戸へ御移りとの事、名残り惜しい気がします。もう桜の散る音を聞いてカルタが遊べませぬもの。毎度御コゴトを頂戴して恐縮します。今は最早取りつく島もなき御見棄(おみすて)、しかし外国へ出て少しネバリ強くなりましたから、ダニの様に振ひ落さうとしても離れませぬぞ。呵々。
 只今自分のなじみの海岸へ来て読書して居ます。不相変(あひかはらず)元気ですから御安心下さい。純ちやんも益益大きくなつたことでせう。結構です。どうかよろしく。今年の冬は神戸でお目にかゝりませう。楽しみにして居ます。どうか御身大切に。またのたよりに譲ります。

柴田萬吉氏宛 九月二十七日発

 柴田君、愈明日この地から賀茂丸に乗船するなつかしき欧洲大陸を離れる心持名状すべきにあらず、さはれ身は病める身、帰心また頻りならずとせず、恐らくこの書は余が神戸到着後に君の手に入るべし。
                              マルセーユにて

桑原虎太郎氏宛 十一月十五日発

 御芳書昨夜拝誦仕り候。小生に関しかくまで御心にかけ下され候事親身も及ばず偏に感銘の至りに御座候。御老母様遂に御他界遊され候事悲しき至りに御座候。御目にかゝり得ば如何ばかりか楽しからむにと残念に御座候謹みて御悔み申上候。
 種基学兄其後愈々御勉励今回金沢に御赴任の旨決定と承り嬉しさ此上もなく候。かくも速かに学兄の復活を見たる事真に愉快に御座候。三田先生の許に鍛えられし腕前とて今後は益々光輝を放ち候事と楽しまれ候。御両親様始め叔父上様にも定めし御満足と存じ候。取り敢へず御祝ひ申上候。
 小生帰朝後、御蔭を以て無事消光罷在候(まかりありさふら)へ共少しく休養を要する身に有之(これあり)今月末頃上京の予定に有之候。申上度(まをしあげたき)事沢山有之候へども委細は後便に譲り申上度(まをしあげたく)茲に御礼申上げ旁々御挨拶申上度末筆ながら御家内皆様に宜敷御伝言願上候。拝具。

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)