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書簡

大正七年

柴田萬吉氏宛 一月六日発

 見渡せば、眺むれば、とは芭蕉も言ふまい、疑是銀河落九天と果して一九一八年の李白はいふだらうか、ケルヴインの雄大なる自然を雄大と認むる者は偉大だといつたがこんな言ひ草も古くはあるまいか、リンコルンの言ではないが『何万年の昔から一刻の休みもなく』落ちて居る水の量が一週間に一立方哩づゝだと聞いたり、水力電気のヱネルギーに変ずる有様を見たりしても自分には何の面白味もない。滝壺にはまつたといふ印度人の伝説の方が、幾らか自分の心に触れるやうだが、それよりも、最も力強く感ぜしめたものは、この滝を見得た自分の生命の炎だ。自分はやはり自分を謳歌する。

柴田萬吉氏宛 一月十八日発

 愈去る十二月三十日当ボールチモーアに到着上記に下宿を定め候。渡る世間に鬼はなく愉快この上なく候。寒気凛冽なれども暮しよし、この地は裏の絵葉書の示すがごとく、詩人ポーの記念碑のある方、先日ブラツシユ授教(けうじゆ)(※1)を訪問せし時雪の中に鳥の啼く声を聞き同教授は詩人ポーの有名なる『烏』の詩を示され候。思へば八千六百哩を隔し天涯の果ては静かに下宿の窓より雪空を仰ぐとき、詩情胸に溢れて無量の情緒の湧き出づるを防ぐ能ず、楽しみ多き人世の行路よ、あゝわれ心ゆくまゝに味はなん(※2)

柴田萬吉氏宛 一月二十四日発

 柴田兄なつかしき御手紙及思出多き春洋丸甲板の写真、趣味溢るゝ新聞の切り抜きは限り無き喜びを以て読んだ。甲板の意外なる鮮明の追懐の情をそゝりて余りある。雑誌「嬰児」の発展は自分の将来を卜して呉れるかと思ふ程発展して来た。君が巻頭の言葉と新年ハガキの文字とは実に千金の価あるものであらう。埼玉、群馬、栃木の旅行は定めし君が年来の希望を満せしなむ。大にやるべし。自分の主義が人に容れられる程人間の喜びの多いものはない。
 過去二ヶ月のボールチモアの生活は夢の如く早く暮れて了つた。峻烈なる寒さの為に多くは引込勝に、日本でやつた仕事の取り纏めをして、雑誌に発表すべく努力した。先日書き上げて、これを当地の去る血清学者の許に送つたところが今度、
 The American association of Immunologistsなる当地血清学者会長なるフイラデルフイアのペンシルバニア大学教授コルマー氏より特別招待の手紙が来て、是非三月二十九日三十日に開かるゝ大会の席上で自分の仕事を講演して呉れといつて来た。何たる喜びであらう。自分は喜んで出席する旨答へた。かくて多くの学者に接触し得ることゝ心ひそかに喜んで居る。亜米利加と日本との医学をよく理解し融合せしむるは自分のつとめだらう。細意わかり次第所をしらせるから大に手紙呉れてこの旅情を慰めてくれたまへ。
 日常の生活を始め亜米利加は凡ての点に於て自分に好い気持を与へて居る。自分は欧洲へ真先に行けなかつた、残念を償ふだけの価値を亜米利加で見出すことが出来た。広汎なる社会衛生学の立場から見れば実に亜米利加そのものが、又とない好箇の研究題目だ。英語も追々発達して来たし国家の御蔭で経済上に不自由もなく加ふるに健康は良好であるから実に自分の世界は楽天地だ。あゝ、この心持続して幾分なりとも国家の為めに尽力したいと願つて居る。
 軈て春にでもなつて郊外にDogtreeが満開になりブルーベルスの青い花が野を蔽ふとき如何ばかり自分の詩情をまた養つて呉れるだらうか。夏にはハドソン河やナイヤガラやまたウツヅホールの海辺に心ゆくばかり錦心繍腸を培はう、当地のマウントバーノンプレースにあるウオータースアートガレリーにはロダンの『思考家』の実物やラフアエルやミレーやコローやターナーの名画が見えて限りなき喜びを自分に与へて居る。
 それから春が来て、夏になつたら定めし沢山絵葉書を送る事が出来ると思つて居る。どうかアルバムを作つて呉れ給へ。必ず気をつけて送る。これからは長い手紙は書けないかもしらぬ。といふのは日本からの手紙の返事にも中々隙がつぶれるから。
 此頃は実に月が好い。赤煉瓦の家の窓から澄み渡る空の月を仰ぐとき無限の思が胸に溢る。横浜解纜の刹那、布哇の暖かき明るき緑、太平洋上の荘厳、市俄古に吹き寄するミシガン湖の刀の如き月、天を摩す四十階の紐育の大建物など走馬燈の如くに胸をめぐる、何れは『科学と文芸』に原稿を送ると思ふから多分夏頃には日本で僕の心理をよく読みまた亜米利加の一端を了解してくれるでせう。
 馬詰、原両君の短歌は中々に鋭いものがある。どうか君から宜敷くいつて下さい。そして嬰児はか(※3)さず送つて呉れたまへ。また新聞の切り抜きも――。
 君が健康と努力とを祈る。

鶴見楽次郎氏宛 二月二十一日発

 父上様。
 其後久しく御無沙汰致し候が御変り無之(これなく)候や度々久枝に消息いたし置候故凡そ御聞き下され候事と存じ候。久枝事日に身重と相成り候由、定めし御世話相かけ候事と存じ候。此の手紙の着き候頃は歩行も困難なることゝ存じ候。本日彼への手紙同封致し置き候間何卒御手渡し下され度候。凡ての事は偏に父上様の御取計らひに任せ申候間何卒よろしく願上候。生理的のことゆゑ心配はなきものゝ早く安産の報に接し度く存じ居り候。命名の事は久枝に申置候間(、)(※4)宜敷御願申上候。(男ならば「望」女ならば「千早」)
 寒さも刻一刻と退き大に暮しよく相成候。先日の如きまるで四月末の暖かさに候ひしが、潮流の関係上昨今又もや寒く相成申候。予ねて久枝にも申置候通り四月よりは紐育へ参り申すべくと存じ候。大都会は学問には如何と存じ候へども、衛生学の実行的方面を観察するには最も好都合に有之(これあり)、殊に都市問題の研究には世界中随一と考へ候。何分当地の大学にはまだ衛生学は建設せられ居らず、且つ自分の興味を有する血清学も出来難き故、紐育行に決し申候。
 英語には追々耳馴れさのみ不自由を感ぜざるやう相成申候。何分まだ外気の寒きため諸方へ出歩くことも叶はず残念に御座候。志津夫君は勉強いたし居り候事と存じ候。三月に試験的に受験いたす様申居り候が、何校を受けるべく決心いたし候や、何でもよろしき故入学さへ致さば、末は如何様にでもなり候ゆゑ、もし何(いづれ)かへ入学いたさば、それで満足した方よろしきと存じ候。早く入学し得た報知を聞きたく待ち居り候。
 俊二君は相変らず熱心に候べし。もう入学試験も僅かに一年半の近くにあることなれば、精々勉強する様仰せつけ下され度候。同封を御手渡し被下度(くだされたく)候。
 当地へ参りて始めて真相を明らかに致し候が、中学卒業した位でアメリカへ来るのは益なきのみか害を醸すべく候。これにてアメリカしこみの学者の価を大凡知り申し候。これ故どうしても志津夫君は内地の専門学校なり大学なりに入学せしめたく、これのみ念願致し居り候。
 何卒くれゞゝも御身大切になし下され度、久枝の身はくれゞゝもよろしく願上候。
     バルチモアにて   光次

田村利雄氏夫妻宛 二月二十四日発

 田村兄
 丁度、先便に出した端書を投函した翌日なつかしき手紙を受取つた。何たる喜びであつたであらう(。)(※5)繰返しゝゝゝ読んでいひしれぬ興味を得た。今年の東京の寒さに枕をかついで親子三人蒲団と畳を背負ふなどは誠に殊勝な心がけだが、まあ然し今は皆様無事と聞いて大安心だ。木下兄の渡米は実に喜ばしい。今頃は太平洋のまん中だらう。
 さて、何から書いてよいだらう。先づ順序として奥さんの註文の見合の段でも語らうか。然しこれは藪蛇、実は桑港に着いて税関が済むまでは逢へないので、柵の所まで迎へに来てゐらるゝことは承知してゐたものだから、春洋丸の機関士にまづ和田さんだけを連れて行つて貰つた。それからわざと数分遅れて自分が良人さんに逢ひに行つたものだから、その刹那の光景は見ずに済んだ(これはまだ外に理由があつたので自分だけあとで行つたわけだ)両方とも然し相当に満足はして居られた様子だ。先日もメンフイスから手紙が来て至極睦まじく暮して居らるゝと聞いた。然し末野さんが税関の場所で小生に『頭は兀(は)げて居りませぬでしたか』と聞かれた一言だけは御二人でよく判じ下さい。
 桑港は三日、市俄古では十時間、紐育では三日でこの地についた。凡そ地図を見て小生の足跡は推定してくれ給へ。何分四十年来の寒さで、華氏の零下を下ることも珍らしからず、こゝ二ヶ月は外出無用の有様で過ぎたが、昨今は余程暖かくなつて凌ぎよい。然し要するにアメリカは東京よりは気候の点は暮しよいといふ結論を得た。このか弱い身が風邪一つ引かずに過ぎたのは神の御蔭は勿論だが、一つはアメリカが自分にとつて暮しよいからだと思つてゐる。学問のことは永井先生に話したからこゝでは重複をさけて日常生活の一斑を御知らせすることにしよう。
 英語は今幼稚園へ出る先生(女)に習つてゐる。もうそんなに不自由しない。どうせ自分の話すことは完全ではないが、先方のいふことが日一日よくわかるやうになるのは喜ばしい。学校衛生といふやうな立場から幼稚園へも行つていろゝゝ子供の遊んだり歌つたりする姿を見、また自分にも日本の歌をうたつてきかせたり、またまづい英語で御伽噺などをさせられて居る。アメリカの児童は何をしても愉快で活溌だ。新開国の子供には少しも頽廃の気象がない。
 婦人に関してはもう今迄言はれてゐる定評があるから言ふ迄もないが、算術の講演や美術品の参考館など婦人が大部分を占めてゐるのはよほどよいことだ。此頃もウオータース・アートガレリーへ行つて、例のロダンのパンソールやラフアエルのマドンナやミレーの祈祷の実物を見に行つたが(この所は水、土の午前十一時――午後四時)殆ど婦人だ。子供をつれて見に来てる婦人も女の児ばかりに説明してゐる。(男の児はつれて来ないで)尤も男は昼間外へ出て働かなければならぬ時間だから、暇な婦人が見に来れるのみの理由もあるが、女が美術を愛し、詩文の話が出来る(男にもまさりて)ことは至極喜は(゛)(※6)しい習慣だ。
 それから大抵の家ではピアノは具へられてある。子供のうちからダンスは立派なもの、自分が幼稚園などに行つて踊れぬといふと、うそをいつてゐるのだと思つてゐる。遊ぶ時は家族全体が子供の如くなつて騒ぎ楽しむ。これもよい習慣だ。多弁は何とかいふ格言はアメリカでは通用せぬ。何でも積極的でなければならぬ。それだから芝居では極く浅薄な笑ひのみで、少しの奥床しい滑稽、所謂東洋的な滑稽がない。わーつと笑ひわーつとさわぐ、又、裸踊りと称するタイツ一枚の女優劇などもなかなかの大はやりだ。自分も度々いつた。あまり上品でないがひまつぶしにはもつて来いだ。活動へも度々行くが、恋愛の甘つたるいデモンストレーシヨンのみ。昂奮すると悪いからなるべく控へ目にして支那料理をたべ、玉突をして満足してゐる。然しいつもいふ通りこの地では日が早く暮れて仕方がない。この調子で行くと日本へ帰るのがどうも遅くなりさうだ。
 当地には兄の知つてゐる連中で、佐藤、丸井両君が居る。大いにいつも寄り合つて旅心を慰めあつてゐるが、これから春が来て花が咲いたら、どんなにか楽しくなるだらうかと今からその想像をたくましくしてほゝ笑むでゐる始末だ。
 日本でやつた仕事を先日『免疫学雑誌』のコーカ氏に送つたら、その前にこの三月の二十九、三十日両日フイラデルフイアに開かるゝThe American Association of Immunologists Special invitationを受けて愈々出席して仕事を読むことにきめた。定めしこの拙い英語でやつたら聴衆を困らせることだらうが、かゝる機会に日本の医学とアメリカ医学との連絡を取るは至極好い時機た(゛)(※7)と思ふ。愈々それで三月の下旬からニユーヨークのコーネルの研究室を借りて実験にとりかゝるつもりだ(。)(※8)どうせ仕事本位ではないが、ニユーヨークは社会衛生学の立場から大いに都市そのものを研究するに都合よいと思ふ関係上引越す手筈だ。だからそのつもりでゐてくれ給へ。
 夏になつたらまたウツヅホールへ行つて臨海実験所を避暑旁々見物するつもりだ、さうしたらいろいろ御知らせする材料を得るだらう。何分これで日本へ書く手紙も随分あるので容易でないから、あまり長い手紙はこれから書かないかも知れぬからそのつもりでゐてくれ給へ。然しこの気まぐれの例の男だからどうするかわからぬ。近日奥さんのたしなみの為に当地で今流行してゐる歌の曲の二三を送らう。そしてピアノで奏して貰つて自分と同じ気持になつてくれ給へ。
 教室も何より賑やかになつて結構だ。どうか諸君に御逢ひの節よろしう。丸善への本の借りはどうか払つてくれ給へ。たしかガイドブツク一冊が出立間際で払へなかつたと思ふ。君が立替へて置いてくれるか、或ひは鶴見の方へそういつて払はしてくれたまへ。まだ家からは手紙を受取らぬが、二三日うちに着くだらう。父となる日が近(ちかづ)くかと思ふと、先便にも書いたとほり妙な気持、例へば『マチ』の例の滑稽のやう。序にまちさんによろしう。薄毛……とやらいふ北條寺入道よりも長い名を持つた御児さんによろしう。今頃は定めし可愛い頂点でせう。
   こたつして鶯待つや梅の春
 に対し
   こたつなし鶯来るや来ないやら
 また
   雪とけて八千哩の遠ければ
 に対し
   雪とけた八千哩ともおもほへず
                呵々

     ○

 奥さんに申上げる。まだホールドアツプには逢ひませぬが、先日下街でかたりの人間にぶつかりました。然し幸ひに事情をよく知つてゐるので、かたられませぬでした。そんなことは毎日のやうに聞いてゐます。そしてホールダツプは当地では稀ださうです。
 時々教室から寄せ書でも送つてくれ給へ。
 藤浪さんは事実かしら、よろしう。木下先生へもくれゞゝも。
                             バルチモアにて   光次

鶴見楽次郎氏宛 五月二日発

 先便はもう御手許につきましたか。四月五日出の御手紙及び切手は今朝嬉しく拝受しました。志津夫君の今回の成功は返すゞゝも大喜びです。敦子も津島の成功は買つてやるべしです。先便に絵葉書を送つて置きましたからこれをやつて下さい。先便には金沢医専へ入るものとして志津夫君にも手紙を出して置きましたが、父上様の金沢行まで定めし富山の方に決定したことゝ思ひます。私は富山の東北大学入学のことを知りませんでした為に、多分金沢の方を選ばれることゝ思つた為めかくは手紙を書いた訳です。金沢でも富山でも何れでも結構です。これから先は長い、如何様でも努力次第で成功出来ると思ひます。何れにしてももうすつかり安心しました。これで俊二君が高等学校へ入学してくれればよいとそれのみ祈ります。俊二君は大へん勉強して居るやうですから結構です。英語を勉強するやうに告げて下さい。英語は綴りが違つてもそれで立派な間違ひとなるのですから、よく注意するやう。私も俊二君へ書く英語は殊更に注意して書くつもりで居ります。私からの手紙などを充分よく読むやうに告げて下さい。且つ父上様の前でその意味のあるところを説明させて下さい。随つて日本文と英文との言ひあらはし方のちがひを学ぶことが出来るかと思ひます。又、ひまのある毎英文の手紙を書いて送らせて下さい。
 久枝は御産も済んだことゝ思つてゐます。定めし種御世話様になつて居ることでせう。どうかよろしく願ひます。母乳が最も肝要ですから、その事を父上様もよろしう御監督下さい。何れ出産の報を得てから、名古屋の方へ委しく書き送りませう。
 春も酣になりましたし、健康も至つてよろしう御座いますからくれゞゝも御安心して下さい。研究も至極面白くなつて来ました。今の研究題目は至極頭脳を要することで、アメリカ人はかういふ頭をつかふやうな理論的な仕事は嫌(きらひ)だとコーカ氏(私のついてゐる先生)もいつてゐることですから、是非立派なる論文にして発表したいと思ひます。三田先生の所でなした研究の発表は、もう活版の校正刷もすみましたから近く雑誌にでます。別刷が出来たら父上様の手許にも送ります。専門的のことで到底了解は不可能でせうが、俊二君に英語の練習のために読ませて下さい。それを多分後来博士論文にしたいと思つて居ます。大学の教職に就くものは博士論文のことなどはどうでもよろしいけれども、今後も出来得る限り相当の論文を発表したいと心がけます。
 只今はアメリカにて探し得る独逸書を買つて居ます。先日までに三百円ほど書籍を買ひました。先日文部省から半年分(千五百円)送つてくれましたので、当分不自由はありません。然し何しろ紐育では留学費(月二百円)が一ぱいですから、書籍代などは送つて頂かなければなりませぬ。この夏休みには旅行したいと思ひますから、また金が要ります。九月頃に少し送つて頂かなければならぬかと思ひます。必要な時申送りますからよろしく願ひます。
 志津夫君はもはや学校生活を始めてゐませうから今日は書きませぬ。いづれ宿所がわかつてからまた折々手紙を出しませう。父上様からそのことを申送つて下さい。
 出産の報を鶴首して待ち居り候。子供の儀も偏に御養育願上げ候。

鶴見楽次郎氏宛 六月一日発

 四月廿五日出の御芳書本日(六月一日)拝誦仕り候。今朝出がけに先便の絵葉書を出せし所帰り来れば父上よりのなつかしき手紙、取る手遅しと開きて、まづゝゝ久枝も子供も達者なるに胸を撫で下し申候。今頃は郷里に居り候や如何は存じ得ず候へ共、定めし種々御世話様に相成りし事と存じ候。乳のため少し発熱致せしとの事、これはよく有勝の事に候。産褥熱でなくて大幸福に候。たゞ今後も学校などであまり無理せぬやう父上様よりくれゞゝも御注意なし置き下され度候。望は体重も比較的多き方にて喜び申し候。早く写真が見たきものに候。大きくなつて一人前になつてくれゝばよいがと、はや何となく心配なものに候。子供の時分はなるべく自然に育てたきものに候。自然物によく注意を引かしむるが肝要かと存じ候。百町は従つて好個の発育場所かと存じ候。何分ともよろしく御願ひ申上げ候。父上様も遂々おぢいさまの名を実現せられ候かと時々は一人で悦に入ること有之候(これありさふらふ)。胸襟を開いて語る人もなくたゞ此頃は子供の事などで頭脳を充たされ居り候。今年の夏は母乳一点なれば心配なけれど、今年の冬より来年の夏にかけて最も苦心を要する時節と存じ候へば、父上様よりもよろしく御注意なし下され度く願上げ候。
 紐育は急に暑くなり申し候。夜分は遉がに涼しく候。又、今日は華氏八十五六度かと思へば翌日は華氏五十度位にて却々(なかなか)応接が困難に御座候。夏中はあまり仕事をせぬ様に控へ目にする様心がけ居り候。仕事の都合上今年は旅行は六かしいからむと存じ候。旅行も夏は却つて労苦するばかりかと存じ候。一度位はナイヤガラへでも行つて涼み来らむかと思ひ候が、それも来年に延ばすかもしれず候。宿所は本年中は少くとも今の家に止まり申すべく候へば左様御承知下され度候。
 折角御自愛専一になし下され度候。

鶴見楽次郎氏宛 六月五日発

 絵葉書沢山忝く存じ候。西洋人を楽しませようとて送つて頂いた絵葉書が、少なからずこの日本人を楽しませました。
 これからまた御序があつたら送つて下さいませ。いくらあつてもよろしう御座いますから(すぐなくなつて了ひます)もう夏休みが近くなりましたから、久枝への手紙も百町宛に書きます。

鶴見楽次郎氏宛 九月三日発

 八月三十日金五百円(二百五十七弗五十仙)の電報為替正に拝手しました。漸く昨日までかゝつて新らしき論文を書き終りましたので、茲に筆を執つた次第でございます。夏休み中はその方に忙しくて本当に失礼いたしました。
 志津夫君や俊二君への手紙もたうとう書けなくなつたのは残念でした。何しろ少し長い論文で六ヶしい理論に渡つたもので、而も英語で書くといふのですから、随分骨折りました。彼これしてゐるうちに夏も過ぎてはや涼しく朝夕は冷たい位になりました。
 たうとうこの夏は何処へも避暑せず、熱閙の大都会で夏ごもりをすることになつて了ひました。然しこれでアメリカの冬と夏とを経験したので、先づ自分の健康がこれに堪へ得ることを証明してくれた訳です。また新らしき方面の研究を今一週間程も過ぎたら始めやうと思ひます。
 今日文部省からも金を送つて来て大へん都合がよいです。当分はあれで凌げます。総計八百弗今持つて居りますから、然し来年になつたらまた御無理いふかも知れません。申上げたらその時送つて下さい。
 新聞も(新愛知)七月二十九日まで受取りました。かうして距たつて居りますと本当になつかしく、あの津島新聞が却つてなつかしく読まれます。『蟹江』とか『神守』とかの文字はなかゝゝ楽しみを与へてくれます。
 日本も愈々国家多端の様子です。大へん米が高くて先日も暴動が起きた様子当地の新聞で読みました。当地も戦争は万事に影響して居ます。然し景気は至つてよろしう御座います。たゞ平凡なことは以前と少しも変りありませぬ。学問して居る御蔭で自分だけは次々と図書館や研究室で絶えず新らしい事実に接します。これが楽しみでたうとうこの夏どこへも出かけずに済みました。然し至つて元気に暮して居りますから御安心下さい。アメリカへ来て奇妙に睡眠不足にかゝつたことがありませぬ。
 俊二君も近々試験が近づいて来ました。然しあまり試験々々といつて恐怖観念を起さしてはいけませぬから、その辺はよく御注意下さいませ。早く入学の報に接したいものです。
 手巾(ハンケチ)は当分やめて頂いてかまひませぬ。先日も申上げた通り全部届きましたから、あれでこの冬のクリスマスの贈り物がすませる訳ですから、来年にでもなつたら御願ひ致します。手巾(ハンケチ)はさて措いて何か日本のことの書いた気取つた絵草紙か何かほしいと思ひます。あつたら御送り下さいませぬか。いくらでもよろしう御座います。際限なしは御困りでせうが適当と思はれしだけ御送りを願ひます。その後百町の方は変りませぬか。今頃は丁度厄日ですが、米作は如何で御座いますか。米の高いのは小生等にとりてはよきものゝ、細民(殊に市中の)は定めし困りませう。
 どうか皆様によろしく御願ひいたします。五十嵐のところに御産が近くありませうが、通知があつたら御祝ひをやつて下さい。敦子は勉強しますか。それから女学校の方はどうなりましたか。
                                     紐育にて。

鶴見楽次郎氏宛 十一月十七日発

 多年の望なりしナイヤガラの見物を本日すまし申候。何ともいへぬ荘厳なる気持と相成申候。今少し落(※9)たる暇あらば今宵一夜を詩作に明さむかとも存ずれど、行李梶X(さうゝゝ)の身はこれさへ叶はず、一先づ胸にしまひ置き申すべく、帰朝の日の話の種に致さむ覚悟に御座候。一行は中野兄と共に御座候。御自愛を祈り上候。                      アメリカにて  光次

鶴見楽次郎氏宛 十二月五日発

 謹賀新年。
 父上様、御心にかけ下さつて御送り願つた新聞、手巾(ハンケチ)、画帖、幼年雑誌、文展絵葉書其他の品々悉く無事拝手いたしました。インフルエンザ猖獗のため、誰か冒されはしないかと案じて居ますが、当地の如く猛烈な性質のものでないと聞いて安心いたして居ります。無事の程を神かけて祈つて居ます。中野君と共にボストン、ナイヤガラ、又ワシントン方面を旅行して、今日無事研究室に働いて居ますから、どうか御安心下され度(たく)、健康も旧に倍しよくなつて来たやうに思ひます。たゞ日々非常に忙はしく弟どもへ手紙もかけぬ有様で久しく無沙汰に過ぎて居ますが、志津夫君も勉強して居る様ですし、俊二君も中々の努力らしく至極喜悦致します。俊二君はいよゝゝ卒業間際になつたことですから、高等学校入学試験も近く何科を志望するかは、全く本人の意志に任じ、早くその通知がきゝたいと思ひます。たゞあまり成績を恐れぬやうくれゞゝも父上様より御注意願ひたいと存じます。
 愈々戦争の終結に際会したのは本当に幸福に感じます。多年の望みが果し得ることは如何程楽しいでせう。愈々来る四月の末か又は五月の初めに出発するやう文部省に願書を差出しました。勿論、留学指定地のこと故許可になることゝ存じます。それで先日も申しました通り金一千円を書留郵便で御送り下されば至極結構と存じます。正金銀行の為替にして頂けば都合よいと存じます。勿論父上様のよろしき様御願ひ致します。随分近頃は金が沢山要りますが、病気が比較的軽く済むだことを考へれば、食物に贅沢してもよいと考へます。病院へ入れば一日少くとも二十弗(四十円)はかゝりますから、随分友人で沢山取られた男もあります。
 中野君の親戚なる永井参与官は去る二日英国に出発せられました。中野君は本年末即ち十二月三十日桑港発一月下旬には半田に帰へられます。何れその節小生の近況を御聞き下さることゝ存じます。何か誂へたいと思ひますが、同君も荷物が沢山あることゝてたゞ小生の近況を土産として御聞き下さることを願ひます。
 望は定めし父上様に可愛がつて頂きませう。毎度久枝からの手紙で感謝いたして居ります。本当に望は幸福だらうと思ひます。将来のことを思つてもやはり小さい時幸福に育つものが結局得だらうと思ひます。父となつて見れば子供は幸福の境遇に置きたいです。今後たゞ精神の発展が人並に出来てくればよいがとそれのみ気懸りで御座います。
 私の家(下宿)に望より二ヶ月ばかり後に生れた女の児がありますが、日々成人して行くのを見る度毎に望のことを思ひます。これから寒くなるから母上様や祖母様にもいろゝゝ御世話をかけませう。
 渡英前は相当に忙しいことゝ思ひます。然し冬ですから仕事は致しよいです。まあ及ぶ限りやつて見ませう。
 時節柄くれゞゝも御身大切に。
 この手紙つく頃は新年で皆が家に集つて居る頃ではないでせうか。愈々去る三日で国を出でゝ満一ヶ年になります。月日の経つは早いもの(※10)望も今に二つになります。

(※1)原文ママ。「教授」の誤植。
(※2)原文ママ。
(※3)原文ママ。「か」の誤植。
(※4)原文句読点なし。
(※5)原文句読点なし。
(※6)原文濁点なし。
(※7)原文濁点なし。
(※8)原文句読点なし。
(※9)原文ママ。「着」の誤植。
(※10)原文ママ。句読点の誤植か。

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)