メニューに戻る

書簡

大正六年

古畑種基氏宛 五月六日発

    金婚の色に燃えたり深緑

 不取敢(とりあへず)御祝し申上置候が先(まづ)以て目出度き御婚儀相済み候事と千亀万鶴奉賀上(がしたてまつりあげ)候。御両親様、御祖父母様の御喜びはいかばかりかと遙察奉り候。樹々に萌ゆる新緑の滴るが如きを共に眺め給ひて定めし感慨無量に候べし。幾千代かけて御両所に幸あらむことを祈り上候。兄去りて小生は頓に寂寞を覚え候。日々三田先生と御噂致し居り候。御用済次第一刻も早く御上京相成度待上げ候。近く拝眉の節に委細を譲りて本日は之にて失礼仕るべく候。くれゞゝも御両親様御祖父母様取りわけ御新室様によろしく御伝令下され度、尚妻よりも厚く御祝辞申伝へ候。草々拝具。

田村利雄氏宛 十一月十日発

 拝啓、留守中はいろゝゝ御世話様でした。奥さんから妻へ宛の手紙を今日拝見した。今朝早々当地に着いた。
 妻の父が少し発熱してゐるので、十二日の夕ならでは着京がむつかしいと思ふ。ところで十二月三日に春洋丸が出帆との事誠に結構だがまだ文部省で発表してくれないので一寸困つて居る。十三日に文部省へ行つて専門学務局第一課の菊沢季麿氏に面会して然る後船の方を定(き)めたいと思ふが、それまで船の方は待てないであらうか。
 ところで先日一寸通知して置いた通り永井先生の親戚の一婦人がなるべくなら一緒に渡米して貰ひたいと永井先生からの切望であるが、先生にこの話を君からしてよろしく相談してくれまいか。
 自分としては一刻も早う出発したい。殊に今年中の方が海も荒れが少いやうに聞いてゐる。それで文部省さへ発表してくれたら十二月三日に是非出発の都合にしたいと思ふ。
 もし僕が文部省へ行くまで東洋汽船会社の方で待てぬ様だつたら、誠にすまぬが一度文部省へ行つて菊沢君に逢つてくれないか。又は菊沢君の宅なる牛込区若宮町二一番地に行つてくれまいか。そして永井先生と相談してくれて君の一存で決定して下さい。準備は十日もあれば充分出来ることだから(。)(※1)
 永井先生の方のことはどうしても一緒にといふ程のこともないから、文部省の発表さへ十二月三日以前でありさへすれば出発はかまはぬと思ふ。
 早速行つて話したいが父が病気でもあるし、また十二月とすれば多少家のことも始末をつけて置きたいから、十二日に帰ることにする。右の事情を斟酌してくれて御決定を願ふ。
 奥さんにくれゞゝもよろしく妻より厚く加筆を申出た。

(※1)原文句読点なし。

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)