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書簡

大正四年

田村利雄氏宛 七月十三日発

 思出多き千人風呂、恋人と語りし浜辺の石の上、遠くに見る初島の俤、玉突の徳さんにキユーの持ち方を教はつたことなど、この端書を認むると同時にその折の写生帖を拡げて、千万無量の感慨に打たれた。吁、それも丁度二ヶ年前の事、恐ろしいものはGestの力、そうだゝゝゝあの時分は腸を患つて、煙霞療養に行つてたので、今よりもつとセンチメンタルだつた。もう一度あんな境遇になつて見たい。涙は三大湯滝の源よりもたしかに豊富であつたもの。皆さんによろしく伝へてくれ。あの軽便鉄道のプリミチブな所に味があるだらう。

 備考 伊豆山温泉に在る田村氏宛ハガキ

千葉晩香氏宛 九月三十日発

 拝啓昨日は折角御来訪被下(くだされ)候も生憎不在にて失礼仕り候。ワレモコウのヱキス正ニ拝受早速永井先生と謀りて臨床上の実験にとりかゝり申すべく候。
 偖先日来一度御話し申上度存居り候が実は田舎に居る小生の岳父がダーリアの根を懇望致居候が今は其時期を失し居り候や若し時期宜敷候はゞ御手許にあるものを御売譲被下(くださ)る訳には参らず候や御序の節御返事賜り度候。何れまた御目にかゝり候節篤と御話申上度(まをしあげたく)。草々拝具。

千葉晩香氏宛 十月七日発

 拝復父に宛珍らしき草花御送り被下(くだされ)候由定めし喜び候事と存じ候厚く御礼申上候。
 センダン、ヱキスは皮膚科にて実験中の筈に候間永井先生とも話して其効果を聞合せ申すべく候。「園芸の日本」への原稿は承知仕り候碌なものは出来まじく候へ共近日中執筆仕るべく候。何れ委細は御目にかゝり候上万縷申述べく候。

田村利雄氏宛 十二月十七日発

 拝啓
 在京中は真に御世話様でした。本日無事表記の所に到着、愈々煙霞療養の序幕を開きました。
 浜田君に依托した診断書のことよろしく願ひます。片瀬は東京よりも暖かく、松風の響、波の音、今はわれも果敢なきこの身の悲運を月下の浜にかこつことになりました。然しながら胸に燃ゆる希望の光明は漫々たる蒼海の如しと元気づけて居ます。折あらば御来訪あれ。新鮮なる魚肉は以つて君の糖尿病(?)を全癒せしむべし。先は右取りあへず御報告まで。草々。――相州片瀬にて――

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)