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書簡

明治四十五年

古畑種基氏宛 七月十五日発

 今頃はなつかしき叔父上様の膝下に楽しかりし宮津の清遊を物語つてゐるだらう。まづ君が目出度き卒業を祝す。何よりも嬉しいのは君と共に九月より赤門をくゞることだ。僕は実に百人の友を得るよりも心強く思ふ。僕も相変らず無事、例の如く故郷に蹲踞しつゝある。ところで僕の成績は君等に対して済まない結果を得た。特待生になるべく平均点四点足らなかつた。僕は実に採点の意外なのに驚いた。年々三高は失敗して居るから今度こそは積年の恨みを晴らさむとベストを尽して而もこの結果に陥つたのは已むを得ない次第だが今年も三高出身は悉く駄目だつた。兎に角今後奮発して君等の申訳ともなし且つ君等の殷鑑を作つた訳だ。僕は来学期は生理学助教授の永井潜博士の好意によつて同先生方に寄宿して勉強することになつたから、多少今後は奮発の効果が占めらるゝことゝ思ふ。同先生には君等が九月早々生理総論の講義を聴くことになつてゐる。同先生は僕を弟のやうにいつくしんで、殊に詩文に趣味を持つて居らるゝことゝて、常にハイネ、ゲーテを物語つて高尚な趣味を頒ち与へられてゐる。いづれ君も親しく逢ふ折があるであらう。とにかくして二ヶ年間は大いに苦心して奮闘せねばならぬ。然し君が一緒に居て呉れる事とて実に力強い。飽く迄相共に鞭撻して理想を貫徹したいものだ。
 君もこの休暇を実にひまなものだらう。面白い書籍でも盛んに読んで置くがよい。僕等も実にこの上の呑気はない。少し頭を冷やすために静養を心懸くるつもりだが、友に離れ書籍に離れ不自由な田舎の事とて、不便のために十分書をあさることさへならぬのには閉口だ。こんな時に君が居てくれたならと思ふ時がしばゝゝだ。いづれにしても九月は親しく逢へると思ふと何だか心の底にある一種の強味を覚ゆる。先日は叔父上様から御丁寧なる御詞を賜つて却つて赤面の至りだ。別封は叔父上様に御手渡しを乞ふ。十分身体を大切にしてエネルギーを蓄へ、以つて来る九月から専心勉強に心がけるべき用意を形づくつて居てくれ。宮津の話など面白かりしふし多からむ。願くば寂寞に苦しむことの友に信書を発して喜ばし給へ。
 まだゝゝ迚も書き終るべき筆にはあらねど、今日はこれで失礼する。さよなら。

桑原虎太郎氏宛 七月十五日発

 拝復、先日は御懇篤なる御芳書を賜り誠に忝く存じ候。其後は打絶えて疎遠の罪を犯し申し候処先以て御健勝の趣欣嬉この事に御座候。
 扨、種基様にも今回御目出度御卒業相成り随喜の至りに御座候。殊に大学は東京を御志望の趣承り喜悦之に過ぎず候。三高時代より誠に気心も合ひて心強く候ひしに一旦相離れ申して殊更寂寥を悩みし折柄今又東都に相携へて勉強し得ること真の同胞よりも懐しく、兄弟として相率ゐ給はれんこと小生よりこそ懇願の至りに御座候。
 東京は競争激甚に候て而もその間に言ふに憚る弊風の存し居り候へども、追々その紊弊(びんぺい)も除かれ得べく、種基様の時代よりは全く勉強のみにて勝利を得らるべく候へば十分身体を大切になされむこと偏に小生の望む所に御座候。本年なども試験のため随分身体を害ひし人々有之痛惜に不堪(たへず)候。小生は御蔭を以て頑健に候間他事乍ら御安心下され度候。
 何卒御身大切になし下され度後家内様によろしく御伝言上願候。乱筆の段平に御宥恕下され度、先は遅延乍ら貴酬まで、敬具。

底本:『小酒井不木全集 第十二巻』(改造社・昭和5年5月21日発行)

(リニューアル公開:2006年2月28日 最終更新:2006年2月28日)