メニューに戻る

作家としての小酒井博士

平林初之輔

 最近思ひがけない死が私の周囲に頻々と突発する。小酒井博士の死はそのうちでも最も思ひがけない死の一つであつた。勿論、博士がしじう病気と闘つてをられたこと、博士を悩ましてゐた病気は、かなり難症であつたことは知らぬではなかつた。だが、博士と死とをむすびつけて考へたことは、私は一度もなかつた。博士は、死の間際まで、私たちに死を忘れさせる程、その存在を生きゝゝと感じさせ、最後まで働くことをやめられなかつたからだ。
 実に延原氏から、博士の死を聞いたのが、ちやうどエプリル・フールの当日であつたので、話し手が「新青年」の編輯者であるし、当の本人は探偵小説の小酒井氏であるので、しばらくたつてから、事によると一杯かつがれたのではないかと真面目に思ひかへした位であつた。私はこゝ一年あまり、博士とは殆んど文通もしてゐなかつたので、博士の近状について何等知るところがなく、おまけに最近、しばらく筆を絶つてをられた探偵小説の方面へも捲土重来の意気込みで執筆されるといふ噂を聞いてゐたので、健康も益々順調に恢復されてゐたものと喜んでゐた位だつたのである。
 小酒井博士を探偵小説の作家として見るのは、恐らく、最も末(※1)的な、第二義的、第三義的な方面から博士を見ることになると非難する人があるだらうし、その非難は恐らく正当であるだらう。実際博士は探偵小説を非常に愛好して、或る時期には西洋の作品を片つ端から読まれたことを告白してをられるが、そのうちに古今東西の探偵小説に関する研究を次々に発表し、ドウゼやチエスタートンなどの名作を翻訳され(中でもドウゼは、博士によりて真つ先に日本に紹介されたのであつた)、たうとう、創作にまで手を染められて、忽ち日本の探偵小説界の寵児となり権威となられたのであるが、博士の全体から見ると、探偵小説の如きは余技といふ感じが多分にする。それは博士の探偵小説が、大したものでなかつたゝめではなくて、博士の全体が偉大であつたゝめに、日本で一流の探偵小説家としての博士も、その全体から見ると小さく見えたゝめであらう。
 探偵小説の作家には日本だけでなく外国でも文壇と無関係な畠ちがひの人が多い。「灰色の部屋」の作者イデン・フイルポツツや「赤色館の秘密」の作者A・A・ミルンや「百万長者の死」の作者G・D・H・コールなど枚挙にいとまがない。これは探偵小説には、文章とか、表現とかいふ形式方面の才能よりも、構想、推理といつた内容方面の才能がより多く必要とされるからであらう。元来ストーリイには凡べて筋(プロツト)が大切であるが、探偵小説(デテクチヴ・ストリイ)に於いては、筋(プロツト)がわけても作品の脊柱となる。そして読者の注意を作者の意のまゝにひつぱりまはして、最後の数行に至るまで、読者に真相を見抜かせないだけの装置が必要である。これ等のことはハートの仕事であるよりも、むしろブレインの仕事である。探偵小説はこの意味で頭脳の小説であると言へる。探偵小説の作者に畠ちがひの専門家が多いのはそのためであるが、実にこれは畠ちがひではなくて、却つてこれこそこれ等の人々の畠のものであるかも知れないのだ。その意味で小酒井博士もうつてつけの探偵小説作家であつた。
 博士の作品で今だに私の頭にはつきり残つてゐるのは、初期の作「恋愛曲線」である。これは「人工心臓」などゝともに医学博士である博士にでなければ書けない多分に実験的理論的医学の知識を内容にとり入れたものであるが、その構造には奔放な詩人の想像力と情熱とが浸透してゐる。「冷やかなる情熱の所産」とはまさに博士の探偵小説を形容すべき絶好の文字であらう。
 博士はいつか、何か編輯者から題を与へて貰つた方が物を書きよいと言つてをられたことがある。編輯者から原稿を頼まれると断るより書く方が面倒がないから大体の場合は書くと言つてをられたこともある。実際博士の病弱の肉体の中に、あんなに強い精神が、あんなに衰へることを知らぬエネルギーが宿されてゐたことは驚異に値する。
 博士があまりジヤーナリズムの波に乗りすぎて、いろゝゝなものを書きなぐつたことを、非難する人や、それを博士のためにをしむ人もあるが、それは一つには博士が、非常に思ひやりの深い、ソフト・マインドの持ち主であつたことを証明してゐる。編輯者がわざわざ頼んで来たのをむげに断つては気の毒だと博士は考へられたにちがひないと思ふ。これは博士のもつてゐた唯一の弱さでもあつたと同時に、一つのヴアーチユーでもあつたと言へる。ことにジヤーナリズムを蔑視すること蛇蝎の如き学界にあつて、博士のこの砕けた態度は常人のまねられぬところであつた。探偵小説の場合でも沢山書いてゐるうちにはいつか一つ位は傑作が書けるかも知れない、それでいゝではないかと言つてをられたさうだが、それは博士の謙遜でもあらうが、又偽らざる本当の告白でもあつただらうと、私は思ふ。
 平山蘆江氏であつたか、博士の死後、博士の実験室を見て、世界的な研究がその中で行はれてゐたことを発見して驚歎してをられたが、ジヤーナリズムの中に入りながら、それを超越して、独自の研究につとめてをられた博士の風貌を思ふと、頭がさがらざるを得ない。
 博士の肉体はなくなつたが、その精神は色色な方面の後継者によつて立派な実を結ぶであらう。

(※1)本文ママ。「梢」の誤植。

底本:「新青年」昭和4年6月号