小酒井不木年譜


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年代不詳のエピソード

幼少期

「自伝」(小酒井不木 『中京朝日新聞』 大正15年1月?)
 農繁期ことに収穫の時期が来ると父は随分勤勉であつた。先づ毎日午前三時前に起きて、カンテラの火影で、俵を編むだ。さうして非常に手早く、且つ非常に巧みに造り上げるのであつた。ある夜父が俵を編んで居ると、表に人の足音が聞え、やがてポンと戸口を蹴つた。父は
『誰だツ!』
と怒鳴つたが、そのまゝ足音は消え去つた。その翌日隣村の某豪家に、昨夜強盗がはひつたといふ報をきいて、父は自分の家(うち)の戸口を蹴つたのはたしかにその強盗だつたと判断し(後に強盗が捕へられて果してさうであるとわかつた)『一生懸命仕事をすると盗難さへ免れることが出来る』といふのであつた。
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 あまりに塵埃(ほこり)が多いので私は土臼部屋にはひることが稀であつたが、土臼で砕かれた籾を金どほしにかけるときにはつねに手伝つた。金網を滝のやうにすべつて行く玄米の流れは見て居るだけでも心地よく、手に触れる米の感じも又となく快いものである。
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家族旅行

「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
 父は病気のために、めったに外出することはなかった。出ても名古屋市内かその周辺で、汽車旅行はめったにしなかった。それでも家族全体で旅行したことが二度ある。一回は伊勢神宮参拝で、もう一回は大阪のJOBKの放送のため大阪に行き、ついでに京都、奈良と旅行したことである。父はいつもベッドに寝慣れているため、ベッドでないと眠れないらしく、大阪、京都、奈良とすべて洋式ホテルに泊った。

生活

「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
 名古屋の家の玄関はいつも鍵がかかって、「面会謝絶」の札が下げてあった。嫌人癖があったわけではなく、いわゆる名士になって、訪問客が多くなり、執筆や読書の時間をとられるのを嫌ったためであろう。

その他・エピソード

「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
 私にとっては厳格な父であったが、時には「洋食を食べに連れてってやる」と言って、人力車の相乗りで、鶴舞公園の近くの商工会議所の地下の精養軒へ連れて行ってくれることもあった。

(公開:2007年2月19日 最終更新:2019年11月27日)