秋
墨汁に朱の一線や秋硯
癒えたれど帰るに惜しゝ島の秋
秋に痩せて骨痛々し文机
秋晴
秋晴や空にとけこむ渡り鳥
秋晴や天に向ひて羽を吹く
秋晴や興じてとほる馬子二人
秋晴や杣の夫婦の上機嫌
演習のとゞろゝゝゝ(※1)に秋晴るゝ
朝寒
朝寒や水にうつりて日章旗
朝寒を月照る宿のうがひかな
夜寒
脛うちて痛きに叫ぶ夜寒哉
秋の朝
さらゝゝ(※2)と石まく音や朝の秋
秋の暮
狂ひ女の口ばたの血や秋の暮
初嵐
改心の息子かへりぬ初嵐
秋風
秋風や中仙道の胡麻の蠅
秋風や鐘に立寄る智恩院
秋風や争議の絶えぬ大工場
秋風や貝殻敷いた松縄手
秋陽
石門や秋の陽あふぐ運転手
稲妻
稲妻や夢遊病者の屋根伝ひ
月
名月や鯨に似たる雲の上
秋の雲
秋雲に静かに高し曲馬小屋
秋の雨
秋雨や拾ひ上げたる濡れ手紙
投げられし郵便濡れて秋の雨
花野
花野過ぎて千鳥の櫛を私す
秋の水
秋深く水ふうわりと澄みてけり
霊祭
髭生やす齢となりけり霊祭
鳴子
鳴子ひく役は目しひの妹かな
新藁
新藁の蔭に声ありかくれんぼ
秋の灯
春信や裾のちらつく秋ともし
雁
うつり住む崖の小家や渡る雁
虫
銭湯のやうやく果てゝ虫の声
七星は地に退きて虫の声
鰯
鰯売声高々と向ふ土手
木犀
木犀の香とわかるまで彳みし
秋草
水なきを惜しみし池や秋の草
秋草に寝犬を見しは人の子よ
朝顔
痩せてゆく朝顔の花撫でゝけり
菊
万国旗見下す丘や菊やかた
床の間の菊にとゞきし朝日かな
稲刈
稲刈や弁当はこぶ女の子
柿
柿の実に宵からつのる嵐かな
柿の実に竿かつぎ出すせむし哉
西瓜
村芝居西瓜を喰ひて別れけり
糸瓜
下るだけ下りて糸瓜しなびけり
(※1)(※2)原文の踊り字は「く」。
底本:『不木句集』(私家版・昭和4年5月刊行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1929(昭和4)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(リニューアル公開:2008年1月1日 最終更新:2008年1月1日)