メニューに戻る

 

『学者気質』(春陽堂)序文

 

自序

 集めるところのもの、「学者気質」、「病間随筆」、「牛涎漫語」の三篇。このうち学者気質は大正十年の九月から「東京日日新聞」に連載され、その後、単行本として書肆洛陽堂から出版されたが、震災のため絶版となり、洛陽堂も存在しなくなつたから、今回他の二篇と共に再び上梓することゝなつた。
 病間随筆は、「脈搏を数へつゝ」と題し、大正十一年の夏から翌年の春にかけて、雑誌「内観」に連載されたもの。牛涎漫語は大正十四年の春から冬にかけて雑誌「現代」に連載され、二三の他誌に発表せられた随筆を加へたものである。
 大正九年の春、パリーで持病を再発し、その冬病躯を運んで帰朝し、郷里の田舎に静養すると、病はますゝゝ重くなつて、どつと床についてしまつた。約半ヶ年私は病床に呻吟することを余儀なくされたが、とても寂しくてならなかつたので、六月頃から、床の上で仰向きのまゝ学者気質を書きかけたのである。その時は別に何処に発表するあてもなく、鉛筆で手帳に書き込んだのであるが、書き終る頃、東京日日新聞から、三十回ぐらゐの読物を書いてくれないかといふ依頼があつたのでとりあへず発表させて貰つた訳である。今から見ると随分窮屈な筆づかひがしてあるが、いつ死ぬともわからぬ身体であつたから、可なりに真面目な気持で書き上げたつもりである。
 病間随筆は病がだんゝゝ衰へかけた時分に物したものであるが、思ふやうに病気が消散しないため、やはり、かなりに神経が苛々して居たのであるから、ずゐぶん感傷的な心持ちが目立つ。然し、かうしたものは、健康を回復した今では、とても書けさうにない。従つて、私自身にとつては好箇の記念である。
 牛涎漫語は、健康を恢復してから筆を取つたもので、相当に自分の趣味があらはれて居ると思ふ。
 で、この三篇の随筆を一つの書物に収め竝べると、帰朝後から今日に至るまでの私の心の動きを見ることが出来、従つてこの書の出版は、私にとつては極めて意義あるものである。

 大正十五年五月 不木軒主人

 

底本:『学者気質』(春陽堂・大正15年6月)