三月一日
Friday. 午前 Miss Rentz に Lesson を取る、道で Mrs. Cle(※1)rke に逢ふ、先日置き忘れし Rubber shoe を持ち下さつたとの事、午後図書館に行く。
三月二日
Saturday. 今日は天気大に良く且つ暖かく朝 Standard Medical Bookstore に行きて誂へし名刺を取りに行けどもまだ出来居らず午後活動写真を見たりなどす。夜 Rennert にて玉を突き支那料理を訪ふ。(Pagoda)
三月三日
Sunday. 快晴、風少し強し。日本を思へば今日は雛祭なり、午前午後家にありて古畑君の complement の論文を大方書き上ぐ、石神君午後来る。
三月四日
Monday. 曇、午後みぞれ、雨。昼 Rentz を訪ひ英語を練習す、午後杉田君フイラデルフイヤより来る、松本石田両氏と共に佐藤君の教室に行き教室を案内して貰ひ後丸井君来合せ久保田君と逢ひ七人して Belvedere Hotel に行き会食し諸方に寄せ書などして帰りがけ自動車にて Jackson に来り(、)(※2)杉田君は久保田君の家に泊す。
三月五日
Tuesday. 晴。今日朝から晩まで杉田君と語る、夜約束ありて佐藤、丸井君と三人で Academy に Wintergarten のハダカ踊を見る、“Doing our bit”の題のもとに綺麗なのを見たり。後 Peking にて支那料理を食べて帰る。
三月六日
Wednesday. 晴大に暖かし、華氏の 70 度。午前 Rentz を訪ふ、午後杉田君、松本氏と三人して Allan Poe の墓、Scott Key の Monument などを見る。夜雷雨。
三月七日
Thursday. 晴、午後活動などを見に行き支那料理を食べて一日暮してしまふ。
三月八日
Friday. 晴、夕食後杉田松本氏と丸井君を訪ふ。
三月九日
午前銀行へ金とりに行き活動を見る、午後湯に入る(、)(※3)夜杉田君に支那飯をよばれ、佐藤石田松本久保田丸井氏と都合七人、後 Rennert に行く。
三月十日
Sunday. 風多し、晴。午前八時起床、後松本杉田両兄と Union Station に行き九時五十分の汽車にて Washington に行く、Penna Ave. を散歩し風に吹かれ Thomas Circle に河村幹雄氏を訪ねる、親切に室などを尋ね下され、後四人日本料理店にてスキ焼をなし、後河村氏の案内にて Corcorau Gallary を見る、Walter's Art Gallary 程ではなし、たゞ近代画家の作品多し、White House など名だたる建築を demonstrate せられたり、又 library of congress に行く。夜は三人が支那店(広東酒楼)に入りてたべ帰りて津田君に杉田君と寄せ書を発しなどす、余は Nst. の 1313 N.W. Mrs. Greenfield 方に泊す。
三月十一日
Monday. 晴。午前八時朝飯を食し、小松茂氏などに照会せらる。後 Mt. Vernon 行の電車に乗る。一時間にて行く。Mt. Vernon は Potomac 河に望み絶景なり。そゞろに Washington の昔を偲びて帰り広東楼にて支那料理を食し Washington Obelisk に登りて全景を瞰下して面白く後 Museum に行く。大に草臥れて帰る。夜は早く寝る。夕方川村、小松両氏と語る。
三月十二日
Tuesday. 雨。朝早(※4)起きて Government Hospital なる St. Elizabeth Hospital を見に行く。White 氏が其 super intendent なり。Kempf 氏が案内して呉れ色々視察す。患者収容数 3300 人程なり。男子 2000 人黒人其内 400 人余也。帰りて St. James Hotel にて lunch をすまし後“Capital”に行く。恰も議会の開会中なり。視て帰る。Adams のたほれしといふ場所を見たり。三時に帰路につく。杉田君と別れる。ボルチモーアの宿に着せしは午後四時半、石田氏と語る。日本からの手紙を受け。(※5)田村兄より色川兄の死を報じたるは余りに意外の感に打たれたり。Erysiperas の為 Herzlaehmung を来せしものなりと、吁今昔の感にたえず。今宵一夜は同君の思出に咽ばん哉。
三月十三日
Wednesday. 雨。午前 Miss P(※6)entz を訪ふ、午後 Typewriter にて暮す。古畑君の論文を書き上げて了ふ。
三月十四日
Thursday. 曇雨。午後活動写真を見に出かける(、)(※7)夕食は Peking に於てすます。活動写真を見るも中々骨が折れるものなり。
三月十五日
Friday. 晴少し冷き風吹く。午前 Rentz を訪ふ。午後佐藤君の所に行く。図書館に一寸行く。丸井君と三人夕食を Pagoda に共にす。終りて余一人 Mysteryship の活動のつゞきを見る。
三月十六日
Saturday. 晴。午後佐藤君の実験室を訪ふ。津金巨摩夫君と逢ふ。 Erlangen, Apparat の話を聞く。 Eisenchlorid を中和して見せる。夕食後 Rennert に玉突に行く。吉田、佐藤、丸井、及余の四人也。
三月十七日
Sunday. 晴。午後佐藤君と共に Dr. Janeway の追悼会に列す。 Homewood にて開かる。Dr. Welch, Howland 等種々の人の追悼演説あり。後佐藤君の家に立寄り滞在中の佐谷御夫婦に面会す。後夕食を佐藤君と共に広東楼に食べ八時半頃 Miss. Rentz を訪ふ。多くの人寄りたり。今日は Saint Patric Day にて green づくしの cake や其他 Icecream の御馳走に逢ふ。大に愉快なりき。
三月十八日
Monday. 快晴、春風清し。午前 Thomson の Shephard Hospital に Dr. Brash を訪ね正午は石田氏と共に御馳走にあひて帰る。春日麗かに照り輝きて木々に萌え出でし嫩芽の若々しく余が時至れり矣と快哉を叫ばざるを得ざりき。夜は丸井兄を訪ねて深夜まで語る。
三月十九日
Tuesday. 快晴。午後佐谷君夫妻来る。後佐藤君の所に行く。国府田中氏来会せ居る。後丸井君と三人支那飯に行き Palace の Burlesk を見る。
三月二十日
Wednesday. 晴。午前 Miss Rentz を訪ひてわかれ来る。其前に銀行に行きて金を取り来る。又洋服を Press せしめなどす。午後佐藤君暫く来る。荷物の用意をなす。夕食後石田松本両氏と Folly に行く。
三月二十一日
Thursday. 雨。午前十一時 Union Station を出発す。石田、松本、丸井三氏に送られ来る。 Baltimore の名残也。午後三時十五分紐育の Pensylvania Station に到着す。木村敬義君の出迎を受く。後木村君の下宿に至り色々室などを共に聞き合せ又捜索せしかども思はしからず。故に Hotel Marseille に来り泊る。
三月二十二日
Friday. 晴。午前十一時に Orthopaedic Hospital に Dr. Coca を訪ぬ。実に気持よき Doctor なり。昼食を共にし後 Medical Library に一寸立寄り後 Cornell 大学に行き Loomis の Laboratory に至り Dr. Torvey, Dr. Hatschel, Dr. Ewing, Dr. Bulkley 氏等種々の Doctor 達に紹介せられて大に愉快なりき。夜十一時半 Grand Central Station に木村敬義氏に逢ふ。 Chicago に帰らんとする也。
三月二十三日
Saturday. 晴。 Marseille 滞在中の堀重国君及田端耕蔵君と語る。昼頃杉田長尾両氏訪ね来る。昼飯は堀、田端両君と 97 丁目の日本食に行き、夜は杉田、長尾、後藤一蔵君と三人して「都」といふ料理屋に行く。帰りがけ活動写真を見る。今日午後下宿をさがす。
三月二十四日
Sunday. 晴。午前九時 Marseille の払を済して 101 st の 331 Mrs. Farrell の下宿に引移る。十一時に五斗欽吾氏を訪ね杉田長尾後藤氏と落合ひ後 Hungarian Restaurant に昼飯をすまし五斗杉田長尾氏と四人 Riverside を散歩す。大に愉快なり。夕方は Chop Suey に入る。諸方に手紙を書きなどす。
三月二十五日
Monday. 快晴。朝九時半に Coca 氏を訪ね(、)(※8)後屠羊場に立寄り羊の血を買ひ Cornell に来り医科学教室の一隅にて試薬を秤量して一日暮す。帰りがけ活動を見る。夜手紙を書く。
三月二十六日
Tuesday. 晴。少し寒し。午前医科学教室に出かけ午後 Loomis にて研究に従事す。成程中々面白き結果らしく思はるゝので大に元気付く。 Dr. Coca はたえず Equipment に就て心配しくる。実に渡る世間に鬼はなく愉快なり。留守に杉田君来る。後訪ねて杉田長尾両氏にあひ、これで帰朝までの御別をなし更に後柿内氏を訪ねしに不在なり。
三月二十七日
Wednesday. 晴。午後 Coca 氏実験室に来る。色々面白き実験を重ねて愉快なり。帰途中村桂次郎氏に逢ふ。
三月二十八日
午前 Wister の新井君宛電報を発す。 Loomis に行き午食を済して午後三時二十分の汽車に乗る。六時少し前に着す。新井、高野、松波、葛西君の出迎あり。後直ちに松波君の家に行く。遠山氏来られ其夜は快談して別る。
三月二十九日
午前九時大学の Lecture Room B にて免疫学者会始まる。何れも少壮の学者が中心をなせることは痛快なり。松波、遠山君 Paper を読む。午食の間に獣医学校などを見、又 Woodland Cemetery に馬場辰猪の墓に参詣す。感慨深し。午後 Pathologist の会に出席す。夕方支那料理にて遠山、松波、新井、葛西の諸兄と落合ふ。終りて小柳氏の下宿を訪ぬ。夜遅く迄談ず。
三月三十日
午前九時に講堂に行く。余の Paper は Dr. Coca が代りて読みくれる。 Discussion には、 Park, Kolmer, Weisz なり。 Park 氏は Bacteria から free にせねばならぬといひ Kolmer は Haemagg と Hemolysin をうまくとりはなさねばならぬと云ふ。 Weisz のは問題にならず。十時半の汽車にて Grenolden の Malford 血清会社を見る。後電車を以て Philadelphia に来り Down Town に行きて Coffee を飲み更に支那料理に行く。小柳前田両氏を初め医者ならぬ他の人々も来合せて大に面白く談合せり。高野葛西両君は夜紐育に帰る。
三月三十一日
Faster Sunday! 快晴。午前九時頃新井君松波君と出かけ途中遠山氏と逢ひて共に前田鼎君の家に行く。小柳氏来る。五人して公園を散歩し偶々仏蘭西飛行機の宙返りを見得て大に痛快なり。夕方支那料理に大に語り、夜九時に出発して紐育に帰る。今日から Goverment Time にて一時間早めることゝなる。
(※1)原文ママ。「a」の誤植の可能性が高い。
(※2)(※3)原文句読点なし。
(※4)(※5)原文ママ。
(※6)原文ママ。「R」の誤植。
(※7)(※8)原文句読点なし。
底本:『小酒井不木全集 第八巻』(改造社・昭和4年12月30日発行)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆集成(昭和4年)」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(随筆の部)」
(公開:2005年2月9日 / 最終更新:2005年2月9日)